独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

日中出版の集いで言いそびれたこと

2015-07-02 19:23:28 | 日記
7月2日、第二議員会館で「第四回日中出版界友好交流会」が開かれた。主催した日本僑報社の段躍中編集長に呼ばれ、パネリストとして参加してきた。出版の日中交流を通じ、両国関係を改善しようという試みで、同社から編著者として『日中対立を超える発信力 中国報道最前線 総局長・特派員たちの声』(2013年)『日中関係は本当に最悪なのか 政治対立下の経済発信力』(2014年)を出版した私に声がかかったわけである。後者は中国語への翻訳が完了し、8月の北京ブックフェアで中国語版を発表するべく準備が進んでいる。発信力シリーズも第三作目となる「文化編」の編集作業も進行中で、引き続き段編集長との二人三脚で、出版を通じた日中相互理解の推進に力を尽くしていきたいと思っている。

交流会で東京ブックフェア参加のため訪日中の中国側ゲストが、「製紙も印刷も中国が発明した」と出版大国の誇りを述べたことに触発され、活字文化の現状について考えた。昨日も書いたが、中国では蘇東坡が「人生識字憂患始」(人生、字を知るは憂患の始め)と嘆いたように、文字を知れば思考し、苦悩することから離れることはできない。胡適は、名教の異名を持つ儒教を批判する評論『名教』の中で、「中国は宗教を持たない国だが、実は〝名教〟という宗教がある。名教は文字を書くことを崇拝する宗教であり、つまり、文字を書くことに呪力があり、魔力があると信ずる宗教である」と述べた。幾多の過酷な文字の獄を経験してきた出版大国の苦悩も、胡適の文章から読み取ることができる。

インターネットの出現によって、活字文化の衰退が加速された。出版の新聞も、紙媒体は冬の時代を迎えている。ネットや携帯で氾濫する文字もまた、活字文化の一部であるかのように見受けられる。だが、おびただし数の情報がやり取りされ、たちまち消費されいく空間で、文字はどれだけ人の記憶にとどまるだろうか。人は記憶し、歴史を刻み、そして思考し、苦悩するために文字を持ったのではなかったか。チャットによって会話と文字が一体化し、言葉と文字の境界があいまいになってしまったような気がしてならない。文字は話し言葉の道具と化し、かつて持っていた威厳を失いつつある。文字から人の魂が失われつつある。

魂を失った文字のやり取りの中で、人の誤解が生まれ、憎悪が増幅されていくのではないか。一文字一文字に魂を吹き込み、生命をよみがえらせることが求められているのではないか。もしかすると出版大国の「文字の国」から、我々はもっと多くのことを学ぶことができるのではないか。それは「文字の国」自身がもしかすると忘れかけていることではないのか・・・

こんなことを考えたが、パネリストに与えられた時間は極めて短かった。段編集長のせいではないが、心残りがあったので、ここに記すこととした。
ジャンル:
ウェブログ
コメント (1)   この記事についてブログを書く
« 「上海 そんなに遠くない」... | トップ | 中国の朋友が贈ってくれた詩... »
最近の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます。 (段躍中)
2015-07-03 16:07:33
昨日は時間の関係で大変申し訳ございませんでした。もっと加藤さんのお話を聞きたい、もっと彼に時間を割いてあげたら良かったとの参加者から感想を寄せられました。いつか加藤さんの単独講演会を開催したいです。よろしくお願い申し上げます。

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事