モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

日本的りべらりずむⅤ‐4〈鳥獣戯画絵巻〉と院政期の絵巻物ーー最高傑作〈伴大納言絵詞〉鑑賞

2021年11月02日 | 日本的りべらりずむ

院政期に描かれたとされる絵巻物の群の中でも最高傑作と私が思うのは、〈源氏物語絵巻〉と〈伴大納言絵詞〉です。
ここでは特に人体の動態表現を軸に絵巻物を見ていってますので、〈伴大納言絵詞〉を取り上げることにします。

〈伴大納言絵詞〉を最高傑作とする理由として、人体の動態表現や顔の表情表現と群衆表現が融合された絵面の豊饒さということがあります。
この観点からしても、名場面が次々と繰り広げられていきます。

今回は、絵を見ながら簡単な解説を付けていく形で書いていきましょう。

〈あらすじ〉
清和天皇の御世に宮中内裏の応天門が焼ける事件があり、伴善男大納言は、放火したのは左大臣の源信(みなもとのまこと)であると奏上する。しかしよく調べた結果、確かな証拠がないということで天皇は源信を赦免する。実は放火の現場を目撃した者がいて、その子供が隣りの家の子供と往来で喧嘩した騒動がきっかけとなって、放火犯は伴善男であることが目撃者の口から公言される。伴善男は取調べを受け、真相が明らかとなって、伊豆へと配流される。

1.動態表現と集団表現のダイナミズムの観点から


伊豆への配流が決まった伴善男を護送する検非違使の一団の図。人体の動きが一人一人リアルに描かれて変化に富んでいます。また馬体の動態も力強く、人の群れと融合して一つのまとまりのある集団として描く筆力は見事というほかありません。

2.百人百様の顔の表情


応天門の火災を見物する人々。
群集を描きながら、その一人一人の人相や表情がみな違っています。
こういう絵が描けるのは、都の往来に立って道行く人々を観察しデッサンしていくということの日常的な積み重ねなしには考えられません。
“観る”ということに自己の存在意義を見出している絵師の意識が想像されます。
この当時の東アジアエリアでの“絵の描き方”としてもまったく独自であると思います。

3.庶民の姿への関心(および異時同図法)


子供どうしの喧嘩騒動の場面。
右端に子供の喧嘩の図、左から一方の子の父親が駆けつける、下方に、駆けつけた父親が相手の子を足蹴にしている(子供は殺されるとする文献もあるとのこと)。
一連の騒動を一つの画面の中に配して描き分けていますが、全体としての統一感で構成しています。
これは異時同図法と呼ばれて、絵巻物表現の技法として知られていますが、特に〈伴大納言絵詞〉はこの手法の活用が際立った特徴の一つとされています。

異時同図法を使って庶民の姿を絵の中に溶け込ませ、都の市中における群集を描写している]ます。

左ページのほぼ中央の5人のグループなども一人一人が巧妙に描き分けられて、一幅の絵になっていると言えるでしょう。

4.着衣の人体表現

余白をたっぷりと取った空間に束帯に身を包んだ公家が独り、ぽつんと立っています。
私はこの人物描写にしびれました。
話の流れで言えば、応天門炎上後、伴善男が、放火犯は源信であることを宮中に奏上する話に移る、その場面転換のちょうど境のところになります。

この人物が何者であるかは特定されていませんが、立像を背後から描いて、誰かが応天門炎上の知らせをもたらしてくるのを待ち受けているようにも見えますし、事件を振り返っているようにも見えます。
私にはなんとなくこの人物は伴善男で、この先の自分の運命を予感して、襲い来る不安の感情と闘っているように感じるんですね。
何よりも、鑑賞者の目をこの人物の背後に設定して、絵の中の人物と鑑賞者の視線が同じ方向を向くように描いているのは、
一つの心理の共有を促しているようで、こんな表現方法を同時代の他の地域の絵画に見出すことができるかどうか、とても興味深く思います。

いずれにしてもこの立像表現は、輪郭を線で構成して簡潔であり、日本美術の新しい造形手法を提示していることを思わされます。
そして私には、この当時の東アジアの絵画シーンの中に超然と屹立する、絵巻的表現の中で見出された日本独自の造形世界の誕生のように見えるのです。

以上、〈伴大納言絵詞〉の特徴の主だったところです。



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