katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

タイル屋さんのおかみさん教室

2018-10-16 23:20:36 | モザイク教室
今日はタイル屋さんのおかみさんのお教室。それが新作は会社の看板なので、文字の質が問われるのね。そんな中、自宅で作った作品がこれ。


そうね、何しろ新鮮でかつ素敵・・・と思うのね。まず新鮮って言うのは、まだそんなに教えた回数は少ないからkatsuの指導が余り入っていない作品だから・・・って理由が1つ。だから色んな事が俺とは違う事があり、これはこのままで良い仕上がりだな・・・と思うのね。

そして、その理由はまずハロウィンな事。例えばハロウィンでイメージする事は、子供がお菓子を貰う行事だったり、渋谷を大人が仮装して行き交う・・・とか、色々とあるけれど、ではそこにフォーマル感があるか?となると、どれを取ってもラフだのカジュアルだの・・・って感じじゃないかな?

となると、そこにきちんと・・・って感じにはならない。決まりよりも雰囲気・・・と思うのね。そんな事を踏まえたポップな仕上がりだから見事なのね。それが今回は会社の看板。そこにポップはいらないし、逆にフォーマルな感じだと思うのね。そうなると文字もこうなる。


幅を揃えて一定に・・・とか、安定とか、さっきとは明らかに違うものになっていて、同じ人の仕上がりでは無いのね。それがカジュアルとフォーマルとかの使い分けになるのだけれど、ウチできちんと・・・って癖を付けてしまうと、知らず知らずにきちんとだらけになってしまったりするのね。

それをこうして変化をさせられる・・・って話なのね。それはそうと、出だしのKの滑り出しは何も問題無しで、意識1つでこれだけきちんと出来るのだから、今までにかなりの数を切ったと思われるのね。後はこのKのグレードをキープ出来れば良いだけなんだけれど、ブロック体と違い筆記体はクルっとした部分が多く難易度は高いのね。ただ悩みはするだろうが、出来ない事では無いから慌てずに進む事よりも質。それを意識する事なのね。

そんな後は週末の道の駅用の箸置き。


低価格の品物が必要って事になった時に、かぐやからも言われた事で多少作る方向になって・・・今週は幸い2日間お教室が無く、慌てずに支度が出来るのね・・・そんな訳で支度に十分な時間があるのね。それはそうと、これもさっきの話に繋がる事で、これを俺が作った・・・。

ではこれを俺以外の他の人がやった時、俺が作ったものがはっきり違うモノに見えるか?となると、恐らく差など無いのね。それはきちんと張るだけだから・・・しかも3.4枚。これでは小学生でも一緒。それが枚数を増やし、張るスペースが増えるとデザイン性や色合いも複雑になったりする。

そうなると、どんどんと差は出るし、増して似ているか似ていないか?だけでも恐ろしく差が開くのに、オリジナル性となると、ただ人と違うだけでは、あまのじゃく的な発想になるだけで、あくまで人が認めた結果があって成立するもので・・・。そこにプロはお金が発生しないとならず・・・。

良いね・・・のマークをいくら貰っても気持ちとしては安心はするかも知れないが、売れてなんぼの結果が問われるのね。その時に自分らしい作品を作ってダメな時はここじゃ無かったのかな?・・・って言い訳も出来るかも知れないが、逆にこれでは誰もが出来る事。

その時にこれがダメな時のダメージは大きく、逆にこれが大きく売れても、また沢山作らなきゃ・・・とは思いづらい。ただそれでも、やるのは販売のやり取りの会話のきっかけを作りやすい値段で、それによって本来やりたい事のプレゼン的な事が出来る・・・に繋がるであろうと思うから。

いずれにせよ、失敗するにしてもやれる事をやって、是正対象は何か?の一歩にしたいのね。だから時間が無くなるまでやるつもり・・・

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キウイとお母さんとデイ・サービス

2018-10-16 07:58:44 | デイ・サービス
今日は午後からキウイとお母さんとデイ・サービスの日。そんな午前中は週末に棟梁とリピーターさんと一緒に行く道の駅での販売の準備。そんなこんなのデイ・サービスは8人。先日のサンプルはガラスタイルを張ってあったが、張るタイルの数が少なく、簡単過ぎるんじゃないか?って声もあって変更。

そんな訳でクローバーにすると64粒になり、倍近く増えた事と当然、こうして色を変えると1つも同じ事にはならず、結果として変更して良かったのね。


ただ難しいのはキウイとお母さんありきでの話であって、とても俺人で完成させられる話では無いのね。もっと言えばヘルパーさんが1人付いたのだから、4人。そう考えると、相当手厚い状況での完成なんで、確実にやり過ぎ感はあるものの、結果としての変更は合っていたとは思うのね。

簡単なら楽々だし、難しければ終わらない。丁度良いのは1時間位掛かる事であって、どんな形であっても最後の人が1時間で終わらないと、目地をして完成させる事が出来なくなる訳で・・・。ただ趣旨としては手作りは指を動かすので脳に良い・・・なんて事が理由の1つだとしたら?

確かにそうも言えるが、となると特に仕上がりにはこだわらなくても良い話になる。つまりリハビリよりになるから。いちいち上手いって事に縛られなくて良くなるからね。ただ、本当にそうか?と言うと、完成した作品を見て、これが良いとか、必ず感想があったりするのね。つまり仕上がりが気になる。

そうなると、やはり完成したものはリハビリの道具では無くて美しさも必要になる。それが紙だの布だの絵だのってものと、ハサミだ糊だの糸みたいに昔馴染みなものと違って、タイルを切ってボンドで張るとなると、タイルを切るのは当然初めてだけど・・・糊とボンドは一緒って思ったりされると、

当然、糊感覚で手で塗ろうとすれば、薄過ぎて取れてしまったりする。それが紙ならペラペラだから、ちょっとくっついていれば、剥がれないかも知れないが、タイルは目地をするから必ず剥がれるのね。しかも終わりの時間は決まっているのに、張り終わりさえすれば、完成した気持ちになるでしょ?

でも実際は終わった順番に目地をして完成させて時間内に収める訳で・・・その時には張る方には俺は不在になるから、最低1人はそっちに残したいのね。心配だからね。当然質の話でもあるし、何か間違いのないようにね。そこにいつしかお母さんも加わったんで、更に手厚さが増した感があるのね。

そんな完成を見て喜んでくれたのだけれど、その中でこんな話があって、娘や孫がすぐに持って行っちゃうのよ・・・って。だから、そりゃ良かったじゃないですか。素敵だから持って行っちゃうんであって、そうじゃ無ければ持って行きませんよってな話。そしたら笑ってたのね。

さっきの趣旨の話なら、俺の趣旨の中にはそれが含まれているのね。持って行かれる事大いに結構。そこに会話もあるし、今度は何作っているんだろう?って興味を持って貰えるのなら、また作った人の元に来るだろうしね。人が集まる事は何よりなのね。だから良かったって事になるのね。俺も。

こんな繰り返しでこの場所ももうすぐ1年になる・・・。




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