katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ワンちゃんとみどりの相席教室

2019-10-08 06:27:44 | モザイク教室
今日はワンちゃんとみどりの相席教室。それがプレゼント作品なのは知っていたけれど、今日完成して持って行きたい・・・って事らしく、5時にはここを出たい・・・との事。もう少し時間があれば余裕もあるけれど、目地にペンキとなると、仕上げに1時間以上は掛かる・・・。

だから結構忙しい感じになりそうだったのね・・・。勿論、先日置いて行って貰ってペンキの1回塗りは終えてある・・・そんな準備はしていたけれどね、何しろ1cmタイルにガラスタイルを使っているから、ぺきぺきと違って目地の水分は引く事が余り無いのね。だから中々乾かない。

つまり目地が乾かないって事は、張ったばかりなのに・・・って事で、張ったガラスタイル自体も乾かないから動いてしまうだろうし、場合に寄っては剥がれる可能性も高いのね・・・・しかも中々の細かさ・・・もっと言えば、張り終わるのがギリギリ・・・そんな事になるだろうし。

そてそんなこんな中、始まるんだけれど、先日も触れた3色選んだピンクを混ぜて張るんだけれど、モノには理由があって、見た目で判断するものだったりする事を考慮に入れると、3色共に特徴があるのね。だからどんな?を考えると・・・濃いのにはキラキララメが入っていて、前回触れた

けれど、そのキラキラが意味する事は、これ自体が主張するから目立って行く。つまり置く場所が仏壇の横となると、見て下さいぃぃとなる。勿論、それがよろしいって考え方なら、物凄いアピールに繋がるからそれで良いんだけれど、そもそも薄味が好きなワンちゃんがそれを好まない。

ならば控えめの方が良いだろう。そうなると控えめ具合い・・・普通はトッピングと考えれば、メインのソフトクリームにチョコチップパラパラ・・・みたいな感覚だろうから、沢山乗せればソフトクリームの色を邪魔するし、わずか過ぎると返って目立つ・・・。

例えばバニラの白に色鮮やかチョコチップだと白に見事に生える。ただ今回の場合は、モカみたいな黄土の中にチョコ色の茶を入れる感じなんで、馴染みながらの主張って事になると、それでも入れ過ぎればキラキラが目立つ。目立つとどう見えるか?となった時、やり過ぎれば下品にも、

思えるのね・・・何せモザイク・・・既に照りもあるし、明かりも絶え間なく付くような場所であり、他の仏具等の邪魔をしない控えめさも必要だろうし・・・けれど地味になり過ぎる必要は無いだろうし、その辺のさじ加減が大事になる。そんな中、決まったのは上の方までは張らない。

そんなさじ加減でトッピングが決まって、後2色。じゃメインはどっち?って事になるんだけれど、ここでそれを決めないと、これで見切り発車って事になると、大抵は好きな色の方に寄るのね。って事は、ワンちゃんの場合、薄味になる。でもどうだろうか?もし薄味の中に一番強いラメが

入ったトッピング・・・逆に目立たないだろうか?つまりそれを入れる時点で、既にメインは普通にピンクとなり、好きな薄味を少なくどう生かすか?・・・みたいな感じになると思うのね。しかも薄味が好きだから、意識しないとそっちへ引っ張られる可能性が高いのね。って話を戻して、

普通のピンクの場合、どんなイメージか?となると、この3色の中では一番若々しいし、可愛い色合いでもある。ただ、逆に言えば若々しいとか、可愛いは、幼いとか、幼稚とか、そっちへ向かう可能性もある。そして一番薄い色は、清楚とか主張せずとか、地味とかシックとか、無難なんて

言い方も当てはまるのかもね。つまり仏壇横の場所でプレゼントとなれば、一番安心なのは、既にこのグレードの菊で仏花として成立しているのだから、ワンちゃんの大好きな薄味のガラスタイルだけで2色ほど選び、無難なんてバックにすれば、何の問題も無く安全だろうと思うのね。

ただ、問題は付き合い方。これを持って行って飾って下さる関係性なのだから、もう少し自分の思いの丈を出せる・・・って環境にはあると思うのね・・・だからワンちゃんはトーンを上げたんだと思うのね。問題はその時に、控えめな感じの人が上げる場合、そもそも控えちゃうから

