katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

フェルメールのリピータ―さん教室

2020-12-06 08:18:03 | モザイク教室

今日は午後からリピータ―さん教室。それまでは空の湯のキーホルダーの追加分の金具付け・・・そうね、元々この方が、一抹のキーホルダーを作った事がきっかけだから、鬼滅の刃の作品を見てくれても、キーホルダーの下地を見ても、興味を

持って見てくれるのね。ただ、ご自分ではたわいもない感じで、それを作ってプレゼントしよう・・・って事が、まさかこんな大掛かりになるとは思っていなかったから、ビックリしているのね。でもきっかけって常にこんなもんなのね。

童話や民話のような話なら、わらしべ長者・・・最初はわらにアブを付けてスタート。何か記憶が薄いから何と無くだけど、どんどん色んなモノに交換して長者になって行く・・・でも最初に触ったものを持ってって事で、わらを触った・・・

そのわらにアブを付けて・・・それが交換する品物の1個目になる。単なる童話や民話の類で、誰もが日本昔話とかで見たり聞いたりした事のある話なんだけれど、俺もこんな仕事に付かなかったら、通り過ぎてしまう話の1つだったのね。

でも今は、そうは思わないのね。何でその話が残ったんだろう?ってね。きっと大事な事だから、伝わって行ったんだろうな・・と。鬼滅だってそう。流行りものかも知れないけれど、これだけの人気で、共感されるものは、それだけの魅力が

あると感じる人が多いから。でもそこには必ず人が共感するものがある。って言うか、あるはず。そこにたどり着いていないから、ある。と断言するより、あるはずだと。例えば、わらしべ長者の話を、ラッキーラッキーの話ってスタートすると、

拾ったわらで長者かよっ・・・って話になっちゃうのね。でもそこに理由があると考えると、最初はうだつが上がらなかった奴がお祈りして神様だったかな?何しろお告げで、最初に触ったものを持って・・・みたいな話で始まるのね。確か。

ある意味、突っ込み所満載なんだけれど、まず困ってお祈りで人生変わるなら、みんなお祈りするわっ・・・って話で、みんな合格するし、みんな成就だわっ。でも、それじゃ身も蓋も無いから、大事なのは素直に人の意見を聞く・・・。

ここなんだろうね。何しろ困って頼んだんだから。それが受け入れられないんなら、頼む必要は無いし、あっちにもこっちにも神様はいるから、それなら気に入った所にお行きなさいって話。ほら多分、これが生き様って話なんだろうね。

わらにもすがる・・・もう神頼みだったんだろうね。もうそこしか無い的に。昔は仕事もそうだった。口減らし的な話なら、奉公に出されたり、修業とか、もう行く場所が無いから、そこで何とかするしか無かった。つまり、わら。

最初に触れた仕事にしがみついたんだろうね・・・逆を返せば、この人そんなに追い詰められたのは、そこまでのこだわりも無かったのかも知れないし、逆にホイホイ付いて行ったのかも知れないが、いずれにせよ、お告げ通りにする。

もう追い込まれているから言う事を聞いたのか?お調子者だからまた聞いたのか?どちらであっても、素直に従った。でも最初に触ったものを持って・・・と言われても、わらだよ・・・そんなもんで道が開けると思う?普通は無かった事にして

もっとマシなもんからスタートすると思うのね。けど従った。多分、ここからがこの話の展開のキモな部分だけれど、そこにアブを結んだ・・・ここ。まず従った・・・素直に。でも次の展開の指令は無い。つまり自分で考えた・・・アブ。

これがオリジナルとして、交換材料になった。もしそのまま、わらを持ち続けたとしたら?次の何かが生まれたろうか?そこは否定はしないが、いずれにせよ、わらしべ長者の成功は無かったと思うのね。それは鬼滅でも一緒。

鬼になった妹が治る保証は何処にも無い・・・それなのに辛い試練に立ち向かう。会う人、会う人全て自分より強い人達が、鬼は殺せと言う・・・それなのに揺らがない信念。今風なのは、最初に祈らないし従わない。自分で始まる。

