katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

いろいろあった1日

2010-06-02 22:55:40 | モザイク作家
当然お教室が無ければ作家katsu。しかしこれがそう簡単には行かない所が居候の身。
夏の玉石プレ-トのお教室100人分近くの材料、浦安のでっかいねずみのテ-ブル、

そして今の作品・・・・どう考えても次々に物が増えて行く。俺だけの事を考えれば
喜ばしい事だろうが、ここはあくまで角嶋工務店の倉庫・・・

すでに半分以上使っている。その上に・・・の話なのだ。しかも数週間後には、ここで
仲間の数人がここでテ-ブルを作成するのに集まって来る・・・・もう限界である。

更にそこに角嶋の親父さんがリフォ-ムの仕事をしていて産業廃棄物の山が外にある。
そこに至るまで俺は俺なりに工夫はした。自宅に持ち帰ったり車に入れたり・・・

そんな中、角嶋の親父さんが帰って来る。そこで今の現状を話をして、以前作った
ドレッサ-の話をした。工夫した上で、このドレッサ-さえ無ければ、現状何とかなる。と

そしてもう数ヶ月前から手は打ってあったが、行き詰まり状況にあった。
実は叔父さんとしての俺はこの仕事になってから何もしてあげられない状況なので、

姪っ子にあげる事になっていた。しかし妹から連絡が無く、仕方なく実家に預かって
貰う事にしたと。

そんな話の中、金曜日に廃棄の車が来る事を聞く。更に捨てる物があるのなら出して良い
って話にもなる。更に角嶋の親父は倉庫を片付け始める・・これでは俺もやるしかない。

少しでも捨てる事を増やし、何とか場所の確保が優先になる・・・・
そんな中、少し広くなったろ・・・と言った後に、そのソファ捨てりゃ良いじゃん・・・

と指を指す・・・確かに事務所で以前使っていた今は荷物置き場になっているソファ。
けれど、俺は角嶋の親父にこれは最後まで取って置きたいんだ・・・

売れた時にこれは貰いたいから・・・と。このソファはどん底だった時に、自宅にも
帰らず過ごした。酷い年はこのソファで寝なかったのは1年で4日・・・

ボロボロなソファだけれど、思い出が詰まったソファなのだ。今はこんな姿だけれど
何かまるで俺みたいだが、別にソファとして何も問題無いし最後の最後まで

こいつとは付き合って生きたいと思っている・・・ってこの節は心で・・・
すると、苦笑いしながら角嶋の親父は片付けていた・・・

角嶋の親父が帰った後も片付けをしたが、何しろドレッサ-を運ぶ事が先決・・・・
それから実家に持って行った。

お袋に事情を話し、今度は自分の親父と少しだけ話す事になったが、いつものように
ささいな話から、口論になり帰れと言われて帰宅。

まっ良い機会だから、ここに書き留めて置こう。やはり角嶋の親父が今の俺の親父で、
実家にいた本当の親父は単なる血の繋がりしか無い人と改めて思う事にした。

彼は母の連れ添いであり、親であった時期もあった。しかしもう世話になっているのは
角嶋の親父であり、彼は母とこれからも仲良くやって欲しいと願う。

もう彼と会いたいとは思わないし、母が悲しむから仲良くはしたいと思うが、いっそ
勘当でもしてくれた方が楽だとも思った。

世話になった事は感謝はしているが、彼達の時間の中で俺も多少努力もしたし、
10対0の関係では無かったはず。俺で楽しかった事もあった事だろう・・・・

ならばもう良いだろう。俺のいない人生を楽しめば良い。残り少ない人生なのだから。
こう言う時、俺はいつも思う。

出会いがあれば別れもある。月並みなセリフだが。そしてこうも言う。
遠くの親戚より近くの他人。俺に関わってくれる他人はちょいと質が違う。

そんじょそこらの他人はほぼいないから。単なる知り合いなら付き合う時間は俺には無い
から。俺の時間は本気で必要とする人のもので無駄な時間は一つも無い。

だから彼との時間は無駄とも思った。もう死に顔まで会う事は無い覚悟も出来た。
本当に感謝する。憎んではいないし、感謝もしているが尊敬は一切しない。

感謝はやりたい事がある以上、時に冷酷さも必要。勉強になった。有難う。
しかしその生き方を教えてきたのも彼。時に終わりとはあっさりしたものだ。

出来ればそこまで覚悟が出来たのなら、もう心の中だけで生きていれば良いと思う。
お互いにね。もう得るものも伝える事も生きているうちに終わった・・・・

さようなら・・・おふくろの連れ添いの人。お元気で・・・・




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