katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

さくらだけど、今日はタイルクラフト教室

2021-09-01 07:39:35 | モザイク教室

今日はさくら教室。ただいつものふくろうの顔のモザイクじゃ無くて、おばあさんに頼まれた持ち込みの和菓子の箱にタイルを張りたい・・・って事で、ウチでは中々見られない純粋にタイルクラフト教室になったのね。

材質はファルカタ材って言う軽い木で、余り詳しく無い人なら、ちょっと桐の箱みたいな感じに思ったりもするかも。ちなみに張り終わった後、ピンクのペンキを塗ったのね。ただ工程としては、さくらでも気が付く位にきゃしゃな感じなのね。

そこでまず箱の底をべニアで補強して、更にフタの裏も・・・理由は簡単でボンドや目地が固まろうとする時に、柔らかい木だと、反ってしまうのね。それを防ぐ為のひと手間。その後に張り始めるのだけれど、どうする?になる。

その時に山周タイルさんのクローバーを選んだのね・・・ただおばあさんって言う事を踏まえると、仕上がりが地味になるんで、良くありがちではあるのだけれど、1cmのガラスタイルとか1cmタイルとかを入れる事で、華やかになるのね。

何しろ良く年配になると、割と派手なのが好きなんて事があったりするのに、もしそうならシックを通り過ぎて、地味に感じると思うのね・・・そこでペンキとか追加したのね。じゃいよいよ張るって事になると、難しい事があるのね。

例えば四角いタイルの場合、この箱の寸法が必ずしもピッタリのサイズだとは限らない。その時に縦横がまず使おうとしてるクローバーのタイルで割り切れるかどうか?の確認をする。もしその時に縦の目地は少し太くなるけど何とかなる・・・

何て場合、片一方との目地の比較になるのね。こんなのは言葉でも簡単に理解出来るから数例あげると、片一方の目地はピッタリ・・・このピッタリって言う表現は、目地の幅がタイルとジャストフィットって感じに思うでしょ?

所が、方や若干太目・・・ほらジャストフィットから遠のいた。その時に許容範囲かどうか?なのね。それを若干細目でも同じように違った感じがするでしょ?それを今度は、キツキツだけど入った・・・とか、何か細目・・・ってなると、

もはや美しさの表現ってよりも、満員電車や押し入れに詰めたって表現と一緒になる。これでは美から大きく反れる。つまり張れば良いって思う人なら、さっさと並べれば・・・って表現で丁度良いのね。だってどんな張り方をしても、

タイルの持つ美しさで幾分、助けて貰えるから。ただそれでは、大人が張ったようには見えないと思うのね。つまり切らないで張るって言うのは、とても残酷で、条件が誰もが一緒になるのだから、丁寧に水平垂直、同じ幅・・・。

簡単に言えば、ちゃんと・・・ってだけなのね。ただそのちゃんとが難しい人がいたりするのね。その一人がさくら。そもそも目がぶれたように見えるさくらに取って、真っすぐとか、ちゃんとは致命的なのね。だって大体になるから。

しかも同じ事の繰り返しは、張れば張るほどチカチカして来るのね。なのに更にデザインがさくらを更に苦しめるのね。何故なら、普通に真っすぐ張るだけでも四苦八苦しそうなのに、クローバーのタイルを斜めにしたのね。

簡単に説明すると、箱に対して、クローバーの足を二本向けるのと、一本では、水平にしようとする時に難易度が上がるのね。簡単な話で、片足で立つのと、両足、どっちがきちんと立てる?考える必要は無いでしょ?両足が安定する。

つまり安定した方がバランスが取れると言う事なのね。しかし片足はほんの少し右に傾いたり、左に傾いたりすると、それを何段も張っている間に、どんどんとズレが大きくなって行くのね。これは例えば糸を張るとする。

例えば10cm。こんな程度じゃ普通に持っているだけでピンと張れるから、真っすぐになる。しかし、もし5mなら?相当ピンと張らないと真っすぐにはならない。でも糸を張ったと言い切ったとすると、折角糸を張ったのに真っすぐにならない。

とこんなセリフになる。つまり目的意識が薄いのね。こんなセリフの人は、糸を張ったか?張らないか?って事に満足をしてしまっているのね。本来、糸を張るって言うのは、真っすぐにしようとする為の行為であって、そもそもたるんでいたら、本末転倒。

