katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイとお母さんの相席教室

2019-06-08 01:50:38 | モザイク教室
今日は午前中、父の検診があって、1時間ずらして貰っての、キウイとお母さんの相席教室。お陰様で数値も悪く無く、何事も無くスタート。キウイは一度失敗した向こう岸をやってたけれど、何しろ緑が満載って作品なんで、どうしても色はかぶって来るし、いかにメリハリを付けるか?が問われる。

その時、上手く切れるとついつい葉っぱの形に切れるようになると、きちんと大小の形を切り分けようとする。となると、メリハリって言う部分を色合いだけで何とかしようとしてしまうのね。これではごちゃごちゃしているように見えると思うのね。それをあえて、切れる癖に切らない・・・。

こんな事が大事だと思うのね。つまり人の目の仕組みで近くはハッキリ、クッキリ見えても、遠くは曖昧に見える・・・これをそのまま作れば良いと思うのね。先日の棟梁、りょうさん、ラパンさんの相席教室の時も同じような話が出たんだけれど、例えば言葉で、あれ、これ、それ・・・と2文字の表現。

この違いを説明して見て・・・って聞くと、3人が戸惑ってバラバラだったんで、じゃ、指を差して見て・・・となったら、あれは遠く、それは真ん中、そしてこれはもう指が届きそうな距離を差したのね。こうしてハッキリと違いが判れば、そうするにはどうするか?になるのね。

これは届きそうな位だから、自分の出来る限りの精密さで、ではあれは?となった時、あれは遠くだから、作れようが作れまいが曖昧になんで、上手く切っては行けないのだから、クラッシュを多用し、色合いだけに頼るように作る。となると、難しいのは常に0か100かのハッキリした部分では無くて、それ

・・・つまり一番人それぞれの部分になる。例えばこれ。これは上手さがハッキリと出る。しかしこれも難しいのは小さめにすると、達者な人でも葉脈まで作れないから、上手さを見せられない。やはりある程度の大きさにし、繊細さを出せる大きさでスタートするべきであろう・・・なのね。

そこでハッキリと精密さで差を見せて、あれに入ると、あれは上手さ、精密さを出すと差を出しずらい。そこでその切る精密さの技術を封印し、色合いとクラッシュの大小だけの表現を心掛けると、もうすでに差としてのメリハリは付く。そして問題のそれ。それはその人、その人で判断が違うのね。

つまりこれに使った繊細さを入れつつ、あれに使った曖昧な色合いのみのクラッシュをどの割合で混ぜるか?・・・なんで、仮に初心者のような人が表現するのなら、手前であるこれにほぼ全力を使い、残りの余力でちょっと大き目なクラッシュのパーツからスタートし、それを作りつつ、段々小さめで、

あれに入って行く・・・みたいな感じになったとしたら、キウイとなれば、それでは物足りない。しかも難しいのはこれ。これの部分の葉っぱが葉脈も作れない程の小ささ。しかも焼き芋みたいな形の繰り返しでは、正直そこそこ慣れれば誰でも切れる。そこで圧倒するだけの差にするには数が必要になる。

要するに戦の歩兵やアリの群れ。弱い威力は数で圧倒しないと迫力が出ないのね。そう言う意味での数は十分にある。ただ切る事が上手いだけに、あれを表現するにも、それではこれの葉っぱの4分の1くらいで・・・・って安易に切ると、そこもきちんと出来てしまうと、メリハリは色のみになる。

そんな注意を心掛ければ、0か100かのような表現はほぼ解決するはず。だから常に上手くなったら難しいのはそれ。それって言うのは、0でも無く100でも無い。これをいちいち説明いる?いらないでしょ?つまりそれって言うのは、52なのか?63なのか?45なのか?みたいな話で曖昧な話なのね。所が数字って、

説明には便利なのだが、馬鹿馬鹿しいのは、50と答えてしまう事。勿論、数字では合っているのね。丁度半分みたいでね。所が滑稽な事に気付くのね。何故なら2つしか無い平均、つまり0か100かと2人の平均は50・・・これを塾の平均点って表現にしたら?滑稽になるでしょ?つまり50なんて無い。

それを言いたいのならある程度の数がいて・・・その平均値って言う話で、底辺が多いからの値の話なんで、繊細と曖昧の2つの半分で作って・・・こんな指導あるはずが無いでしょ?しかも人それぞれの繊細でスタートして、あれに付いては中々差は出なかったとしても、それ・・・。ここでしょ?