ただその信念に共感する者達が現れ、周りを変えて行く。どちらにしても、信じ抜く行為は中々難しく、それが正しいと決まっていて、必ず結果が付いて来るのなら、みんな信じて合格だし、みんな成就するだろうしね・・・。

ただ、そう言う事が難しいから、中々出来る事じゃ無いから、凄いし、凄い事だから結果も付いて来ると思うのね。それと、何も背負っていない身軽なわらしべ長者の話と鬼滅では、大きく違うのは、少年が妹を抱えて・・・。

もし平和な暮らしをしていたら、鬼滅の話にはならない。もし妹が鬼になっていなかったら?戦う事は一生無かったろうに。ただ、この世には鬼はいないし、単なる漫画の中の話なんだけれど、作者の思いは必ずある。

それを俺なりの解釈で言うのなら、何も目指す事をしないのなら平和なのかも知れない。山奥に住み、人との交流を最低限にして暮らせば・・・でもそうは行かない。すると、理不尽な事は多々起きる。見た目で判断されたり、能力の違い。

点数、学校名、家族構成・・・平等なんて何処にも無い。比較無しは理想であり、現実は残酷なもの。その中でどう生きるか?昨日までの平和は、家族の病気1つで崩れるし、じゃ家族が無ければ・・・となると、孤独になる。

ある意味、悩みは違えど平等な気もするが、いずれにせよ、わらしべ長者でも、鬼滅でも、わらにもすがりたい的に、信じる者は救われる方に行きたくなるのね・・・自分が今、頑張っている・・・と思えば思う程、感情移入はしやすい。

いつの世もそうした繰り返しなんだろうな・・・と思うのね。例えば同じ作家の宮崎さんでも、カリオストロの興業の失敗から13年後のナウシカの成功。ナウシカで売れても、カリオストロが売れなければ問題無く、ナウシカが名作だっただけなのに、

後からカリオストロも名作になる。時代背景って言うのは、いつもあって、生きろ・・・と、もののけ姫では語るのに、震災を経て、後の作品では、生きねば・・・と変化する。きちんと根拠あっての成功なんだと思うのね。

むやみやたら・・・では無くてね。考えられた結果でね。昔、選択権の無い時代は、巨人、大鵬、卵焼きって言うのは子供の好きなモノとして絶対だったけれど、今は多様化すると、こう簡単にはまとまらない。ただその自由もコロナで奪われると、

ある意味、昔と同じように幅が狭まった分、中々見つからなかったものに光が差す可能性を秘めている感じもする。何も背負っていないから、わらしべ・・・それが俺の歩いて行く道しるべになるのなら?アブになるもの探さなきゃなのね。

でも、そのアブが何だか判るのなら、楽で良いが、俺のアブ・・・何処にいるやら。そんな中での、今回のアブと思われる下地・・・折角、きっかけを作ってくれたから結果が欲しいけど、こればっかはねぇ・・・

いつものようなイベントと違って、先を急ぐ場所じゃ無い。しかも競合する人もいない。そんな中でコロナとは言え、三桁の人数が集まる・・・その中で体験の後に、今までの作品の写真を何人に見て貰えるか?話しが出来るか?

全てはそこであって、そんなのやってたの?って言う人がいないようにする為の鬼滅であって、その準備が地味であったり、大掛かりであればあるほど、当事者感覚のリピータ―さんと話が盛沢山になるものなのね。

出来れば良い土産話が出来ると良いんだけれど。そんなこんなのフェルメールは、少し気分を上げる為に、難しい所より進めましょう・・・と、ターバンをやったのね。オデコ辺りのターバンが埋まって来たのね。かなり雰囲気出て来たでしょ?

本人もご満足の中、進んでいたし、段々と慌てずに今日の分を進めるって言う事に慣れて来たみたいなのね。進むよりも美しさ・・・その繰り返しをしていれば、結果は後から付いて来る。そんな後は、持って行く作品のメンテナンス・・・


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