katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新モンゴル日馬富士学園の額、校章張り終わり

2020-04-01 07:34:41 | モザイク作家
今日も相変わらず、新モンゴル日馬富士学園の額。昨日に引き続き校章の三角部分。何とか3時頃には終えて、いよいよ最後のモチーフの刀。これは太刀持ちって言う人が持つモノで、土俵入りの時に、真ん中に横綱、テレビで見たら右側に何も持っていない露払いって役目の力士と、左側に刀を持っている太刀持ちって力士

がいるのね。つまり今回のテーマの中の1つはお披露目って言う意味もあって、土俵入りだから、両サイドには力士がいるんだけれど、刀を持たせるか?持たせないか?で、ただの力士2人と太刀持ちと露払いとでは、神聖さは変わって来るのね。まぁ言い方を変えればカジュアルとフォーマルって感じにね。そうなると横綱が必要

になるでしょ?それが校章なのね。真ん中になるから。それでお披露目の土俵入りに見せようとしているのだけれど、真ん中には芸術の先生のタイルが何百枚も入るのね・・・・だってこれは額だから。ここが悩み所だったんだけれど、先生方の作品の上に校章が乗る事になるんだけれど、ここは判って貰いたいのは、色んな思

いがあるだろうが、ここに携わると言う事は何らかの形で関わる訳で、でも、何もかもここが継続して貰えないと残る事は出来ない。つまり先生方も支えて、支えられての関係になると思うのね。そう言う事の上に成り立っているものであったりすると思うのね。ただ当然、綺麗事だけを言うつもりも無く、野心と言うのであれば、

太刀持ちや露払いの人達も、いつか・・・と横綱を目指すように、先生方も、より高みを・・・と、これを更なるきっかけに・・・なんて事もあるだろう。そんな色んな気持ちを日馬富士さんに少しでも伝われば、もしかすると、大事さ加減も少し変わって来るかも知れないし、仮にこれが普通の額だったらどうだったか?この額とどう変

わったか?なんて比べ様が無いんだけれど、少なくとも普通で無い分、きっと反応は両極端になる事もあるだろう・・・いずれにせよ、単なるビジネスと言うのなら、少しでも利益を考えるやり方になるだろうから、刀など作らないと思うのね。何せ決まった金額の中での話なのだから。しかし、これを一生残るものとするのなら?

果たしてそんなもので良いのか?・・・それを遠い将来に見た時に後悔は無いのか?となった時、やるべき・・・と判断するからやる訳で。人と違う・・・って方向でやればやる程、個性なんてもんに近づくだろうが、当然人と違う分、リスクを冒す訳で・・・いずれにせよ、簡単には終わらないし、楽も無い。ただ必ずモノには意味

があり、それを相手に感じた・・・と言って貰えた時に成立するもので、こう言う説明みたいな話は、現物を見せた後に必要なものであって、とは言え、ここで見ている人は、生ではお見せ出来ないし・・・まぁお披露目後には、当然アップするんだけれど・・・きっとこんな事を入れるのは、終わりが近づいているからだろうな。

と思ったりする。

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