今日はモンゴルの下絵からスタートしたんだけれど、くれぐれもネタバレだけは・・・と釘を刺されているので、詳しい事は言えないが、かなり良い線で具体的になって来たんだけれど、理想の大きさでは無いので、デザインを小さ目にすると、予定とは違う場所が空白になる感じで・・・。色々考える事が増えるのね。
更に、常に初めての場所は先方としては新鮮なもので、しかしながら、美術会社や審査の方々、出展される先生等は常に同じ人だったりする。そうなると、常に新しい事をしないと新鮮さは失われる。しかも、評価が低いなら次が無かったろうが、次があったと言う事は、それなりの評価を頂いたと言う事になる。しかしながら、
モンゴルの仕事はこれで4回目。流石にモンゴルにちなんだ・・・って言うモチーフは結構使ったと思う中、今回は日馬富士の学校。お陰でモチーフは増えたので、今までとは違うものが見せられそうだが、当然ながら1回目とは全く違って、今回のプレッシャーは特に大きい。それは簡単な話で、これまで説明した事とは別に、
期待値がこちらにも大きいから。勿論、毎回そう思ってやって来た。けれど、それによって大きな変化は無かった。俗に言う期待と不安って話。常に何かを目指している人達は、今度こそと願い、またダメだったか・・・と憂う。この繰り返しをやり続ける訳で・・・。それが何年続くのか?何十年になるのか?そしてこのまま終わるのか?
こんな事を抱えながらやり続ける果てしなさに、何度と無く折れ掛ける気持ちを立て直しながら続ける訳で。中々出来る事じゃ無かったりする。しかし支えてくれる人達を思い浮かべられると、前進しないとならない気持ちが、わずかながらでも灯になる。そもそも暗いと前に歩いているのか?元に戻っているのか?・・・そんな事
すらも判らなくなる事もある。ただそれを勢いでやれる最初の頃とは違ってしまう。それが経験値。常に良い事と悪い事は背中合わせ。良い事は繰り返しは慣れる。つまり安心安全。けれど慣れるとは、なぁなぁにもなると言う事。緊張感が無くなる。ここに落とし穴がある。常にそう思っていないと人はやらかす事になる。
こう自分が意識していても、相手のある事。話の間とか、相手との間とかに使う、間と言う距離感を一定にして置くって言う作業のような事は難しいモノで、4回目である人達との間と日馬富士サイドの間は明らかに違う。俺は4回目寄りになっていると言う事で片寄っている事を意識して、バランスを考えないと・・・。
それとそもそも欲と言うものにとらわれると、強欲になる。その欲をお金にするのなら、さっさと終わらせようとするから、能率効率で時間を短縮して利益を上げようとする。俺はこちらでは無い。では逆のどんなに時間が掛かろうと納得するものが作りたい・・・これが作家と言う者側の考え方だと思うが、それをすれば、
早く終わる事は無いのに、貰えるお金は決まっているのだから、貧乏になるのは当たり前。しかしながら、時間を掛けて必ず成功するのか?って言う保証は何処にも無い訳で。しかも既に5月アップの仕事をもう始めているのだから・・・。危険ではある。と言うと、何だか作家側で作っているようにも思えるが、そうでも無い。
一番大事なのは何か?となった時、誰が喜ぶと良いのか?って考えたりした時、学校なのだから、子供達が喜んでくれるのなら、日馬富士も喜んでくれるだろうし、そこにいる人達に興味が沸かないものは、果たして大事にされるだろうか?・・・となると、一度も会っていない人達の気持ちを考えるなんて難しい・・・。ただ、
俺は何とか道って言うような、柔道、剣道、茶道、華道・・・って言うようなものを習ってまでやった事は無いが、もし何故最初と最後に礼をするのか?みたいな所作や作法なんてもんが大事なのか?それがもし偶然にも当たっているのなら?相撲も同じような所にあるものだと考えたりする。しかも横綱、最高峰の人。確かに
色々あってお辞めになられたが、偶然だけではなれるものでは無い。当然ながら人の上に行くだけの努力を惜しまずした人なのだろうし、そんな事を踏まえると
格式やら伝統、そう言ったものが必要とされるだろうが、子供は普通そこから一番遠いモノと思われる。そこをいかに比喩を使って表現出来るか?みたいな事を
考えていたりする。そうね、この辺が難しい所なんだけれど、OSBのサインプレートも確かに誰に向かって作るんだろうか?って言うと顔の見えないお客さんだから、それが苦手なら、これも同じじゃん・・・って思われがちなんだけれど、俺には今回のような場合、はっきり関わっている人物が見えているので、当たるか?
