katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuくんの日記

キウイとお母さんの相席教室

2018-11-06 02:55:19 | モザイク教室
今日はキウイとお母さんの相席教室。そんな訳でお母さんのオルテガ柄のトレイから・・・もう誰でも見てすぐに感じるのは、こんな三角のタイル売っているの?・・・って思う位の精度の良いパーツ。当然こんなにきちんと切ったら物凄く大変なのね。


勿論、こんなにきちんと切らなくても良いですよ・・・とは言ってあったんだけれど、本人はケロッとして切っちゃっているのね。それならそれでも良いけれど、本人はケロッとした感じであっても、実際はここまでやると本当は無意識なだけで、相当苦労しているのね。そもそもこんなパーツは何度と無く

切り直さないと、これだけの精度にはならないのね。しかも何も教える事が無いのね。そうかと思うと、キウイは・・・


女の子の右側あたりのバックをやっているんだけれど、お母さんと同じできちんと同じようなパーツを繰り返してしまうのね。実はそれがメリハリを無くしてしまうのね・・・しかも抜けたりして隙間な感じを出さないと、ぎっしり詰まっている感じになっちゃうのね。

例えば髪の毛をすく・・・なんて感じの表現ってあるとすると、空かないとどんな感じで、すくとどんな感じなのか?とか、街路樹とか植木屋さんとかのあれなんかも同じでそんな感覚で、やるのとやらないのの差みたいな事を感じると見えて来るものがあると思うのね・・・・。

要するにキッチリはピッタリなんて言葉が似合っていると思うのね。かと思うと、髪の毛を切るなんて場合は、長さ調整だったりするが、すくって場合は重いのを軽く・・・なんて表現があったりする。何でも良いが、そう感じるような例を沢山あげて、今自分のやっている事と照らし合わすのね・・・。

同じ点のようなパーツの色違いなのね。つまり色以外はほとんど変わりない。しかも色も大体が緑となると、主張するのはどれで、脇役的なものは何?って言うメリハリが付きにくいのね。つまり緑の塊みたいになっちゃうのね。しかも女の子の服も緑・・・これが更に追い打ちを掛ける事になるのね。

こんな時に、俺は足し算と引き算みたいな話をするのだけれど、ついつい上手い人になると、これでもか、これでもか・・・と意識無く足し算的になる。そうね、例えば靴を新しく買って、洋服と合わせようとしたら、何かスカートも・・・あっ上着も・・・インナーもか・・・みたいな。

いや、こっちの比喩かな?壊れた部分のリフォームだったのに、そこが新しくなったら、こっちも、いやここも・・・と言ってたら一部屋丸ごとになった・・・みたいな話。つまりこんな理屈を今までの話なら予算の掛かる話なのに、やる気1つで上手い人はみんなやる事が出来るのね。

所があれもこれもとやろうとすると、主張に主張を重ねるから一体何をどう見せたかったのか?判りにくくなるのね。例えば青を入れたら緑も欲しくなり、黄色も入れたらオレンジが入れられて、なら赤も入れるか?みたいに賑やかにはなるけれど、一体何をどう見せたかったのか?になったりする。

これは色の場合ね。それを形となると・・・気が付いた人はいるだろうけれど、何故キウイのように色んな形が切れるのに、同じような形を繰り返すのか?・・・そこに意味があるのか?無いのか?そしてもし意味があるのなら?それとこのメリハリの無さみたいな事と引き換えにするほど大事な事か?

そんな比較になるのね。まっこれは是正策の話になっちゃったけれど、元に戻すと、足し算の人は色も形も自由に使えるようになった上手い人であって、バリエーションが豊富なだけに、やり過ぎになるパターンなのね。そこを出来るのにあえてやらない・・・ここを引き立たせる為に・・・。

それが引き算的な発想だと思うのね。つまりここは10で・・・ここは6で・・・みたいなやり方ね。所が今は数字だから4少ないのは判りやすいが、自分ではそのつもりと言いつつ、人にそうは見られなかった場合、メリハリには見えなかった事になり、ただ自分だけの思い込みになったりする。

しかもそうやって作ろうとすると、出来る事をやらないみたいな事になり、性格に寄っては手抜きをしているような気持ちにもなったりして・・・。
恐らくお母さんはそっち寄りな感じになっていると思うのね。だから全てがキッチリ、ピッタリってね。ただ問題はキウイね。

形も色々切れるのに、同じパーツで同じ事の繰り返し。色もあれもこれも緑。はっきりさせるならスカートの色も変えられたのに、意図的にやっている訳で・・・その上、東山魁夷を観に行こうかな?・・・だから、相当ぼかしてやりたいんだろうし・・・。いずれにせよ、すくって行為は必要なのね。

そしてそのすくって引き算的な事は、小さめな1cmのタイルの点みたいなパーツの繰り返しの安定感を壊す考え方だと思うのね。つまり相反する事が必要になり、小さいから大きいのが必要だし、けれど同じタイルでは大きい分主張し過ぎるし、そこでガラスタイルで・・・って事になる。

その時にタイルなら白とか薄い水色とかなら木洩れ日的な葉っぱと葉っぱの間から覗く光みたいな効果が、髪の毛をすくとか、刈る的な表現だったりして、緑じゃ無いもので隙間を作る・・・みたいな事になるのだけれど、キウイの考えはまだそこは湖の場所なんだ・・・なのね。

だから増々厄介で・・・また同化しちゃうのね。そこを薄いガラスタイルで今までより大きめに入れる事で、何とか隙間に見えるようにする・・・そんな話をしたんだけれどね・・・こんな難しい話は相席の時には難しいからね・・・いずれにせよ、中々難しい事だったりもするのね。

何しろ引き算的なものは足し算的な発想の逆な部分であって、ある意味考え方が逆行する感じになる。けれど、難しい事だったりするって言うのは、その人がそれを必要かどうか?って気持ちにならないと、上手くなった足し算的とは全く反対の考え方で、保守的な状況では受け入れずらい。

何かを変える時には捨てる事も必要になるし、実はそれは捨てた事では無く、もう1つ新しい事が入って来る事に繋がるんだけれどね。そんな中、久し振りにキウイが自宅でやる・・・って作品を持ち帰ったのね。本人曰く、芸術の秋らしいのね・・・あはははは。じゃ早めに頼むわっなのね。

秋は短いし・・・ね。

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習い事
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