katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ノアさんからの依頼作品

2019-06-06 06:45:43 | モザイク作家
今日は朝からホームセンターに、作品の後ろに付けるぶら下げる時に使うフックを買いに行く事からスタート。これは常に無いと困る金具なんでね。それと湯婆婆の車輪を止める金具も先日引いていて落としちゃったんで・・・それと棟梁のニッパーのバネ・・・頼まれていたんで。

そんなこんなでノアさんからの依頼作品を1日、久し振りにやったんだけれど、正直中々進まないし、これで良いのかな?と思ったりする。単純に表現すれば、自分が良く思うかどうか?って話なんだろうけれど、そうじゃなくて、これでノアさんは喜ぶのかな?・・・なのね。でも、実際はそうじゃなくて・・

全て何かをする時、それを選んだ意味ってものがあって、この部分はこんな事の意味があるんだけれど、そう見えるかな?とか、こんな事に意味があったとて、それを良く思うのかな?とか、場合に寄っては押し付けにはなるまいか?なんて考えたりもする。例えば、100均のものを一生は使わないでしょ?

けれど、金額もそうだけれど、恐らく簡単には捨てられるようなものでは無いはず・・・そうなると、良くも悪くもノアさんのこれからの人生のお供をする事になる。それが良い時なんて、これがあろうが無かろうが過ごせるが、悪い時・・・一体これをどう見る事になるのだろうか?と常に考える。

どの作品もそうだったが、良い時なんて素敵ね、綺麗だねでも良いじゃない?でもね、その人がずっと笑っている訳じゃないのね・・その時にも、そこにある事になる。これがね、別に動く訳じゃないし、どんな時もそのままなのに、見る人の環境状況が変わると、そのもの自体が変化はしないのに、

ある時突然、昨日とは違うように見えたりする事が多々あるものでね・・・勿論それは、そう見えるには・・・と作っていた訳だから、作り手としては当然であっても、見る側の人には早々は伝わらなかったりもするが、その日が来た時の為の制作だったりもするもので・・・。

例えば、音楽なんて特にそうだけれど、歌詞も知らずに聴いていたものが、急に歌詞の意味を知ったりして、心に残ったり、逆にあれだけ聴いていたのに・・・ってものをある時から聴かなくなったり、感受性、感性・・・感ってものなんだけれど、常に表現者サイドの人達は、作る側として意識して、

作っていると思うのね。それが自分の思うがまま・・・って天才肌の人みたいな人は、意識なんかしていないって言うのだろうが、こうでないか?こうかな?と悩み考え、試行錯誤するものだと思うのね。自分がそう感じた・・・それをどう伝えようとするか?って。その手段が、耳、口、目、手、鼻みたいな

耳から聴覚、口で味覚、目で視覚、手で触角、鼻で嗅覚と言ったように、どの分野でも作り手はそれを各々の技術を屈指して伝えようとする訳で。その時に軽さと重さがあると思うのね。軽いのは楽しみ、趣味的な時間の使い方だと思うのね。ただ即効性があって、瞬時に楽しい結果が付いて来る。

例えば耳なら日常なら音楽を聴く、非日常ならコンサート、フェス・・・同じ曲でも興奮度は違ったりして、テンションはすぐ上がる。これが口なら料理、これもお腹が空いた時のおにぎりは、有難いね・・・だったり、外食で素敵な料理は非日常でとても満足感を得られたりもする。

目は映画、美術展、演劇、あっコンサートは耳って言うより目かっ・・・手は触れるなんて、先日のふれあい動物園のような、そして鼻は香り・・・。なんて事があったりして、ただこれをまた2つに分けると、五感でも日常と非日常があって、お母さんのおにぎりとコンビニでは違って来るでしょ?

つまりその人その人の付加価値みたいなものがあったりするのね。もし仮に母と遠く離れてしまった人だったり、亡くなってしまってもう食べられないって人は、たった1つのおにぎりにも価値を見出せたりもする。けれど、働いていてお金があるなら、コンビニで買ったおにぎりに感謝こそしても、

そこにそれ以上の付加価値を持てなかったりする。でもそんな人もいつかそんな事を感じる日が来たりするかも知れない。もっと言えば、こんなに世の中には沢山のモノがある中での作品依頼。だからこそ、そこに俺にしか出来ない作品って・・・って意味を感じるのね。別に頼まれてはいないかも

知れないけれど・・・そこまでね。でも、逆に3年以上もお待たせしているのに、何も言わずに待っていて貰えるのは、それだけ欲しいと思われているのだから、その意味も踏まえての制作となると、何のプレッシャーも掛からない方がおかしいでしょ?ただそれでも限界はあって・・・。

お金も納期も気にしないなんて事は無理だし、でも昨日の余裕の話では無いけれど、生活を脅かす程は出来ないし、逆に制作する為の資金を稼がないと、お金欲しさにに進んでしまっては意味が無くなる・・・しかし、余裕が無く作れば、この作品に苦しい事をどう乗り切ったか?が入り込み、逆に

余裕があれば、心に余裕がある分、この位は出来るかぁ・・・って事にも繋がるし、いずれにせよ、作っているのは機械では無く人だって事なのね。だから感情なんてもんもある。いずれにせよ、そんなこんなでここまでは来た・・・後は終わり方なんだろうが・・・そろそろ連絡して見ようかな?

本当の気持ちは相手に聞かないと判らないものだし・・・。ただ聞いた事をそのままだと単なるイージーオーダーな感じになっちゃうが、それを聞いてからの俺の判断にしないと、それなら最初からノアさんの言う通りに作れば良かっただけ。つまりウチの犬を作って・・・と同じ感覚。それでは、

似ているか?似ていないか?のみ。恐らくノアさんはkatsuって人を芸術家として作らせてくれているので、匠としての工芸を欲しいと思っている訳では無いから、そっくり・・・って事じゃなくて、俺の解釈で良いと思うが、正直、その人の人生をどう作るか?なんてテーマ、思い違いは嫌なのね。

ただいずれにせよ、そろそろ終わりも近い感じもする・・・

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