張った所で真っすぐにはならないのね。こんな例を理解してもらった上で、タイルは四角で同じ寸法って思い込めば、同じ数を張ったら、同じ寸法と思い込んだり、割り込んでタイルが切らずに入ると、入ったって事で安心したりする。

しかしながら、方やピッタリ、方や何とか・・・では、目地幅の意識をしっかり持たないと、こっちはピッタリ側、こっちは・・・って意識が薄ければ、知らないうちにズレるのね。意識が薄い分ね。つい均等にしてしまうから。

更に言えば、1cmのガラスタイルなんて、結構この手のものは、大きさはマチマチで、しかも四角とは限らないのね。だから、簡単そうに思えるが、出来る人はスイスイだし、不慣れを自覚した時、どうにもならない位困る人がいるのね。

これがウチの常連の欠点でもあるのね。そもそも走攻守ってあれもこれもって言うバランスって言うのは、国語、算数、理科、社会を平均に出来るみたいな感じなのね。簡単に言えば、へっぽこ点が無いって事になる。

これが全部下手って言うのなら、全部下手なバランスが整っているのね。こんな場合、簡単な話で、スペシャリストになれば良いのね。全部捨てて、打つだけとか、国語だけとか、1つに絞れば、それだけに時間を使うから特化する。

満遍なくやると、満遍なく平均以下になる。こんな事が不器用な人の典型なら、人と同じ事をすれば、一目瞭然で、比べるまでもなくなる。そこで、1つに絞ると時間を費やす分、慣れも何倍になる。チャンスが生まれる可能性が出来る。

で、モザイクでそうするには?ってのが、切るって事にしたのね。まっ簡単な話、良く触れる事だけれど、ただ張るだけじゃん・・・ただ切るだけじゃん・・・どっち寄りでも良いが、切るって表現に技術って言葉は当てはまって、張るって

表現に技術って言う言葉を当てはめようとすると、切るって事と比較されると、見劣りする感覚が多いのね。しかも、切るだけじゃん・・・って思う人の大半は、切ると割るの違いが理解出来ていないのね。切るは必然、割るは偶然。

つまり狙って形に・・・丸に・・・みたいな時は切る。ガンガン、パリっって感じだったり、落っことしたりしたのは割る。だから切るを徹底する。するといつしか切る事が上手くなる。それによって既存のタイルとは違う形が作れる。

だからそれによって、絵が作れるようになる。しかもその絵が建物のように水平垂直では無く、自然の花、動物の場合、水平垂直は一切出て来ないから、その苦手な事をやらなくて済む。そうして大作が作れたとすると、その上手さが評価され、

凄いとかになったりする。これで認知度が凄いとされると、ただ張るだけじゃん・・・こんなの・・・って思われれば、思われるほど、大きなプレッシャーになるのね。だって上手いんだから・・・ってね。

そもそもへたっびに作って・・・とは頼まないのね。つまりモザイクを習っているとか、作品を見られているとか、何らかの評価ありの前提なのだから・・・。そこに更にオリジナルのデザインとなると、ただ張るじゃ無くて、どう張る?

って考えないとならない。しかも区切りがあるから、そこにガラスやハートが被ってしまっては、勿体無いし・・・とかね。ただクローバーだけなら、何も考えずに出来るのにね。ほらこうして、何か1つ変わっただけでも難易度は変わる。

その時にそれがこんなに大きく変わるのかぁ・・・って判るのは、やってから。これが後の祭りって表現になる。それを経験値が多い人は、ありとあらゆる事を想定して、これなら・・・ってスタートを切るから、成功するじゃ無くて、失敗

の確立を下げているのね。それがベテランなのね。更に言えば、目地ね。大作って言うのは何年も掛かってやっと張り終わるのね。でも目地は一日。ほらバランス悪いでしょ?それを小物を作っている人は、毎回目地をするのね。

良い事と悪い事は常に背中合わせなのね。さくらは一番苦手な事をやった・・・って事になるのね。実はこのフタもあるんだけれど、それは明日触れるとして、その間に是正アオリイカの下絵。

前回の下絵よりもリアルになったと思うのね・・・これでシーバスのタッチになったのね。


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