やはり上級者の見せ所は・・・ね。つまり100よりのパーツをいくつか入れつつ、0よりのあれをそこに入れつつ、0よりで47とするのか?100よりの63にするのか?みたいな考え方をして作って行く・・・ただそうやって行った所で、曖昧な部分とぶつかった時と、繊細な部分にぶつかった時・・・。

ん・・・先日の岡田君の関ヶ原って映画では無いが、徳川に付くのか?はたまた石田に付くのか?小早川・・・ってあんな感じ。最後の最後まで微妙としつつこっちより・・・みたいな表現はとても気紛れなのね。だからちょっとした事で変わってしまう。とても難しいゾーンがそれ。

俺は常にこのそれ・・・って部分を意識するのね。そこの表現1つでどっち寄りになるか?戦争なら敵と味方に分かれる事になるのだから、さじ加減は重要である。なんてね。これがお母さんとなると・・・


今度はどれもこれもこれ。近いでしょ?どの花も。だから繊細さばかりが要求される。ただ今度は、ん・・・じゃエリートって比喩に変えよう。さっきのは繊細と曖昧なんて両極端がいるのだから、公立みたいな感覚で、この地域の人集まれ・・・的な話だから、平均値にインチキが生じる。

何せ0から100だからね。所がこれをエリートとくくると、既に50以下なんて切り捨てな感覚だろうから、想像するに60から100みたいな感じに思えないかな?・・・だとしたら、お母さんのこの花は、繊細だらけの・・・エリート作りみたいな感じの表現になる。だからラフな部分でも60・・・。

ってね。じゃ理屈はそうだとして、実際には・・・となったら、鼻の中心部はキュぅぅっと締まっている感じで、花びらが外に向かってスゥーっとって擬音で表現すると伝わらないかな?ギュュっとは詰まっている感じで、スゥーっとは長い感じ。だから、花の中心部はクラッシュで繊細に作り、

花びらを外に向かってクラッシュを辞めて、縦長に・・・って作ると、メリハリが出ると思うのね。所がさっきはクラッシュの表現を曖昧にで使ったのに、今度は繊細に使うの?って難しくなるが、キウイのはスタートの葉っぱが簡単な歩兵だから数。お母さんのは戦の前日の武将の会議。

つまり偉い人達のような1つ1つの花が何番隊の大将みたいな感じに大きく、それぞれの特徴を出しやすいから、いかに何番隊の大将なのか?の違いの表現を作れる大きさなのね。その時に、クラッシュを緩めに目地幅を取れば目地を入れた時、目地の色で曖昧にするテクニックが使える。逆にキッチリ

にすると、目地を入れても左程影響が無く、そのタイルの色合いになる。しかも1色で無く何色か使うと混ざって見える・・・クラッシュも使い方で繊細にも曖昧にもなる。まぁこの2人の相席は楽しい雰囲気とは違って、かなり高度な事をしていると思うんだけれど、意識はほぼ無いのね。

だから、上手く行かない時間が長くなるのは無理が無いんだけれど、何しろ意識が少ないから、疲れちゃったりするのは、調子が悪いから・・・と思ったりするみたいだけれど、本当は難しい事しているからなのね。って、そんなお教室の後に、リバティさんが来て、来月決まった仕事の打ち合わせ

・・・タイルの見本を持って来たのね。色も種類も決まったみたいで・・・後はリバティさんの下絵のみ。一体どんな絵が出て来るのか

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