凡人日記

poco a poco でも成長を

F.デュクリュック/ソナタ嬰ハ調を考える

2016年10月26日 | 調べもの

本来なら試験前に投稿しておきたかったのだが、まとまった時間が取れず結局この時期になってしまったが、ここではデュクリュックのソナタについて考察する。

私が所属する尚美ミュージックカレッジ専門学校の楽曲試験では、自身が取り上げる楽曲についての楽曲分析をレポート形式で提出することが必須となっている。
そのレポートをもとに、楽曲を調べる中で見えてきたもの、疑問に思ったもの、などをまとめる次第である。改めて見返しても細かい分析が足りていないが、そこは私の知識不足ということで、今後改定を加えていく。

ただし、先に何点か把握したうえで読んでいただきたいので以下に記載する。

一、本文中、他のブログや情報源から引用することもあるだろうがリンクの許可を逐一とっていてはきりがないので、紹介にとどめることとする。
一、上記を含め、多数の意見、演奏を考慮したうえでの私個人のまとめであるため、発言の責任は私にある。本文中の疑問などは他の紹介者ではなく、この記事をまとめる私に投げかけていただきたい。
一、私もまだまだ調べているさなかであるため、いくつか怪しい点もあるため疑って読んでいただきたい。

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1)F.デュクリュックの生涯について

フェルナンド・デュクリュック(Fernande DECRUCK)はフランスのオルガン奏者、作曲家である。
(デュクリュックはデクリュックやデクルックなどと表記されることもある。以下デュクリュックと記載する。)
1896年にフランスに生まれ、1954年同地で亡くなる。
夫はサックス奏者のモーリス・デュクリュック(混在を避けるためここでは彼のことをモーリスと表記する)である。
モーリスはニューヨーク・フィルハーモニックの専属サキソフォン奏者だった。サックス吹きならここで驚くだろうが、サックスが専属でいるオーケストラはかなり珍しいのである。やはりそれは後にも先にもモーリスだけだったそう。
夫の影響もあったためだろうか、デュクリュックは30代頃から盛んにサックスの作品を作り始める。
モーリスとの出会いは、デュクリュックが演奏活動でアメリカを訪れていたためだろう。
ちなみに晩年近い歳になって離婚しているそう。(木村圭さんのブログにて記載されていた。ほかに書かれていることも面白いのでぜひ読んでただきたい。)
そしてアメリカには何度が訪れ、滞在しているのだが、この頃はまだフランソワ・コンベルやマルセル・ミュールといった名手たちと連絡を取ってなかったことも驚きである。
デュクリュックのサックス作品は40作を越えている。
(詳しい生い立ちは栗林さんのブログを参考にしていただきたい)
晩年は作曲できないほどの病に悩まされ、室内楽の小品や既存曲の改訂に専念していた。


2)ソナタ嬰ハ調について
1994年にソナタ嬰ハ調は作曲された。元はオーケストラとサックスのために書かれた。
全4楽章から成り立つものの、楽章間の切れ間なく演奏される。ヴィオラ版も同時に作られている。
ときおりプログラムの表記でソナタ嬰ハ「短」調となっているのを目にするが、これは間違いであろう。確かに曲は短調なのだが、作者はソナタ嬰ハ調(楽譜ではUT♯)としか記載していない。これは作曲者に対して失礼だ。
またヴィオラ版がなぜ作られたのか、どちらが先に作られたかは不明のようだ。
楽章につけられたタイトルは以下の通り、
一楽章:主だったタイトルなし。
二楽章:Noel(=クリスマス)
三楽章:Fileuse(=ミシン/糸紡ぎ)
四楽章:Nocturne et Rondel(=夜想曲と詩)

さてここで何点か確認事項がある。
まず出版社。社が違うのか版が違うだけなのかわからないが、上記のものとは異なる楽譜があるそうだ。これに関しては楽譜も異なっているようなので後でも触れたい。
ただ、これ以降の話では僕が所持しているビヨドー出版(Billaudot)とし、異なる楽譜を旧版と仮定する。(旧版の楽譜に関しては吉尾さんのブログを確認されるのがいいだろう。)
もう1点。三楽章Fileuseに関してだが、副題を糸を紡ぐ女と表記することが多い。これは同タイトル曲である、フォーレ作曲のぺレアスとメリザンドから酷似していることから、同じく糸を紡ぐ女としているのでないかと予想する。
酷似している様子などは後述する。


