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ダライ・ラマ法王沖縄訪問の記録 (インドへ 番外編)

2010年04月10日 | Weblog
 ずっと、映像の編集をしていた。
昨年11月に、法王が沖縄を訪問した際の映像である。
カメラマンと私と、スチール担当で来沖して撮影したものだ。

 沖縄に法王を呼んだ、「沖縄招聘委員会」からの依頼で制作したのだが、これが困難を極めた。
私たちは、各報道と同じポジションからの撮影しか許されていなかった。しかも、(沖縄県立)武道館の講演がメインであるはずの映像なのに、我々だけがそれを撮影できなかった経緯もあるのだ。
映像はガクガクに揺れ、音もノイズだらけ、素材も乏しい有様であった。

それでも繋いでいくと、法王の来沖のテーマが見えてくる。
「愛と慈悲の心と世界恒久平和」「人間のもつ智恵」。
すばらしい話ばかりなのだが、ただそれだけが映像となった場合、甘く緩い内容となって伝わってしまう危険性もある。
法王が好きだ、スピチュアルなことやチベット仏教に興味あるという人だけに見せるなら、それでも良いだろうが、もっと沖縄のことを知らねばならない。
やはり大事なことは、沖縄戦での悲惨な歴史。
だからこそ、平和を祈念する沖縄の人々のココロ。
その上で、法王の言葉が活きてくる。
そんな内容であること。
また、一生懸命なボランティアの人たち。

 私は、法王だけでなく、沖縄そのものからも何か感じられる内容にしたいと考えていた。
「沖縄を訪問したダライ・ラマ法王の記録」でなく、
「ダライ・ラマ法王が訪問した、沖縄のココロ」。

 沖縄のココロとは何だろか・?

 撮影のとき宿泊した那覇市内の安宿から、ぶらりと歩くと開南バス停前にローソンがあった。
その入り口に、手書きのポスターが張ってあった。
そのポスターの前で、私はしばらく立っていた。

「ひとは悲しい思いをしただけ、ひとにやさしくなれる。
 楽しい思いをしただけ、幸福にもなれる。
 だから、心はいつもまろい(まるい)んよ。」

私は、このポスターが気になって仕方がなかった。
こんなコトバこそが、沖縄そのもののような・。

私は、後でこのローソンを探し出し、これを描いた女性店長に交渉し、再度描いてもらって、撮影した写真を映像に使うことにした。

 全体の構成を練りながら、翻訳のリライトとタイミングを計る。
翻訳は、沖縄招聘委員会の代表幹事であり医師の長嶺先生に御願いした。
長嶺先生は「映像制作がこんなに大変なものと知らなかった」と漏らしていたが、この人の情熱には、沖縄の夏の太陽も涼しいくらいだった。
何しろ、法王を沖縄に招聘し、企画・ボランティア・武道館講演・メディア対応などの企画・交渉・事務処理までを全てひとりで仕切ったのは、この先生なのである。
町の小さなお医者さんであり、法王が帰ったすぐ後も患者さんに聴診器を当てていた。

 いろんな偶然も起こってきた。
まず、沖縄戦の映像の提供。
平和祈念資料館から当時の写真だけは借りることにしてたが、動画で戦争を記録した迫力と説得力は非常に大きい。
またノイズの少ない、法王のスピーチ映像。これは音声だけ差し替えることにした。
武道館スタッフ撮影の映像も含め、何とか形にはなりそうだ。

 先生の翻訳は直訳。そのままでは使えない。
読む立場になって、字幕の文字数と、タイミングをチェックする。
全てを読みやすく、理解し易いようにリライトしていく必要があった。
私はその作業をすべてやりながら、構成に頭を痛めた。

 こなす作業と、煮詰めて自分の閃きに期待する作業。
その両方を同時にやっていく。
焦心苦慮しながら、時間の早さに気が急く。

 私は、名古屋大学の図書館閲覧室にいた。
ここで「沖縄県史」を見つけた。
分厚い、黒革表紙である。
琉球王国の歴史から、現代に至るまで三十冊に上る県史が綴られている。
その中でも、沖縄戦史は数冊に及ぶ。
永い沖縄の歴史の中でも、沖縄戦史は六分の一を占めているのである。
 昭和45年に書かれたこの県史は、戦争体験者の体験談で占められていた。返還前の声は、もっともリアルであって、ずっと忘れようとしていた体験者に、初めてその体験をつぶさに語られたものであった。
いつも、その本を机の片隅に置いて作業をしていた。

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「沖縄戦とは、惨虐と苦難の強烈な体験である」。

 だけれども、
悲しい・苦しいだけでなく、
平和を祈念しながらも、
もっと、あっけらかんとした明るい土着的に生きるエネルギーのようなもの。
そんなのも感じていた。

「魂魄の塔」は、沖縄のお墓と聞いた。
私は、そこからもそんな何かを感じていたのだった。

里国隆の「黒歌」というCDを偶然買った。
そんな当時の、音。
猥雑ながらも生きる執念とパワーと、ノイズであって聖であるような混沌とした湧き上るヒィロソヒィー。
強烈に響き亘りうねるような静寂。
彼の故郷は、奄美であり沖縄ではないのだが、かつて同じ琉球であった。
琉球の記憶・・。

私は、魂魄の塔からもそんなものを一緒に感じていた。
そんな音や雰囲気を感じていたかった。


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