katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuくんの日記

くじら教室とキウイが仕込みに・・・

2018-03-04 08:16:01 | モザイク教室
今日はくじら教室。先月が忙しく来られなかったんで、いつもは月末が多いんだけれども、そんな事もあっての月初め。となると、そもそもくじら教室の大半は聴き取りなんで、聴き取る前の情報が1つあって、忙しかった・・・。ここ。何が?なのね。

つまり仕事であったり、冠婚葬祭だったり、色々都合が合わない原因はあるが、くじらに限っては俳句の人であるから、制作が忙しく・・・って事もあったりする。その時に一体何であるか?によって、話す内容も変わって来るのね。そもそも前回まではまれに見る好調のキープであった。

安定感と言うのなら、いつものようにいつもの時間で、いつものペースで・・・この場合、またね・・・って締めれば別に何の問題も無く、笑顔で来て笑顔で帰るって事になるが、今回は何らかの原因があってずれた・・・普通なら何も感じないと思うのね。ただ、気になる人には気になる。

要するにその人の1回がどんな意味があるのか?・・・な訳ね。それが楽しみって言うのなら、楽しみが数日伸びた・・・みたいな感じだろうね。これが例えば待ちに待った旅行とか、コンサートみたいな感じだと、延期になっちゃった・・・ってかなりダメージにもなるだろうね。

じゃ、ワンちゃんやら、ノアさんの1回だったら?結構なダメージになるだろうね。こんな違いがあったりするけれど、来られればリカバリーな気分にはなる。それがもしその前にマイナス要素を持っていたとしたら?・・・。それが病気とお医者さんの関係みたいなもので、必要であれば治療もあるが、

医者に行かない手もあるし、院内感染だってある。結局何であっても全て人なのね。それが何がどうであるか?になる。それがくじらの場合、俳句だった・・・となると、相当なダメージを受けている事になる。例えば働く女性が仕事で成功したとする。当然プラス要素が多いが失敗したとする・・・。

このダメージは大きい。もしそれが責任者だったりすれば、男の人のダメージよりも大きなものになるだろうね。ただこんな場合は、直接ダメージみたいなもので、全てがプラスもマイナスも自分の問題なのね。これが母となると子供の良し悪しの結果であっても、ダメージを受ける。

それは直接では無く間接ダメージな感じになる。そもそも単純にこんな違いがあって、更にもっと細かく分かれていて、前者の直接的なものは、仕事って話をしたが、その場合は生きる為にお金を稼がないとならない事を引き換えにもするので、引き下がる訳には行かない・・・って大義名分がある。

この場合は、どんな形であっても向き合わずに逃げる訳には行かない。だから挫けたとしても何とか這い上がろうとする。しかしくじらの場合の俳句は?となった時、趣味と言えば楽になれる。趣味なら無理する必要性が無くなるからね。なら大して悩む必要は無いはずなのね。

所がそれを生きがい・・・なんて引き上げると、そう簡単な話では無い。そうなると、生きがいでは辞められない。そうなると仕事と同じ位に引き下がれなくなる・・・仕事じゃないのに。しかも、これでも単純な話で、この理屈は仕事が1番でその他は2の次になる順番の考え方だけれど、生きがいって?

何番って話。要するに金以外はペケも一緒って考え方と銀は2位って考え方では全てが変わって来るものでね、そう考えると、生きがいでは飯は食えないが、生きがいが無く点滴だけで生きていたいか?貴方は?って問われたようなもので、そう感じずに順位も付けずに生きると、そうしたマイナスを受けた時

初めて向き合う事になるのだけれど、向き合う自覚も無かったり、簡単に乗り越えられるものなら大した悩みでも無いだろうが、もし自分に取って重要な事なら逃れられるはずも無く・・・しかも大抵は時間が解決する・・・的な話をされたりする訳で。

大抵は向き合い慣れをしていないから、へこたれるし、どうすれば良いか?悩む時間を増やすだけで、何も解決はしない。つまり悩むって言うのは答えらしきものを出さずに時間だけが過ぎて行くものであって、考える・・・これが重要になる。考えると言うのは、正解かどうか?は判らずとも、

何らかの行動を起こすきっかけになる事をしないとならなくなる。つまり自分と向き合わなければならない。つまり悩むのなら、そこから離れ別の事で向き合う事から逃れる時間を多く過ごす事で、その時間を多く取れば俗に言う時間が解決する・・・って事になるだろうね。忘れるから。

しかし、時間が限定され、生きがいとし、向き合わずにはいられない・・・そんな場合、考える・・・ここからは逃げられない。しかも、それは誰もその正解を教えてはくれない・・つまりその人じゃないから、その人になって考える事が出来ない以上、何の助けにもならない・・・って事になる。

それが何でも例外はあって、師弟なんて関係は、技術なんてもんの指導が出来たりすると、それがクリアーになると気分も上々になったりもするが、そもそもが上手くなればなるほど、そんな単純なものでは無く、それを向上させればさせるほど、大事なのは心になる。心技体とはそんな話。

