katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新モンゴル日馬富士学園の額、かぐや最終日

2020-03-15 08:07:23 | モザイク作家
今日はかぐやの最終日。予定はあくまで未定ではあるけれど、全体としてもう少し進んでいたかったが正直な話だけれど、それでもやれる事はやったし、当然一人でそこまで進めたか?となれば、かぐやがいた分、俺1人よりは進んだとは思うんだけれど、そんなに単純な話でも無くて、良く話に出る規定演技と自由演技。

例えばかぐやの実力って何?となると、あの大作作品の数々。見た事のある人なら圧巻だと思うのね。ではそれってどんな作品?って言うと、自由な作品つまり自分が考えたやり方で進める自由演技なのね。その反対にある、こうしないと駄目って言うのが規定演技。全く合い交わらない話なのね。こんな事があるって前提

で、この黄色と黒の部分は完全なる規定演技で、図面通りにきちんと張らないとならないのね。そうね、俺は編み物をしないけれど、かぐやは編み物みたいと表現していたが、まぁやらないまでも想像は出来るので、判る範囲内で言うと、1つ位ズレても大丈夫・・・なんて言う人ならそれでも良いんだろうが、それは自分の

で、仕事となるとそう言う訳には行かない。勿論、自分のだって嫌だ・・・なんて人なら、仕事ならもっと・・・って事になる。こんな事を踏まえたら、図面がある場合の規定演技的なものは、真似れば似たようなものにはなるけれど、完璧にしようとすれば1つのミスも許されない事になる。つまりただ張るだけ・・・なんて気持ち

では結果として、良くはならないのね。そしてそれを踏まえて、かぐやの上手さとは?となった時、極端に片寄った自由演技の人なのね。その実力のまま規定演技が同じように出来るか?なのね。もし自由演技が人一倍上手く見えるのなら、120点とか150点に見える事になる。と言う事は、ただ張るだけじゃん・・・こんな気持

ちで張ったら、果たして人の評価が120点、150点に見えるか?となった時、恐らく相当見劣りすると思うのね・・・何故なら、ただ張るだけじゃん・・・と見ている人も思うから。けれど、絶対に真似出来ない・・・と思わせる事の出来る自由演技は見ている人に付け入るスキを与えない。これが気持ちの仕組みみたいなものだ

ったりする。その時にもしこの通りなら、結果は見えていて、規定演技をやればやるほど、いつもの結果が得られず痛い思いをする。そして更に、それが自分の作品ならそれを直すにしても小さいモノならやり直すのも良いだろうが、仕事としてこれだけの大きさ・・・1人で直す事は出来ない。手直しには俺の手がいる訳

で。それを直されるかぐやの気持ちは手伝っているのか?邪魔しているのか?みたいな気持ちにまでなったりするが、それでも経験値を積ませるにも、やらせるべきで、最初からそれを踏まえて、どの位進めるか?・・・と考えた時、それでもこの位は進むかな?の理想はあったが、まぁ見積もりが甘かった・・・そんな話。ただ

それを踏まえても1人よりは十分に進んだし、これを踏まえてどうこの後、進むか?になるんだけれど、一旦ここまでだったのね・・・と理想との差を確認し、現実の状況との比較して、これが思っていた事と実際の差なんだ・・・って確認しがちなんだけれど、そうじゃ無くて、本来の今の状況はこれね・・・の確認なのね。つまり

見てもいない思い込みに合わせるのでは無くて、やる前の予期と現実はこれだけ読み違えた・・・として、現実の方で無く、予測予期の練習なのね。しかもかぐやと2人で初めての事をするって言うにはこれだけの時間でこの位ね・・・の基準みたいな話で、今後の進め方の指針になるのね。もっと言えば、これが体験教室。

これを最後まで2人で終わらせられれば、これが体験のコースターみたいな事になる。つまりこれを経て、この経験値でこれ以下にはならない。次はこの経験値を持って・・・になるのだから、最初の1歩としてはまずまずだとは思うのね。ただそれも期日はあるし、他にも受けた仕事があるので、余裕は無いけれど・・・。

そんなこんなで送迎してアトリエに戻って1人進めたんだけれど、結構この規定演技が残っているのね。これが中々難しいのは、かぐやの自由演技と規定演技でも大きな差があるのなら、俺にもあるのね。きっと先生だし・・思われるってね。つまり自由演技のように凄い・・・つて表現がされない分、きちんとだけが要求され

、ただ張るだけなのに、そんなに時間が掛かるものなの?って思われがちなのね。だからこそ大きさや量が必要になるのね。これが大将と歩兵の差なのね。歩兵は何万もの数で圧倒しないとならず、そんな事も踏まえて、デザインとしてもそれだけ必要だった事になる。ただそれをやってしまうと、途中では止められないし

・・・そこはやって見ないと判らない部分で、これもまた経験値としての勉強だとは思うのね。ただね、こう言うのは張っても張っても同じ事の繰り返しで、わんこそばのように味は変わらないのね。そこで本来なら自由演技で箸休め的な事もしたいが、次回のかぐやに規定演技を残しても進みが悪くなる。しかももう後半。

ここからは時間調整も必要になるし、かぐやの得意な事を残して置いた方が得策。そう考えるべきだと考えて進めたものの、これもまた気分な話で、外は雪が降っていたりすると寒い。それは当たり前なんだけれど、例えば演歌の歌詞。暖かくて汗かいて・・・って歌ある?普通は寒くて、厳しくて、凍えて・・・みたいな感じ・・

つまり人は寒さで、孤独のような寂しさのような、そんな気持ちになったりするもの・・・だったりして、ここに貧しさなり、切なさなりを加えたりすると、より一層そんな気分になったりする。そこへただでさえそんな気分に、コロナだったりして、そこに雪・・。人を見送るって言うのは、そんな気分で、田舎のお爺ちゃんやお婆ちゃ

んがまたおいでね・・・と見送るのと一緒なのね。今まで一緒に仕事をしていたのに、そこを離れる奴は心残りだろうし、残るものは1人それを背負って進めないとならないし、いずれにせよ、今やれる事をやる・・・ただそれだけなんだけれど、プレッシャーなんてもんも掛かるし、それでも何しろ完成した時、これがまた何

かの1歩になる・・・と信じてやるしかないと思うのね。

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