katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

湯婆婆のモザイク

2019-12-31 09:59:27 | 休み?
今日は昨日に引き続き、シドさんの花台補修の後、湯婆婆のモザイク。そうね、こんな時思うんだけれど、1つの作品が10年以上離れてしまったら?普通は余りにも当時がへたっぴで、何だろうこれ?って思ったりする。それはその時よりも、腕が上がったから・・・と。けれど、こうした昔

の作品に向き合った時、小物はともかく時間を掛けた作品の場合、結構凄い事やっていたんだな・・・とか、えっ?って思う位、これが第三者が作ったとしたら?嫌だな・・・と感じる時があったりする。そこから読み取るに、余程の時間とその労力は、恐ろしい気迫も感じるし、一体どんな人

が作ったんだろうか?って。そうね、その時は意地みたいな作り方なんだろうね・・・とことんって感じで。ただ、当然がむしゃら・・・だけでは・・・と、いつしか作り方は変わって来る。その作品に見合った労力みたいなさじ加減なんて感じに・・・良くも悪くもね。

それは以前の自分なら、方法がこれしか無い・・・って感じで、得意料理が1品みたいな感じだけれど、今は色んな事が選択出来る・・・そんな違いがあって、でもその1品の作り方にとても迫力を感じると、見込みって言うか?今後この人が何年も続けるとどうなるんだろうか?と考えると、今

の自分が脅威にも感じる位、プレッシャーも掛かったりする。ただあくまで自分なんで、良く頑張って作ったなぁ・・・じゃ、あの時の自分に邪魔にもならず、目立ちもせず、残してあった後片付けでもするか・・・って、今の自分の成長を見る事になったりもする。

あえてテクニックの説明をするのなら、頭の部分の右側と左側の違いがお解りになるだろうか?ちなみに、左はほぼ昔の自分、右は今の自分。何が違うか?と言うと、左はレロレロってラインをこれでもか・・・と大小並べて、なるべく折らずに張っている。だから流れるように見えるのね。

逆に右はその部分も残しつつ、大きなパーツを入れたりして、流れは止めずに大きなブロックごとに捉えているのね。これは視覚で言うのなら。では触角的には?当然長いままのレロレロな形を並べれば、緩やかなカーブを描く頭には、ギッタンバッコンしてしまうはず。それをいかにボンド

の付け具合いで調整したとしても、触ればガタガタしているのね。けれど右は角度が悪いとそこで折ってカーブに沿った形で対応しているから、割となだらかに張ってあるのね。つまり1つの形で押し通した左は、その繰り返しの迫力があり、右はそのレロレロな形を目立たせるがごとく、

そこ以外のパーツをレロレロしない事で、よりその形を強調させるような方法を取っているのね。それに寄っての能率の違いは、あれだけ残っていた頭が、このままだと3日位で終わってしまうと言う事・・・きっとあの当時の自分が見たら?ビックリするだろうな・・・。

ただ逆にこれだけの質を当時にキープしていたのか?・・・と思うと、今の自分にプレッシャーを掛けて来る・・・中々悪く無いし、これなら古い作品とは言え、今持ち歩いても恥ずかしくない出来栄えになっている。とは言え、いくら何でも時間が掛かり過ぎなのね。

この記事についてブログを書く
« やり残した事、それは湯婆婆 | トップ | シドさんの花台張り終わりと... »
最新の画像もっと見る

休み?」カテゴリの最新記事