ーその名にちなんでーTHE NAMESAKE
2006年 アメリカ/インド
ミーラー・ナイール監督 ジュンパ・ラヒリ原作 カル・ペン(ゴーゴリ)タブー[女優](アシマ)イルファン・カーン(アショケ)ジャシンダ・バレット(マクシーン)ズレイカ・ロビンソン(モウシュミ)
【解説】
インド人の両親の元アメリカで生まれ育った若者が、家族との体験やきずなを通して自らのアイデンティティーに気付いていく家族ドラマ。原作はピュリツアー賞作家ジュンパ・ラヒリの小説。『モンスーン・ウェディング』のミーラー・ナーイルが、巧妙なストーリー運びと情感たっぷりな演出で映像化した。息子の名前にある思いを込めた夫婦の愛は感動的で、命についても考えさせられる秀作。(シネマトゥデイ)
【あらすじ】
寛容な父アショケ(イルファン・カーン)と思いやりあふれる母アシマ(タブー)の息子として、アメリカで生まれ育ったインド人のゴーゴリ(カル・ペン)。2つの国の文化、2つの名前に翻弄(ほんろう)されながらも、ロックを聴きアメリカ人のガールフレンドもできた。ある日、その珍しい名前に込めた思いを父親に聞かされ、彼の中で何かが少しずつ変化していく。(シネマトゥデイ)
【感想】
名前ー自分の名前込められた親の思い。
ふーん、考えてみると、アイデンティティの問題にまでつながりそうですね。
「スラムドッグミリオネア」の私のブログを読んだ知人が「インドがテーマの、とてもいい映画がありますよ」と教えてくださいました。
この映画は、両親がインド(ベンガル)人だけれども、ニューヨークで生まれ育ったのに、名前をロシアの文豪から付けられたゴーゴリ(カル・ペン)を中心にした移民家族のお話です。
これは、インド人の家族だけれど、どんな家族にもある世代間の葛藤や親子の問題が、ゆったりとした時間の中で語られていました。
☆ネタバレ
若いときの父アショケ(イルファン・カーン)は、インドから外国に行くなんて考えたこともない、読書家の青年でした。
祖父のところに行く汽車の中で知り合いになった人から、「ぜひ外国を見てきなさい。枕と毛布を持って」と言われました。
そのときに読んでいた本がゴーゴリの「外套」。
突然、汽車が脱線転覆。
九死に一生を得たアショケは、その言葉を胸にニューヨークへ。
ニューヨークの大学で職を得て、故郷でアシマ(タブー)とお見合いし、出会ってからたった3週間で極寒のニューヨークへ花嫁を連れて帰ったのでした。
そして、妊娠出産。
アシマは、アショケのやさしさだけを頼りに、ニューヨークで必死にゴーゴリとソニアを育ててきました。
ゴーゴリという奇妙な名前のおかげで、友達からはからかわれ、ゴーゴリはインド人というだけで目立ってしまうのに、とても迷惑に思っていました。
そこで、大学へ進学するのを機会に、本来の名前であるニキルという名前にしました。
大学では、ニッキーとアメリカ的に呼ばれ、両親の故郷のタージ・マハルを旅行したときにインスピレーションを受けて、建築を専攻していました。
大学では、マクシーン(ジャシンダ・バレット)という美術専攻の学生と恋をして、彼女の両親にも受け入れられ、入り浸り、自分の両親のところにも寄り付かなくなっていました。
この頃のゴーゴリは、自分がインド人だということも忘れていたことでしょう。
父から、その名前の由来を聞いても、さほど気に留めませんでした。
ところが、父が単身赴任中に急死してしまう。
突然、自分がインド人で、父がくれた名前には深い思いが隠されていたということに気づき、その戸惑いの大きさに没頭して、マクシーンとの関係までもが壊れてしまいました。
同じベンガル人で幼なじみのモウシュミ(ズレイカ・ロビンソン)と再会し、インド式の結婚式を挙げました。
普通の映画なら、ここでハッピーエンドの所でしょうが、まだ続きます。
モウシュミにはパリにピエールという恋人があり、別れられなかったようです。
それを知ったゴーゴリは、もちろん傷つきますが、ここからがスタートと、晴れやかな気持ちで旅に出ます。
アシマはインドへ帰り、ソニアはアメリカ人と結婚する、という結末でした。
ストーリー的には無理がなく、ほんとうにいい家族だなあという感じなのですが、映像がなかなか素敵です。
インドのシーンもアメリカのシーンも、優しい気持ちになりました。
インド式の結婚式が2回とお葬式、ガンジス川への散灰の様子なども印象に残りました。
若いアシマが、会う前の未来の夫の靴に足を入れてふざけてみるシーンや、ゴーゴリとモウシュミの初夜のホテルの部屋でのインド風のダンスとか、心に残る印象的なシーンがありました。