3)各楽章について

3-1)一楽章

上記に記載した通り、一楽章に副題はないのだが発想標語よりTrès modéré,expressifと題されることもある。
曲はcis-mollでピアノ独奏で始まり、暗く怪しい主題が印象的である。この主題はのちに何度も出てくる。cis-mollをシューベルトは後悔の嘆きと言ったそう。この曲にふさわしい表現である。
ちなみにこの曲はソナタであるが、ソナタ形式ではなく楽曲としてのソナタだそう。(聴いた話のため確証はない)
2小節目からピアノに奏でられるモティーフをⒶとする。そして7小節目からのピアノのモティーフをⒷとする。
すると7小節目でピアノがⒷを奏でるうえで、サックスがⒶのモティーフを吹いていることになる。
12小節目ではこれ逆転し、サックスがⒷを、ピアノがⒶを演奏する。どちらのパターンも互いに掛け合いとなっており、二つのモティーフが入りざっていくのは聴いていても、吹いていても形式美を感じる。
その後、転調を何度か繰り返しまた主調へ戻ってくる(70小節目)。ここでもサックはⒷ、ピアノはⒶのパターン。9番より同主調Cis-durとなり曲は高らかに開放の喜びを歌い上げる。そして華やかなまま一楽章は終わりを告げる。
補足:63小節目ビヨドー版では1拍目の裏はレシとなっているが、旧版ではレドとなっている。

3-2)二楽章

副題はNoel、クリスマスのことを意味する。こちらもcis-mollでサックス独奏から始まる。
39小節目から始まるサックスのメロディーは51小節目からピアノが演奏する。63小節目で同メロディーをピアノが奏で、冒頭のメロディーをサックスが演奏する。デュクリュックはモティーフを重ねるのを好んでいたのだろうか。それとも得意としていた手法なのだろうか。
しかしここではピアノのメロディーは不意に終わりを告げ、17番より冒頭のメロディーが、78小節目からはサックスを追いかけるようにピアノが演奏する。そして92小節目から冒頭の再現部ということで同じメロディーが演奏される。
二楽章全体を通してかなりしつこく思えるが、仮にこのメロディーがクリスマスに歌われる民謡みたいなものであったり、デュクリュックが耳に残したいが故にしつこく書いたのかも知れない。
補足:旧版では副題がなくAndante以外記載がないそうだ。それならそれで曲のイメージがらりと変わることだろう。
訂正部:ビヨドー版サックスパート譜92小節目。主調に戻るためフラットが足りない。94、101、103小節目などで臨時記号として記載されているが、それでは98、106小節目にフラットがつかないことになってしまうため間違い。

3-3)三楽章

先にも記載した通り、副題は「糸を紡ぐ女」とつけられている。だが明確にそのことが記載されているわけではない。
以前、デュクリュック本人がつけたとの記事を見た覚えがある。(出典は忘れてしまった)
個人的には糸を紡ぐ女を表現したというより、糸を紡いでる様子を音にしたのではないかと考える。上記にはミシンと訳をつけたが、あくまで現代的な話であり、やはり糸織り機のようなものではないかと感じる。
ジャン=フランソワ・ミレーやベラスケスの同タイトルの絵画を見れば、僕が言いたいことが具体的にわかるはずだ。
そして上記で触れた通り、フォーレのぺレアスとメリザンドとの酷似について。
速いパッセージの使い方、旋律の短さや出てくる個所など、構成がかなり似ている。というよりは、デュクリュックが意図して作り、フォーレと同タイトルをつけたのではないかと考える。ただ、フォーレとデュクリュックの関係性がわからないため、詳しく調べたい。
espressivoが重要な役割を果たす楽章である。
訂正部:ビヨドー版サックスパート譜で33番の伊表記がun poco meno mossoとなっているがun poco meno vivoの間違い。