どうかは判らないけれど、全て考え方は、そうだとしたら?・・・そう考えて3つのモチーフは合体しているんだけれど、最初の寸法が俺よりでは無いので、絵を合わせに行ったら・・・隙間が出来た。そこを額だと言えば、それでおしまいなんだけれど、果たしてそれで良いのか?いやまだあるんじゃないのか?それと実寸の
絵にした時、果たしてどう見えるのか?は非常に興味深いのね。迫力が変わって来るから。しかしながら、迫力を出すって言うのはボリューミーって意味であり、ビューティフルは色合いな感じがするのね。つまり大きくなって迫力が出た時、もうお腹一杯って感じに見えれば追加はいらないけれど、やっぱ足んないかぁって
場合、ただの間を埋めるでは残念だし、お弁当の隙間を埋めるんじゃないからね・・・しかも大きくなれば、その間もかなりの主張をし始める訳で。取って付けたようなモチーフではね・・・。そんな中、バイク屋さんが、黒い下地で白のタイルで・・・って話になり、オイル塗りをしたのね。そうなると、何も考えずに張るだけ。
ちょっとした息抜きや間になる。勿論、息抜きであって、手抜きじゃ無いのね。いずれにせよ、これでも順調に進んでいるとは思うんだけれど、いかんせん、下絵が決まったとしても、構造ってのが苦手でね・・・組み立ての為に分解したり、厚みや重み、そして現地に行かない分、手間の掛からないように・・・の配慮。全く美と
関係無い部分の話・・・ひらめきや思い付きじゃ逃げ切れないのね。全部寸法に計算・・・それと図面もね。
更に、常に初めての場所は先方としては新鮮なもので、しかしながら、美術会社や審査の方々、出展される先生等は常に同じ人だったりする。そうなると、常に新しい事をしないと新鮮さは失われる。しかも、評価が低いなら次が無かったろうが、次があったと言う事は、それなりの評価を頂いたと言う事になる。しかしながら、
モンゴルの仕事はこれで4回目。流石にモンゴルにちなんだ・・・って言うモチーフは結構使ったと思う中、今回は日馬富士の学校。お陰でモチーフは増えたので、今までとは違うものが見せられそうだが、当然ながら1回目とは全く違って、今回のプレッシャーは特に大きい。それは簡単な話で、これまで説明した事とは別に、
期待値がこちらにも大きいから。勿論、毎回そう思ってやって来た。けれど、それによって大きな変化は無かった。俗に言う期待と不安って話。常に何かを目指している人達は、今度こそと願い、またダメだったか・・・と憂う。この繰り返しをやり続ける訳で・・・。それが何年続くのか?何十年になるのか?そしてこのまま終わるのか?
