片割れ月おもちゃ箱

エッセイ風お笑いブログです~

可美しき郷

2018年08月25日 21時13分13秒 | 日記
  涼新た高校球児凱旋す …駄句である(_ _;)…パタリ



 朝起きて、庭に咲いている朝顔に目をやると胸がチクチクしてくる。
 花屋さんの店先のりんどうの花を見ては胸が苦しくなってくる。
 医者に診てもらうまでもなく、どうやら紫色を見ると発症する金農ロスという症状らしい。
 毎年夏の甲子園大会が終わり喪失感に襲われる「甲子園ロス」という病気があることは知っていたが、私もまだ抜け出せないでいる(笑)



 第100回全国高校野球選手権大会は大阪桐蔭の優勝で幕を閉じたが、今回は皆さまの応援のおかげで地元の金農が準優勝という成績を残すことができ感激しているところである。
 私立の強豪校を次から次へとドラマチックな展開で撃破し、大会の主役に躍り出たことは記憶に新しいところである。
 特にナツさんとG様には試合のたびに応援してもらい、その都度お祝いの言葉を頂戴賜り感謝している。
 ブロ友さんが若い頃に勤めていた日本農業新聞もスポーツ記事は今まで掲載したことが無かったそうだが、金農の活躍で急遽取材して一面扱いやら号外まで出して前代未聞の大騒ぎだったそうである。



 マスコミは優勝した大阪桐蔭よりも準優勝した金農のほうを大きく取り上げて煽るものだから、それに乗せられて地元のみならず全国的に高校野球が大変盛り上がった。
 商店街や公共施設には「金農・優勝おめでとう」の大きな垂れ幕が掲げられ、優勝したのかと勘違いしてしまいそうだが、よく見ると優勝の前に胡麻のような小さな文字で「準」と書かれてあった。厳格な高野連と公正取引委員会もこのくらいのことには目をつむってくれるに違いない。
 経済効果もかなりなものがあるようで、以前ローソンで期間限定販売されていた金農パンケーキも急遽店頭に並んだそうである(*^^*)ポッ



 金農の教育方針は「寝ていて人を起こすこと勿れ」。率先して事にあたらなければ誰もついてこないということだろう。金足の小泉潟の畔に生まれ、農聖と呼ばれた石川理紀之助の経済のことば14か条の中の一つである。
 他にも
「遠国(おんごく)の事を学ぶには先ず自国の事を知れ」
「資金をのみ力にして起こす産は破れ易し
「樹木は祖先より借りて子孫に返すものと知れ」
「国の経済を考えて家の経済を行え」
「経済は唯沢山に金銭を持つことに非(あら)ず」
 などなど…

 女房にも14か条を実践してほしいものだが、我が家では女房が朝寝している間に私がゴミ出しに行き、女房が昼寝している間に私はスーパーのお使いにも行かされる。
 「寝ていて人を起こすこと勿れ」と呪文を唱えたところで、寝ている女房にはいっこうに聞こえないようだ。
 今日も野菜コーナーのナスを手に取ると胸が苦しくなり涙があふれそうになった。こればかりは金農ロスではなく、単なる男の哀愁である(_ _;)…パタリ
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フレーフレーかなのー!

2018年08月15日 18時05分11秒 | 日記
 土壇場のツーランスクイズ雲の峰 …駄句である(_ _;)…パタリ



 お盆に入ってゆっくりしている。
 竿灯などの主な夏祭りは終わってしまったが、来週は大曲の花火大会が開催される。NHKのBSで毎年中継されているので、来られない方はテレビで見てはどうだろう。
 それが終われば涼しい風が吹いてきて、こちら地方には実りの秋がやってくる。

 昨日は暇に任せて甲子園での高校野球のテレビ中継を見ていた。
 今回は私が時々遊びに行く金足の小泉潟の畔、可美しき郷の金足農業高校が出場している。野球エリートをスカウティングした他の出場校と違い、近郷近在の野球少年だけで賄っている公立校であり、あまり期待していなかったが、投手の踏ん張りもあって金農が甲子園通算10勝を果たした。
 6回目の出場で10勝しているということは、平均すると1回の出場で2回近く勝っているという計算になる。

