訓練を積み重ねることによって見る力が養われ、見える世界が深まっていくことは、言葉の世界にも言えることです。
たとえば日本の文芸の歴史的展開を、「見ることの深まり」の過程として捉えていくことが可能です。
これからしばらく、そのあたりのことを試みていくことにしたいと思います。
このことを考え始めたのは、桃山時代に茶の湯の作法を完成させたと言われる千利休の感性あるいは美意識といったものが、何を規範として形成されたのかということについて、改めて問題意識を抱いたことからです。
たとえば秋の庭の、一度落葉をすべてきれいに掃いた後、紅葉が新たに散り落ちてくるときの景情が美しいと言ってますが、
このような美の捉え方は、自然の動静の中に間合いやリズムを感じ取っていく抽象度の高い、まさに現代に通じる観照力の在り方を伝えるものです。

茶の湯の文化の枠組みの中で言えば、利休の先達に武野紹鴎や村田珠光といった人たちがいますが、
利休の感受性の抽象度の高さは飛び抜けていて、日本的美意識の一つの到達点を示しているように感じられます。
そういう利休の美的判断力あるいは「見ることの深さ」の度合いは、私には超歴史的(つまり過去とか現代といった時空を超えて普遍的であるということ)なものに感じられ、
利休のような人間を擁した桃山期という時代は、日本における(あるいはゆくゆくグローバルに展開していく)現代美術の始まりであるとさえ、私は思ったりしています。
そして利休を生み出したのは、桃山期に至る日本の造形美術、また文芸表現の歴史であることも確かなことと言えます。
それらがどのような展開を経て利休にまで至ったのか、ということを考えていくと、
それは日本文化史を、「見ることの深まり」の歴史として見ることができるということに、思い至ったわけです。
では「見ることの深まり」がどのように進展していったのか、そのスパンは、私の思うところでは、平安時代前期に編纂された古今和歌集から始まって、概略だけを言えば、新古今和歌集、玉葉和歌集・風雅集といった勅撰和歌集の流れと、それを引き継いだところから新たに始まっていく正徹・心敬から村田珠光・武野紹鴎への流れ、そして千利休、というおよそ800年間の長さを有するものです。
それは古代から近世へ、王朝貴族の文化から武家文化そして商家の文化へ、言葉からものへ、といった文化史の移り変わりを記述していくものとなっていくでしょう。