心があっても技術が無いと・・・技術があっても健康で無いと・・・それを逆にすれば、健康であっても技術が無いと・・・技術があっても心が無いと・・・いずれにせよ、そんな向き合い疲れをした時に、折れずに進むすべだったりを自分らしい解決を知るべきだと思うのね。

しかし、大抵は悪くなってから向き合おうとする・・・向き合い慣れもせずにね。本来は全ての先人達は準備と言っているし、みんなも保険に入る。全て何も起こっていない時に準備をする。つまりこの場合、心なのだから、落ち着いている時に落ち着かない時の準備をする事になる・・・。

最悪なのね。ただ本来何事も練習なら、満腹時に献立を考えるのか?空腹になって考えるのか?みたいなくだらない事が練習なのね。準備ってね。しかも、献立なんてスーパー行って品物を見て決めるのよ・・・って言う人が多いだろうけれど、それは何でも作れる腕があるから。

昔ならレシピの通りに買いに行った・・・そんな人も多いはず。それを毎日繰り返したからベテランになったのね。つまり心も何度も繰り返してベテランになれば、本当に大事な場面に出くわす時に生かされるだろうね・・・しかも、大抵大事な場面は重要であり誰もが逃げられない・・・。

だからこそ・・・準備なんだけれど。ただね、ありとキリギリスの話・・・普通はコツコツやらない。技術はコツコツやったりするけれどね。心はねぇ・・・そもそもオリンピックの選手だってみんなそう。あれだけ練習をして技術がある人達が最後は心の問題なのだから、誰もが知っている話。

でも疎かになりがち・・・。いずれにせよ、もしくじらが前回とは違って、心を乱しているとしたら?明らかにこの話は重要になるし、耳の痛い話になるだろう。勿論、そうで無ければ判ってますぅぅって、話になる。常に言っている事はいつも一緒なのだから。ただ受け取る側の問題。

少なくとも前回までは必要の無い話だったからね。今回わざわざ確認を取るのは、その必要性があるように見えたから。つまり前回に戻れれば、良くも無く悪くも無く0になる。それにはこうなった原因を受け入れるべきだし、迷う必要は無い。今は今までやって来た事を今までの気持ちを切らさずに

最後までやり続ける事。ただそれを見守る側として、頑張れ・・・って言うのなら、100回言えば誰でも合格、誰でも治るか?治らない。所詮、掛ける言葉の無い人の苦し紛れの言葉。かと言って、いつも通りに・・・これもまた、そんなの自分が一番判っていると言うであろう。

子供じゃないんだから・・・・。そうなると、こうして向き合わないとならない・・・こんな場合、体裁の言葉なんて何の意味も持たないんで、正直に感じたまま話すしか無く、しかも、自分もそうしている・・・そうして来た・・・もし逆の立場になったとしても、同じ事を言ってくれ・・・。

これしか無くなる。ただ、それが信頼関係の成り立っている場合ならまだしも、裸の王様のようになると、子供が王様裸だよって言っても問題になるのに、大人が正直に見たまま言うと、しかも先生が・・・一体どうなるのだろうか?・・相手に言う時って言うのは、そう言う覚悟を持って言わないと

心に響かないし、だからと言ってそれで正解が見つかる事にもならない。ただ、気分と言うのなら、後向きで意地を張って全力です・・・なんて態度よりは、苦笑いしてそうですね・・・やり切りますって言えたのなら、0には戻った事になる。とても正直な発言だから。

そうなれば結果はともあれ、そこに向き合う姿勢や気持ちが前を向くから、言動が変わる・・・つまりそれが言霊。言ったからやらないと・・・になると、行動が変わる。行動が変われば、今まで何と無く見過ごしていた景色が、違って見えよう・・・その気分になれば、後は芸が身を助ける。

後はこの1か月、くじらが心穏やかに闘志を熱く持って、その1か月を生き抜く気持ちの中から、発した言葉はくじらの全てなのだから、偽りの無い姿であろう。それを評価されれば悔いも少なかろう。そうなるような話はした・・・後は次に来るまで祈るだけ。

少なくとも俺はそうして来たし、これからもそう。きっとそんな人達がまた、そしてまたと繰り返されると、その責任の重みも背負ってやり続ける事になり、それに応えたい・・・そうなりたい・・・になり、その顔になって行くんだろう・・・そう思うのね。

そんな中、途中からキウイがモンゴルの仕込みに来て・・・・


当然、キウイワールド全開となると、一転雰囲気は変わるから、こんな話は薄まって行く。ある意味、助かったのね・・・俺はちゃんとした事を言う事は先生として出来たとしても、その雰囲気を変えるすべが無い。つまりボケと突っ込みの関係なら、ピン芸人のような事をしないとならない。

それが突っ込みが激しかったとしよう。そうしたら激しくボケないとならず、それでは真意が伝わりづらくなる。しかしキウイはいついかなる場合でもキウイなんで、そんな空気も一瞬で変えられる。お陰で厳しい話だけじゃ無くして貰った・・・。

くじらも送迎の時に、キウイさんに有難うって言って置いて下さい・・・って言ってたのね。嫌、それは俺もそう思うのね。ただ、くじらがキウイに触れた事を考えると、何かきっかけにでもなれば良いのだけれど・・・。

そんな後はアクアリウムバスの下絵写し。


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