 ここにきて報道で大々的に取り上げられ、金農株が急騰している。金農は甲子園と相性が良いのだろう。地元での呼び名「カナノウ」もマスコミのおかげで全国的になたようだ。
 嬉しい限りだが、次の相手はそれこそエリートを集めた優勝候補の横浜が相手である。
 簡単にはいかないだろうが、田んぼの草取りと果樹や野菜への水遣りは私が代わりにやっておく。ニワトリのエサ遣りと豚のエサ遣りも任せてほしい。
 イモチ病などには心配しないで、ぜひとも勝って決勝まで進んでほしいものだ。




 記事の内容と画像(湯沢絵灯籠祭)は一切関係ありません(*^^*)ポッ
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竿燈まつり

2018年08月06日 18時22分01秒 | 日記
  夏銀河クルーズ船の寄港せり …駄句である(_ _;)…パタリ



 4日間行われた竿燈まつりは今日が最終日である。今年は279本の竿燈が光の稲穂となって夜空に揺れた。
 期間中は「ぱしふぃっくびいなす」「にっぽん丸」「飛鳥Ⅱ」などのクルーズ船が土崎の港に連日寄港している。竿燈会場や男鹿、角館の観光地にはバスのほか、港の貨物駅から秋田駅まで臨時列車が乗客を運んでいる。
 中でも今日やってきたイギリスの「ダイヤモンド・プリンセス」は全長290mの大きさを誇る大きな船である。見に行かないわけにはいかないだろう。
 御覧のとおり写真に写そうとしても全体が入らない。客室のデッキからこちらを見ている女性がいたのでズームで写してみたが、東洋人の草臥れたおばちゃんであった。どのくらい草臥れているかアップしてご覧いただきたいところだが、肖像権の問題もあって、見たい人だけに後でこっそりヾ( ̄o ̄😉オイオイ
 ちなみにこの日の乗船客数は2800人、うち外国人が1500人だったそうだ。














以下あきた歳時記より抜粋
竿燈 (夏)
 竿灯は昔、ねぶり流しと言われた七夕行事であるが、近年になって東北夏祭のひとつに数えられ、すっかり観光行事化してしまった。
 長さ11mの竹竿に、46個の提灯を九段に取りつけたものが竿灯で、重量は50キロに達する。総ての提灯に灯が入れられ、夜空に捧げられた眺めは、金の稲穂にも見え、それが大小270本を越すのであるから、壮観の一語に尽きる。
 竿灯の起源はさだかではないが、断片的な記録からの想定では200年以上の歴史を持つとされていて、最近では国際的な場に招かれ、親善を果たしている。重量が50キロに及ぶ竿灯を、竿灯囃にはげまされ、演技者たちは掌に据え、あるいは肩に、額に、そして腰にと据えるわざは、一朝一夕に得たものとは思われない。
 技の円熟した演技者を大若、大若前の人々を小若といって、将来の演技者育成のため、小学校児童たちの幼若というものもある。〈若)は若者であり、竿灯演技者ということである。若者たちは町内ごとの揃いの絆纒、白の股引き、白足袋姿のイキのよさで演技にあたる。
 昭和54年12月8日、文部大臣から重要無形文化財の指定を受けた。
 竿灯のほかに、県内の目ぼしい七夕行事としては能代のねぶ流しがある。鯱を取りつけた城型の大灯篭に灯を入れ町をねり歩き、米代川に到って鯱を焼き流す鯱流しで終る。五城目の七夕灯篭は、前年まで無かった型の灯篭を競い合うというもので、言うなれば伝統のないことを伝統とする珍しさを誇っている。
 県内の七夕行事中、最も古い歴史をもつのは、湯沢の絵灯篭祭であろう。これは1720年ごろ、鷹司家から城主湯沢氏に嫁いで来られた姫君が、京の都をなつかしみ、京風の灯篭を作らせたことにはじまる。あでやかな日本画風な絵灯篭の祭は、灯の日本美術展の観がある。
 
幣を得し竿灯の反りただならず  柳川大亀
竿燈に喝釆すれば旅めきぬ   竹貫せき女
竿灯果て星屑の位置定まれり   渡部六愁
綺羅星に竿灯の幣触れんばかり   荻原都美子
集金屋竿灯を見に来ていたり   荻原映雱