こんな事を抱えながらやり続ける果てしなさに、何度と無く折れ掛ける気持ちを立て直しながら続ける訳で。中々出来る事じゃ無かったりする。しかし支えてくれる人達を思い浮かべられると、前進しないとならない気持ちが、わずかながらでも灯になる。そもそも暗いと前に歩いているのか?元に戻っているのか?・・・そんな事
すらも判らなくなる事もある。ただそれを勢いでやれる最初の頃とは違ってしまう。それが経験値。常に良い事と悪い事は背中合わせ。良い事は繰り返しは慣れる。つまり安心安全。けれど慣れるとは、なぁなぁにもなると言う事。緊張感が無くなる。ここに落とし穴がある。常にそう思っていないと人はやらかす事になる。
こう自分が意識していても、相手のある事。話の間とか、相手との間とかに使う、間と言う距離感を一定にして置くって言う作業のような事は難しいモノで、4回目である人達との間と日馬富士サイドの間は明らかに違う。俺は4回目寄りになっていると言う事で片寄っている事を意識して、バランスを考えないと・・・。
それとそもそも欲と言うものにとらわれると、強欲になる。その欲をお金にするのなら、さっさと終わらせようとするから、能率効率で時間を短縮して利益を上げようとする。俺はこちらでは無い。では逆のどんなに時間が掛かろうと納得するものが作りたい・・・これが作家と言う者側の考え方だと思うが、それをすれば、
早く終わる事は無いのに、貰えるお金は決まっているのだから、貧乏になるのは当たり前。しかしながら、時間を掛けて必ず成功するのか?って言う保証は何処にも無い訳で。しかも既に5月アップの仕事をもう始めているのだから・・・。危険ではある。と言うと、何だか作家側で作っているようにも思えるが、そうでも無い。
一番大事なのは何か?となった時、誰が喜ぶと良いのか?って考えたりした時、学校なのだから、子供達が喜んでくれるのなら、日馬富士も喜んでくれるだろうし、そこにいる人達に興味が沸かないものは、果たして大事にされるだろうか?・・・となると、一度も会っていない人達の気持ちを考えるなんて難しい・・・。ただ、
俺は何とか道って言うような、柔道、剣道、茶道、華道・・・って言うようなものを習ってまでやった事は無いが、もし何故最初と最後に礼をするのか?みたいな所作や作法なんてもんが大事なのか?それがもし偶然にも当たっているのなら?相撲も同じような所にあるものだと考えたりする。しかも横綱、最高峰の人。確かに
色々あってお辞めになられたが、偶然だけではなれるものでは無い。当然ながら人の上に行くだけの努力を惜しまずした人なのだろうし、そんな事を踏まえると
格式やら伝統、そう言ったものが必要とされるだろうが、子供は普通そこから一番遠いモノと思われる。そこをいかに比喩を使って表現出来るか?みたいな事を
考えていたりする。そうね、この辺が難しい所なんだけれど、OSBのサインプレートも確かに誰に向かって作るんだろうか?って言うと顔の見えないお客さんだから、それが苦手なら、これも同じじゃん・・・って思われがちなんだけれど、俺には今回のような場合、はっきり関わっている人物が見えているので、当たるか?
どうかは判らないけれど、全て考え方は、そうだとしたら?・・・そう考えて3つのモチーフは合体しているんだけれど、最初の寸法が俺よりでは無いので、絵を合わせに行ったら・・・隙間が出来た。そこを額だと言えば、それでおしまいなんだけれど、果たしてそれで良いのか?いやまだあるんじゃないのか?それと実寸の
絵にした時、果たしてどう見えるのか?は非常に興味深いのね。迫力が変わって来るから。しかしながら、迫力を出すって言うのはボリューミーって意味であり、ビューティフルは色合いな感じがするのね。つまり大きくなって迫力が出た時、もうお腹一杯って感じに見えれば追加はいらないけれど、やっぱ足んないかぁって
場合、ただの間を埋めるでは残念だし、お弁当の隙間を埋めるんじゃないからね・・・しかも大きくなれば、その間もかなりの主張をし始める訳で。取って付けたようなモチーフではね・・・。そんな中、バイク屋さんが、黒い下地で白のタイルで・・・って話になり、オイル塗りをしたのね。そうなると、何も考えずに張るだけ。
ちょっとした息抜きや間になる。勿論、息抜きであって、手抜きじゃ無いのね。いずれにせよ、これでも順調に進んでいるとは思うんだけれど、いかんせん、下絵が決まったとしても、構造ってのが苦手でね・・・組み立ての為に分解したり、厚みや重み、そして現地に行かない分、手間の掛からないように・・・の配慮。全く美と
関係無い部分の話・・・ひらめきや思い付きじゃ逃げ切れないのね。全部寸法に計算・・・それと図面もね。