片山修のずだぶくろ Ⅰ

経済ジャーナリスト 片山修のオフィシャルブログ。2009年5月~2014年6月

写真家・瀬戸正人さんと語る⑥

2011-11-08 14:30:58 | 対談

⑥ムービーが写真にとってかわる!?

片山 でもやっぱり……、「決定的瞬間」の写真ってね、心には残るんじゃないですかね。
キャパのスペイン内戦の写真なんて、あの写真は心に焼き付いていますよね。

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瀬戸 ただ、最近は、戦場カメラマンもムービーを使う人が多いようですね。
ベトナム戦争下で、写真とムービーの両方で撮影されていたシーンの話があります。
写真は、南ベトナムの幹部が捕虜にしたベトコン兵を撃つ瞬間のもの。まさに撃つ瞬間。
一方、そこに別の会社のムービーのカメラマンがいて、その前後の数秒を撮っているんです。


片山 ああ、その写真、知っていますよ。
写真に写っているシーンにいたるまでの、流れがわかるわけですね。


瀬戸 はい。撃つ直前に会話があるんです。南ベトナムの軍幹部は、捕虜に対して、「このやろう」とかいって、つっついたりしているんですよね。そこから、いきなり、「撃つぞ」ともいわないでスッと銃をあげて撃つんです。そして、捕虜が倒れる。
ムービーには、二人の関係性とか、撃たれたシーンの背景、真実が映っているんですよ。
つまり、真実を伝えるという意味では、ムービーの方が優れているかもしれない。


片山 うーん、なるほど。
ただ、あえていうならば、あの写真を見ると、有無をいわさず撃っているんじゃないかということは伝わってくる。その「決定的瞬間」からね。


瀬戸 そうですね。抵抗していませんしね。

片山 縛られている人を、平気で撃つ。それも、無表情で撃てる人間が写っている。
人が人を殺すということ、戦争の真実、むごさ。そういうものは、あの瞬間にすべて語られているような気がしますね。


瀬戸 確かに、瞬間は固定化されますから、イメージが増幅されますね。

片山 だから、見る人の読みとる力次第でしょうかね。

瀬戸 そうなんですよ。

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片山 僕は古い人間だから、どっちかっていうと、そういう一枚から、いろんなものを読みとるっていうのは好きですね。
まあ、どっちが正しいということではない。
文章でいえば、小説と、俳句のようなものかもしれませんね。
映像はストーリーで、俳句は瞬間を切り取った写真に近い。


瀬戸 そうかもしれない。俳句は短いぶん、凝縮されますからね。

つづく

瀬戸正人:1953年 タイ国ウドーンタニ市生まれ。1961年に父の故郷である福島県に移住。森山大道に師事し、1996年、写真展「Living Room, Tokyo 1989-1994」「Silent Mode」で第21回木村伊兵衛写真賞、第8回写真の会賞、2008年日本写真協会年度賞など受賞歴多数。ほかに1999年『トオイと正人』(朝日新聞社刊)で第12回新潮学芸賞受賞など。日本を代表する写真家の一人。最近では、『東日本大震災――写真家17人の視点』(アサヒカメラ特別編集、朝日新聞出版)に、写真を掲載。