katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室

2018-10-27 03:12:36 | モザイク教室
今日はキウイ教室。とその前に、高洲のサークルに入ったキョンキョンが自宅で張り終えた・・・ってハロウィンを預かって来たって事で、目地から。


って事で完成ぃぃ。何しろ季節モノのハロウィンだから、急げや急げなのね。今ならまだ間に合うのね。ただこの仕上がり・・・良い出来なのね。これを自宅で1人張り終えた・・・普通、始めてまだ日が浅い場合、ついついそんな理由で早く完成したい・・・を優先してしまって、質を落としがち。

例えばデコボコってなっている頭をきちんと輪郭を守って張れるかどうか?であって、そこを大体入れば良いかっ・・・ってやるのと、こうして輪郭をきちんと守れるか?どうかでは、完全に仕上がりが違って来るんだけれど、そこに俺が居れば、えっ?それで進むの?ってお小言を言えば、止まる事は出来る。

けれど、自分の判断のみで進む事になるので、自分に優しくすれば質は下がるし、厳しくすれば中々進まないし、これで良いのかな?って不安にもなったりするのね。そんな中でこの仕上がり、良い眼と良い判断が出来ているのね。お見事なのね。これなら仕上がりが綺麗なので結果として時間は掛かっても、

そりゃ満足感が明らかに変わって来るのね。ではそんな刺激も受けて・・・からのキウイも今日は顔を直す気満々なのね。ただ相席の多くなったキウイはついつい相席相手が優先になりがち・・・そうなると、難易度が上がるから、こっちとしても1対1じゃないと片手間では教えられない。

そんなこんなの今日は、まずどんなのが理想か?になるのだけれど、上野に行って美術展を見て来たらしく、本を持って来たのね。そこで見せて貰うと、そこにはヒントがあって・・・所が良い事と悪い事は背中合わせ。つまり参考にもなるが落とし穴があると思うのね。

それはキウイが切る事が上手い人だから。例えばこうして作品が大きいとより繊細にしようとすればキウイの腕だから、かなり繊細な事が出来ると刃思うのね。ただ、ただなのね。でもこの絵、何処がなの?繊細に出来るのは?その時に大きさの割には顔の大きさはOKって手で丸を作った位の大きさ。

つまりそんな小さな顔は絵なら、それでも繊細に描く事も出来るだろうが、全体の大きさの割には米粒に絵を描く間隔くらいしか出来ないのね。なのについつい上手くなったキウイでは、この位なら出来るかな?・・・と思ってしまうのね。しかも、教えた事をしっかりやるから、増々間違えてしまうのね。

それは資料を良く見る事・・・って約束。そうすると、資料を大きく拡大して繊細な部分まで真似しようとしてしまうのね。しかし自覚が足らないから、ついつい今出来る事と、知らぬ間に欲張っている理想をはき違えて、この位なら譲歩した・・・と判断してしまうのね。これが上手い人の落とし穴。

大きく引き伸ばして繊細に見えた資料をこの位しか出来ないよな・・・まっこれ位なら・・・って、ちょっと落としているって感覚になりやすいが、こんな狭いスペースに作る場合、同じ条件以下で資料を見ないとならないのね。つまり例えば、アリを作ろうとしたとする。その時は被写体が小さいから、

拡大して見えない部分をより繊細に見る。しかも作る大きさは実際の大きさよりも大きく作るはずだから、資料を拡大して正解。所が逆に被写体を同じように拡大してしまっては繊細に見えてしまうのに作る広さは狭い・・・ここに矛盾が生じてしまうのね。そこに合わせないと・・・。

つまりこんな場合は、資料は広げずに良く見えないな・・・のまま見て、その小さい資料の見えづらい中、どの部分が大事か?そして出来るか?みたいに考えて、自分がやりたい事では無くて、出来る事をチョイスする。その時にあれもこれもでは無くて、1つに絞る事。常にそれをクリアーしてから。

そんな考え方をして、大きな場所に大きく作れる場合は繊細に、小さな場所に小さく作る場合は、米粒に達筆に・・・・は無理だから、何とか出来る事を見つける事であって、米粒に檸檬やら薔薇なんて画数が多いモノを選ばない・・・みたいな話。

そんな話の中、今日のキウイは瞳を作るに専念して、1日費やした・・・そんな中、さくらがやって来て・・・。久しぶりに会ったキウイも楽しそうで何よりな話で、3人で夕飯を食べたのね。そんな機会も中々ある訳じゃないので、俺も楽しかったのね。

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