これからのイベント

 湯沢の絵灯ろう祭り


 西馬音内の盆踊り


 大曲の花火

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海の記念日

2018年07月19日 14時46分08秒 | 日記
  ユネスコに尻を押されて御幸曳山 …駄句である(_ _;)…パタリ



 市道脇の植樹帯に植えられた紫陽花が色を濃くしているが、母の赤漬けはいっこうに色を濃くしないまま無残にも嫁の手によってゴミに出されたそうである。
 嫁の居ない間に手柄を立てようと功を焦った母が不憫だと仰る方もおありだろうが、私が買ってきた埼玉産の赤紫蘇の葉が粗悪品であったため失敗したと言っている。そもそもお盆料理として作るものを気温が定まらない梅雨時に作れば失敗するに決まっている。人の言うことを聞かない母に長年虐げられた仏様の天罰が下ったのかもしれない。
「今度は秋田産の赤紫蘇を手に入れて気温が30度くらいに安定した日を狙ってリベンジする」と性懲りもなくのたまっているが、果たして今度は失敗の理由を誰のせいにするのだろうか…
 だしぬけに「ヤクルト一本あげるから赤紫蘇を買って来い」とお使いを頼まれても、今回ばかりはお断りするつもりだ(*^^*)ポッ



 まだ梅雨明けしていないので、じめじめした天気が続いている。例年だと港祭の前に大雨が降り、そのまま暑くなって梅雨が明けるパターンが多い。今年はどうなのだろう。
 港祭は20日と21日の二日間行われ、一昔前は海の記念日も7月20日であったので、港には海上自衛隊の護衛艦が寄港し、お祭りを盛り上げたものだが、海の日に替わってからは第三月曜日になり、港祭の日程とずれてしまい、休日となった割にいまいち有難味のない海の日である。

 一昨年、日本の山・鉾・屋台行事として京都祇園祭の山鉾行事をはじめとする33の曳山祭りがユネスコ無形文化遺産に登録された。その際ご当地の港祭りもどさくさに紛れて十把一絡げの中に登録されているが、少子化で引手集めにも苦労しているそうだ。山鉾行事と比べるには些かしょぼい祭りで、京都衆にはコンチキチンとケチをつけられそうだが、お祭りに免じて許して貰うしかないだろう。



 以下、あきた歳時記より抜粋

季語 港祭

 7月20、21日の両日は土崎神明社の祭典で、すでに400年の歴史を閲している。
 もともと、この港は雄物川の河口港で、土砂の堆積甚だしくて良港たりえなかったが、新屋に雄物川放水路が作られ、港内の浚渫その他設備が整えられ、国内外航路の大型船の入港も可能になってから、神明社の大祭を港祭として行うようになった。
 祭りの呼び物としては、古戦場の一場面を再現したような高い置山と、同じ趣向に港ばやしを添えた曳山という花車の数々がある。さらに曳山の場合は、酒気を帯びた若者たちが引き手となっているので、他町の曳山との間にささいなことでいざこざを起こし、喧嘩山となり、それが祭の見世物とされたのも、今は昔のことである。

 太串に烏賊焼く港祭かな 大橋蕗風
 炎天の港祭は酒まつり 乾 一



 御幸曳山


 戻り曳山


 戻り曳山(喧嘩山)…今は昔
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クレーマー

2018年07月08日 18時47分25秒 | 日記
  戻り梅雨しとどショパンの変イ音 …駄句である(_ _;)…パタリ




 ニュースになる程ではないが、連日の雨に見舞われている。気象庁では梅雨明け宣言を出していたが、こちら地方はどうやら梅雨の真っ只中にあるようだ。

 しばらく記事を更新していなかったが、その間に女房は帰って来た。
 そして母の赤漬けは大失敗に終わった。出してきたものを私に食べろと言われても、味も色もついてない。発酵していないので只々塩辛いだけで、漬けた時のままなのだろう。寒かったことが影響したと思われるが、失敗作ならこっそり捨てればいいものを、往生際の悪い婆あである。挙句の果てにお前が買ってきた紫蘇が粗悪品で上手くいかなかったとのたまい、どうしても敗戦は認めたくないようだ。もう少し置いたら出来上がると言っては見たものの、いつまでも置いたら腐るだろうに…