いい作品でした。
お薦めです。
2006年 アメリカ/インド
ミーラー・ナイール監督 ジュンパ・ラヒリ原作 カル・ペン(ゴーゴリ)タブー[女優](アシマ)イルファン・カーン(アショケ)ジャシンダ・バレット(マクシーン)ズレイカ・ロビンソン(モウシュミ)
【解説】
インド人の両親の元アメリカで生まれ育った若者が、家族との体験やきずなを通して自らのアイデンティティーに気付いていく家族ドラマ。原作はピュリツアー賞作家ジュンパ・ラヒリの小説。『モンスーン・ウェディング』のミーラー・ナーイルが、巧妙なストーリー運びと情感たっぷりな演出で映像化した。息子の名前にある思いを込めた夫婦の愛は感動的で、命についても考えさせられる秀作。(シネマトゥデイ)
【あらすじ】
寛容な父アショケ(イルファン・カーン)と思いやりあふれる母アシマ(タブー)の息子として、アメリカで生まれ育ったインド人のゴーゴリ(カル・ペン)。2つの国の文化、2つの名前に翻弄(ほんろう)されながらも、ロックを聴きアメリカ人のガールフレンドもできた。ある日、その珍しい名前に込めた思いを父親に聞かされ、彼の中で何かが少しずつ変化していく。(シネマトゥデイ)
【感想】
名前ー自分の名前込められた親の思い。
ふーん、考えてみると、アイデンティティの問題にまでつながりそうですね。
「スラムドッグミリオネア」の私のブログを読んだ知人が「インドがテーマの、とてもいい映画がありますよ」と教えてくださいました。
この映画は、両親がインド(ベンガル)人だけれども、ニューヨークで生まれ育ったのに、名前をロシアの文豪から付けられたゴーゴリ(カル・ペン)を中心にした移民家族のお話です。
これは、インド人の家族だけれど、どんな家族にもある世代間の葛藤や親子の問題が、ゆったりとした時間の中で語られていました。
☆ネタバレ
若いときの父アショケ(イルファン・カーン)は、インドから外国に行くなんて考えたこともない、読書家の青年でした。
祖父のところに行く汽車の中で知り合いになった人から、「ぜひ外国を見てきなさい。枕と毛布を持って」と言われました。
そのときに読んでいた本がゴーゴリの「外套」。
突然、汽車が脱線転覆。
九死に一生を得たアショケは、その言葉を胸にニューヨークへ。
ニューヨークの大学で職を得て、故郷でアシマ(タブー)とお見合いし、出会ってからたった3週間で極寒のニューヨークへ花嫁を連れて帰ったのでした。
そして、妊娠出産。
アシマは、アショケのやさしさだけを頼りに、ニューヨークで必死にゴーゴリとソニアを育ててきました。
ゴーゴリという奇妙な名前のおかげで、友達からはからかわれ、ゴーゴリはインド人というだけで目立ってしまうのに、とても迷惑に思っていました。
そこで、大学へ進学するのを機会に、本来の名前であるニキルという名前にしました。
大学では、ニッキーとアメリカ的に呼ばれ、両親の故郷のタージ・マハルを旅行したときにインスピレーションを受けて、建築を専攻していました。
大学では、マクシーン(ジャシンダ・バレット)という美術専攻の学生と恋をして、彼女の両親にも受け入れられ、入り浸り、自分の両親のところにも寄り付かなくなっていました。
この頃のゴーゴリは、自分がインド人だということも忘れていたことでしょう。
父から、その名前の由来を聞いても、さほど気に留めませんでした。
ところが、父が単身赴任中に急死してしまう。
突然、自分がインド人で、父がくれた名前には深い思いが隠されていたということに気づき、その戸惑いの大きさに没頭して、マクシーンとの関係までもが壊れてしまいました。
同じベンガル人で幼なじみのモウシュミ(ズレイカ・ロビンソン)と再会し、インド式の結婚式を挙げました。
普通の映画なら、ここでハッピーエンドの所でしょうが、まだ続きます。
モウシュミにはパリにピエールという恋人があり、別れられなかったようです。
それを知ったゴーゴリは、もちろん傷つきますが、ここからがスタートと、晴れやかな気持ちで旅に出ます。
アシマはインドへ帰り、ソニアはアメリカ人と結婚する、という結末でした。
ストーリー的には無理がなく、ほんとうにいい家族だなあという感じなのですが、映像がなかなか素敵です。
インドのシーンもアメリカのシーンも、優しい気持ちになりました。
インド式の結婚式が2回とお葬式、ガンジス川への散灰の様子なども印象に残りました。
若いアシマが、会う前の未来の夫の靴に足を入れてふざけてみるシーンや、ゴーゴリとモウシュミの初夜のホテルの部屋でのインド風のダンスとか、心に残る印象的なシーンがありました。
いい作品でした。
お薦めです。