普通に見たら、左程上がっていないから、もっと・・・ってアドバイスになるけれど、そこを判っていて頑張っちゃうと今度は頑張っちゃうから、いつも以上に入れないと・・・になって見たりする。逆にイケイケどんどん的な人なら、全然平気でしょ?って感じに入れると思うのね。

そんな場合は控えめに・・・ってアドバイスになるのね。だって、そもそもイケイケって人は、本人に自覚が無いだけで、周りよりも濃い目なのだから・・・それが普段の自分の作品ならともかく、プレゼントとなれば、しかも仏壇横となれば、格式やら厳格やらの言葉になる。

つまりやり過ぎない・・・って事になれば、既にモザイク自体が派手にも思えるプレゼントなのだから、いつもの作品の仕上がりよりもワントーン下げても下がっては見えない位だと思うのね・・・それ位、そんな時の濃い目が好きな人は目立つものだと思うのね。

勿論これもまた例外で、同じ趣味の方へのプレゼントなら、その人と考え方も趣味趣向も似ているのだから、いつものようにすれば良いと思うんだけれどね・・・何もかも考えれば、こんな風にいくらでも考える事はあって、だからと言って考えたから必ず結果が良いとも限らない。

ただ、考えないでのスタートは感なんで、上手く行けばすぐにスタートなのだから、思ったようにスイスイ進むだろうし、何も悩まずに終われる。しかし感は2度.3度と何度も続かないのは大人なら誰でも知っているのね。やはり根拠のあるものは裏切らない気がしたりもする。

そこで根拠・・・と考えるのだけれど、何をどう?って事になり、今のように順序立てて考えて、そうだとしたらこうかな?・・・って事であって、こうです・・・って正解な訳でも無いのね。結果そう見えたら、やっぱりそうだったか・・・であり、仮にそう見えなかったとしても、

何処の何がそうならない理由があったか?・・・と探していると、その探求心だけは裏切らないもので・・・いつか役立つって時が来るもので・・・勿論、信じる信じないも自由だし、必要ならって話。それで更に続けると、そうして根拠を見付ける作業に慣れて、当たり前のように

なったら、いざやろうとした時には、一旦それを忘れるようにするのね・・・何とも矛盾する話なんだけれど。もっと言えば無かった事にする位に・・・ただ根底にはしっかりあるのね・・・根拠は。けれど、あって無くす・・・そうね、あった上での感を使うのね。そこからが感。

でも感頼みのやり方なら、常に感を研ぎ澄まして、正解を導けば良いと思うのね。ただ俺には教えられない・・・何せそっちの人では無いから。だから一番苦手なのは、やって見ないと判らない・・・って考え方。だったら全てやり尽せば良いだけであり、全ての時間を使い、全ての

お金を投げ出せば結果はともあれ満足するでしょう・・・仕方無いもんね。としか言いようが無いのね。だからお手上げ。でももし教えるのなら、モノ作りに成功だけなんて考えられないから、どうやったら理想に近づけるか?その理想って何か?今ある環境状況でどうなるか?と考える。

だから、ただの色の配置ってだけなら、好きな色を切って並べれば良いと思うのね。でももし上手くなりたい・・・と思ったら、まずは道具の使い手になる事。それには反復練習。そうするとそこそこ切れるようになるのね。そこそこね。そうなったらテクニック。

例えば隠れ文字とかキャラとか。つまり見えていたものが消えたように見える・・・でも消えやしないのね。見えない人がいるって話。つまり見えない人を作るのね・・・それが曖昧にするテクニック。これは昔、お客さんに色弱の方がいて、それを知らずに、手伝ってくれるって言う

から、あの色のタイル持って来て・・・と頼んだら、まごまごしていた時に、そんな話が出て、実はこんな色とこんな色が苦手なんだ・・・って。そう言えば昔、そんな検査があった時、検査に引っ掛かった人は違う数字を答えてたけれど、両方2つ見えていた事を思い出したのね。

そっか、そう言う風に見えるのかぁ・・・って事は・・・と、その時は、見えやすいように、こんな感じ?って作ったのね。けれど、逆に魚のバックを曖昧にして判りづらく作ったりしたのね・・・これで隠れるはず・・・と。本来はこうして身を隠すはず・・・と。

こんな風に、事あるごとに、もしかしたら?ってやって、成功した例もあるけれど、逆に見えずらくなって判らない・・・って事もあったりして、それもさじ加減なんて事に繋がったりもして・・・失敗も多々あったのね。だから、先生って言うのは体験談だったりするのね。