 夕方になると梅雨の合間を縫って祭囃子が聞こえてくる。20日、21日に行われる港まつりの練習をしている笛と太鼓の軽快な音である。通りのあちこちでは曳山の組み立ても始まっており、スーパーではカスベの乾物のコーナーが設けられ飛ぶように売れているらしい。こうして土崎の町はいっきにお祭りムード一色となる。

 ところが、風の向きによっては竿燈の太鼓が港まで聞こえてくることがあるらしい。竿燈の行われる旧市内と港まつりが行われる土崎港は7キロほど離れているので本来は音が被らないはずだが、土崎に隣接した自衛隊駐屯地に竿燈会がなるものがあり、本番に参加する隊員たちは仕事?そっちのけで昼も夜も練習をしている。竿燈の太鼓は大きいので重低音に響く。面白くないのは土崎衆。「なんだなんだ、おらほの祭りにケチをつける気か!」ということになる。

 竿燈をメインにした「民俗芸能資料館」なるものが以前から中心市街地にある。土崎衆に言わせるとそれも面白くない。「世界遺産にも登録されたおらほの祭りの資料館も作らねば」となり、今年の春には土崎地区に「みなと歴史資料館」という立派なものが建てられた。



 これでようやく落ち着いたかと思っていたところ、今度はマンホールの蓋にケチが付いた。
 市のマンホールの蓋には竿燈をデザインしたものが全市一律に使われているが、土崎衆は面白くない。「おらほの町に竿燈はいらねーべ」とケチが付く。
というわけで、このたび土崎地区のマンホールの蓋もおらほの祭りのデザインになったとさ、
 めでたしめでたし(*^^*)ポッ



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老婆心

2018年06月27日 11時14分36秒 | 日記
  ゆつくりと母の赤漬け熟しをり …駄句である(_ _;)…パタリ



 夜半から降った雨が今も降り続いている。予報では終日この天気らしい。こんな日はゆっくりしてブログでも書くに限る。
 女房は東京の娘のところに転がり込んでしばらく帰って来ないそうだ。先月も出かけて行ったので、向うのほうがよほど暮らしやすいということか。このまま帰って来なければ好き放題ができると思っていたが、強ちそうでもないことが分かった。

 今までは女房に遠慮して前線に出てくることのなかった母が、心置きなく私の世話をやきたがる。邪険にするのも悪いから従うようにはしているが、私を何もできない子ども扱いにした物言いはいったいどうしたものか。「刺身に醤油をつけすぎる!」、やれ「みそ汁とご飯の置く位置が逆だ!」、はたまた「ご飯におかずをのせて食べたほうが美味しいべ!」、挙句の果ては「ごはんをこぼすな!」、とうとう箸の持ち方からおかずを食べる順番まで指図をする。このまま従って一週間もしたならば、私は小学生以来のお行儀のいい僕ちゃんにされてしまうに違いない(_ _;)…パタリ

 女房に邪魔者扱いされるので普段はあまり台所に入らない母だが、何か企んでいるようだ。赤紫蘇ともち米を買って来いと唐突に言われ、僕ちゃんはお使い小僧にされてしまう。何に使うものか母に聞くと、「まま漬けを作る」という返事が返ってきた。
「まま漬け」は「赤漬け」ともいうらしいが、細かくちぎった赤紫蘇と炊いたもち米を混ぜてビニール袋に入れておくだけで簡単にできる発酵食品。そのまま食べても美味しいし、ご飯のおかずにも酒の肴にもなる。

 簡単にできると言ったが、普通はお盆料理として作るものである。発酵食品なので出来上がるまでの気温が大きく関係してくる。今の時期だと失敗する確率が非常に高いのだ。それを承知の鬼の居ぬ間の急ぎ働き、とはいえ寝かせて出来上がるまで4、5日は掛かる。たぶん失敗作は鬼に内緒で処分するつもりだろうが、その前に鬼が帰ってくるということもある…
 私は見て見ぬふりを貫くしかないだろう┐(´д`)┌ヤレヤレ

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有耶無耶

2018年06月24日 17時15分32秒 | 日記
  翁の句碑なぞりし詩家のなめくぢり …駄句である(_ _;)…パタリ



 このあたりでは紫陽花が咲きだしてきたばかりで、合歓の花はまだ眠っている。
 松尾芭蕉が象潟に来たのは元禄2年6月15日とある。<象潟や雨に西施がねぶの花>の句を作ったのだから、おそらく旧暦ということだろう、今の暦では7月ということか?