3-4)四楽章

この楽章のみcis-mollではない。冒頭はDes-dur。サックスのメロディーに夜空の月や星を眺めるような儚さを感じるが、途中から入ってくるピアノが5音のasを連続で奏でるとこにより、孤独感と言うのだろうか、幻想的な雰囲気を作り出す。
34番と37番で同じモティーフだがメゾスタッカートに注目し、演奏法を変える必要があるだろう。ただ切ればいいというものではなく、ここではノクターンのイメージの中で、つまりはヴィオラの演奏を聴くのが良いだろう。あたかも当たり前のように演奏するのは曲の雰囲気を台無しにしてしまうかもしれない、ハーモニクス奏法をしているように丁寧な立ち上がり、処理を考えなければならい。
そしてRondelだが、意味は「フランスの詩の形式、2つの韻を踏む10または13行の詩の形式」となっている。
根拠のない、全くもって個人的な解釈であるが、2つの韻はRondel部の鍵を握る「割り切れないリズム(三連系)」と「割り切れるリズム(16分音符や8分音符のリズム)」であり、10または13行というのはフレーズの範囲を指しているのではないかと考えている。
例えば38番から40番までは13小節で区切れる。そして51小節目から42番までは10小節で区切れる。
91小節目からは何度もテンポを、リズムを、延ばしたり縮めたりして音楽の内なるエネルギーを溜めていく。サックスの短いカデンツァを挟み111小節目でそれは開放され、華やかに音楽は終わりを迎える。
この楽章、特にRondalからは三連系と割り切れるリズム(16分音符や8分音符)の明確な違いが必要となる。最も顕著なのは55小節目と56小節目であろう。スラー内のテヌートをいかに上手く利用するかが演奏を左右するのではないだろうか。

4)全楽章を通じて

この曲は常に音楽が流動的である。つまりテンポは一定であり、一定でない。アゴーギグのつけ方にセンスが問われるだろう。
モデラート(moderato)は日本語の一般的な辞書では中ぐらいの速さでとなっている。別な角度から見れば速くなってしまえば遅くすれば良いし、遅くなったなら速くすれば良い。中ぐらいのテンポに持っていければいいのではないだろうか。
そしてffが全体的に現れることが少ない。
pp,p,mpの方が多く現れるが、ここに色彩感の違い、が求められ、ffがいかに重要な個所に現れるのかが読み取れる。つまりは小学校で習うような「p=弱い」では演奏に変化が生まれないのだ。
なぜpなのか。前後関係から、和声的な関係から、フレーズやモティーフの関係から、など探せば切りがないかも知れないが、個人の解釈、理由付けがある演奏とない演奏では雲泥の差が生じる。

5)まとめ

デュクリュックはアメリカ滞在中にも多くの作品を生み出したが、フランス色がかなり強い。まるでドヴォルジャークが外国へ行き、新たに自国への想いを曲に託したかのように。
発想標語なども伊語で書かれていたりするが、仏語でも意味、音楽用語以外の使い方も調べると曲が見えてくるかもしれない。
ヨーロッパは快晴というものがほぼない。というよりないといっても過言ではないだろう。常に雲がかかっており、急激な雨(スコール)は日常茶飯事だそう。
しかしながら印象派の絵を見ると水や隙間から見える空というものは美しく、生命が宿っている。画家が絵に命を宿すように、作曲家が思い描いたものに演奏家は命を宿さねばならない。

6)その他

個人的おすすめ音源
○クロード・ドゥラングル(sax)/オーディル・ドゥラングル(pf)
○原博巳(sax)/伊藤富美恵(pf)
○デュオ・ゴーラン=リヴェラン(sax)/不明(pf)
○井上麻子(sax)/藤井快哉(pf)

参考にしたブログ
○栗林さん(diary.kuri_saxo)
○木村さん(SAXOFOCUS!!高校→浪人期)
○吉尾さん(徒然音楽日記(新)saxophone-Yuki Yoshio)



2016年10月26日
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