これが知識の先生なら正解しか無いけれど、知恵の先生は自らの体験談・・・良くも悪くも。だから1つ教えれば、100先生は99先生になる。つまり切り売りな訳ね。となると、同じ弟子でもみどりになれば、当然マイナスいくつ先生なんだろうか?・・・俺は。


しばらく振りにじっくり見ると、持った時の重さで終わりが近いのは判っていたけれど、ここまで来たんだなぁ・・・と思いつつ、ワンちゃんと同じ内容だったので、一応触れたのね。別に今更もう言う事も無かったが・・・ここまで出来るのだから、口出しは無用だし、失敗も勉強。

ただね、ちょっと惜しいかな・・・と思って。ではさっきの話。3つのガラスタイル。中心部の鮮やかな茶、周りに使った黄土、そして濃い焦げ茶のラメ・・・色こそ違えど全く同じ。一体どうしたい?・・・恐らく扉が開いたから明るいんで、中心部は鮮やかな茶なんだろうね。

それは良い。廻りの黄土の単色も主張せずに溶け込んでいるから、ヌメッって感じで問題無い。所が濃い焦げ茶・・・こいつは思い切り主張する。なのに女の人のお腹あたりは溶け込むように見えるが、次の段ではドリルのように見える。何故なら主張しない黄土を混ぜないから。

勿論、それが作戦ならそれも良いだろうが、ではこの先どうなるのか?・・・どうするつもりなのか?・・・俺はお腹あたりの混ざった雰囲気がボヤッとして、ほんのりとしているように見えて素敵だと思うのね。けれどドリルのような場所は、明らかにはっきりクッキリした・・。

何故なら、薄いと主張する茶と、濃いと主張する茶しか無いから。これが意識なのね。例えばワンちゃんの場合、小物作品だった。だからトッピングって方法になった。だってバックが狭いから。仮にもっとバックが広かったら?・・・つまりそれがみどりの場合なのね・・・。

つまりトッピングのようなフリになるものを入れて段々と大きく・・・って方法を取る時、今までは外側から攻めて来た。つまり東西の戦いなんかを想像してくれると、今まで西軍で攻めていて、後少しで落とせる所までやってからの、今度は負け戦の東軍の中心部側に付く・・・。

そうなると、負けっ放しな感じは否めない・・・だから、少しでも多く・・・って事になりやすい。だってモチーフが娘の結婚なのだから。でもね、最初から作る時にわずかな光が差して来て・・・の向こうに何があるのか?判らない中で、でもその何か?の方へ行くシーンだったのね。

つまり既に白でわずかの光は描かれているし、明るい茶も十分に入っているように見えるのだけれど、みどりの中ではもっとなんだろうね。そうなるのも、当たり前で外側軍でやっていたのを、急に逆側に立ったら、今度はそっちよりになるのも当然だけれど、そもそもは趣旨なのね。

そっちに立った・・・じゃなくて、わずかな光ってどの位?ってね。ただ、こっち軍からあっち軍って難しいのね・・・そうなると第三国に仲裁して貰う感じって言うのかな?・・・曖昧になるのね。濃くも無く薄くも無く。ある意味、こっちもあっちも主張せずとも言えるし、主張しても

ぶつからない・・・そんな感じに。いずれにせよ、これがこの作品のアドバイスとしては最後になるんで、後はどうなるか?・・ここまで出来たのだから、もう言う事は無いのね。もっと言えば、その上のかぐやなら、聞かれるまで言うつもりも無いし、もっと言えば何1つ見ていない。

ただ、じゃ何を教えるか?_となった時、かぐやとは何しろ話す事・・・もっと言えば、くじら教室みたいなもので、どんなテーマであっても、こう思う・・・を考えて、その立場になって考える。自分の意見なんてほぼ決まっているんで、詰まらない話で、どう思う?とね。

何しろどんな事であっても、それについてどう思うか?のやり取りは正直お互い面倒だし、しかも常に自分の好みの話でも無い。けれど、依頼されるって言うのは、どんな事が待っているのか?判らない訳で・・・常に何にでも敏感にならないと、感じない・・・って言ったらおしまい。

つまりかぐやとはもう最後の最後のやり取りで・・・いちいちモザイクの話はしないのね。むしろ考え方のみ。そう考えると、もうここまで出来るみどりもその域なんだろうね。この作品はそうも感じさせる迫力もある。さてそんな後は、江東区のイベントの下地完成。


ただ、天気が・・・ね・・・心配。

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