 酒田を出た芭蕉一行は象潟を目指し、砂浜の海岸線に沿って北上したそうだ。
 国境付近は鳥海山が噴火したときに溶岩が流れ出して固まり、海に迫出した断崖絶壁が続く。
 一行は高巻きをして険しい崖の上の難所を大雨にも祟られながら這う這うの体で三崎峠を越えたと思われる。

 峠を越えて秋田側に入ると、当時は有耶無耶の関という関所があったそうだ。
 その昔、このあたりには山から山に届くほどの手足の長い悪鬼がいて、旅人をさらって食っていたそうだが、芭蕉が来た頃にはすでに退治されていなくなっていたらしい。

 象潟に入った一行は蚶満寺周辺をぶらついて何句か作ったようだが、曾良が<象潟や料理何くふ神祭>と詠んでいる。
 ちょうどその日はお祭りがおこなわれていたようで、それがチョークライロという祭りであったかどうかは有耶無耶であるヾ( ̄o ̄;)オイオイ

―――――以下≪あきた歳時記≫から引用

チョークライロ (夏)
        子季語 閻浮舞(えんぶまい)

 新観光秋田三十景の一つ奈曽渓谷に奈曽の白滝があり、そのほとりに金峰神社がある。
伝説によると両羽の境に手長足長という悪鬼がいて、しきりに旅人を苦しめたので、見かねた鳥海山大権現が三足の鳥をつかわし、旅人に悪鬼の在・不在を「有耶」「無耶」の言葉で教えたという。
 慈覚大師が朝命で護摩密法により悪鬼を退治。その際、加護助力の蔵王権現の神恩に謝して、金峰社社頭の閻浮堤(チョークライロと呼ばれている土壇)で舞を奉じた。それ以来1130年を越す今日まで継承され、6月15日の小滝金峰神社の例祭で演舞奉納されている。
 舞は九舎・荒金・小兒・太平楽・祖父祖母・閻浮の舞などがあり、学齢内の少年が舞手の主役で、笛・太鼓・鉦の伴奏に、古語のはやしことばが添えられるだけである。

 ゆっくりと時計が止まる閻浮舞  荻原都美子
 行者めくチョークライロの囃し言  菅波一路


―――――以上引用









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あんず

2018年06月22日 18時23分34秒 | 日記
  三姉妹嫁して杏は実となりぬ …駄句である(_ _;)…パタリ



 ナメクジが庭石の上を這っていた。塩をかけようかと目を凝らしてよく見ると、うごめいているのは90過ぎた母の姿である。
 随分小さくなったものだと、あらためて思った。おそらく女房が長年にわたり、少しずつ塩をまぶしているせいだろうヾ( ̄o ̄😉オイオイ

 丁度ナメクジ、もとい母が座っていた石の後ろに以前は梅の木があった。私が中学校の創立記念日か何かの記念に配られた豊後梅の苗を植えたもので、大きく成長し、数は少ないが大粒の実が成っていた。
 しかし、いつの頃からか毎年アメシロ付くようになり、残念ながら実がほとんど成らなくなった。アメシロとの戦に疲れ果てた父は業を煮やし梅の木を切ってしまう。
 それ以来、我が家には実のなる木が一つもなくなった。

 方や女房の実家は、田舎とはいえ1000坪ほどの広い屋敷に、ウメ、あんず、スモモ、リンゴ、ナツメ、イチジク、クリ、クルミの果てまで、実のなる木は何でもあった。
 今は代変わりしてこちらまで回ってこないが、以前は今頃になると実家から我が家を含め三姉妹の嫁ぎ先に杏が届けられ、その都度女房は自慢げになり態度を大きくする。
 農家生まれの父にとっては無念で肩身が狭くなったに違いない。

 後年、呆けがだいぶ進んだ父が、軒下に宿儺カボチャの種を植えたことがあった。芽が出て膨らんで、開いた花が白かった。その時点で気づけばよかったのだが、不安に思いつつ父は実が成るまで我慢強く育てた。
 私が予測したとおり、成った実はカボチャではなく夕顔という結果に、父はとうとう居た堪れなくなり、その翌年にぽっくり逝ってしまう。
 この事件を我が家では「ぼけカボチャ事件」と称して、カボチャの種ならぬ、物笑いの種にしているヾ( ̄o ̄😉コラコラ




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夏至近し

2018年06月20日 18時15分32秒 | 日記
  夏至近し半島に浸む入り日かな …駄句である(_ _;)…パタリ



 春分には海に沈んでいた夕日も、夏至の頃になると男鹿半島の山裾をかすめるようになる。
 土崎漁港にはいま、イカ釣り舟やら軍艦やらと他所からやってきた船が占拠している。
 来月になればクルーズ船が何回か寄港するそうだ。
 そして竿灯まつり期間中になると、ぱしふぃっくびいなす、飛鳥Ⅱ、そして彼の英国の豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号がやってくる。
 そうなると私は竿灯まつりどころではなくなり、岸壁の父となって、連日クルーズ船の見学に行くしかないだろう(*^^*)ポッ

 さて、ここ数年スーパーの特設コーナーでは、節分に恵方巻、初午にはいなりずし、半夏生の日にはタコ、土用にはうなぎを食べなければ即刻死んでしまうといったような脅しにも近い商売を始めている。そして冬至の日にはカボチャと柚子が山積されることになる。
 となれば夏至に備えてスーパーの店長は何を目論み、何を仕組んでいるものやら、、、
 それを食べたら長生きすると言われたら何でも従うしかないが、お使いメモには明日もカレールーと書かれているはずだ。人参とじゃがいもと玉ねぎを山積みしたカレーライスコーナーを作ってくれたら有難いかもヾ( ̄o ̄😉オイオイ

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あきた歳時記

2018年06月18日 17時07分15秒 | 日記
  はすかひに二杯寄り添ふ蓴舟 …駄句である(_ _;)…パタリ



 地元紙の俳壇をときどき覗いているが、あまり知られていないような季語を見かけることがたまにある。
 季語として認められているのかも分からずにいたが、最近になって「あきた歳時記」なるものがあることが分かった。秋田に住んでいるので独特のニュアンスが必要な時もある。手元にあれば作句の幅が広がるに違いない。
 ということで、ネットで検索すると地元の古本屋に在庫があることが分かった。電話で確認してさっそく買いに行った。ケースに多少の日焼けがみられたものの本体は汚れもなく、生まれたての赤ちゃんのようにきれいであった。
 持っていた人はおそらく中身を一度も開けて見たことが無かったのかも(笑)
 昭和56年の初版で1500円の値段が付いているが、古本屋では1000円で売られていた。
 中を開くと、こちら地方独特の季語もあれば、全国的に使われている季語も載っている。
 先日、<蓴舟>という季語で一句作っていたので試しに引いてみると、

<以下引用>-------------------------
蓴(ぬなわ)夏 
      蓴菜(じゅんさい) 蓴舟(ぬなわぶね)

じゅんさいは東近畿と隣県山形とに肩を並べて、秋田も主な産地とされている。
近い所では、秋田市の小泉潟その他の沼、そして能代近郊の数多い沼や、名も知らない沼々にも生えている。
草形は葉のようだが小さくて、全体が卵白かゼラチン様な粘体に包まれ、梅雨明け頃から採集が始められる。
小雨のけぶる沼の面で、盥舟のような、箱舟のような、舟の形をなしていないような小舟を、傾斜が許される限度まで傾けて蓴菜を採っている風景は、生きて動く俳画をなしている。
<ぬなわ舟入り日のかげのただ中に> 青柳浩史
<じゅんさいの湿りを襟に乳ふくらませ> 志渡洋

<以上引用>-------------------------

 B6版で200ページ足らずの歳時記だが、大切にしていきたい本である。



  古書店の通路は狭し桜桃忌 …駄句である(_ _;)…パタリ

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