モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

日本的りべらりずむⅦ 珠光、宗祇、雪舟—―さかいをまぎらかす③宗祇(前)

2022年02月08日 | 日本的りべらりずむ

連歌の大成者とされる宗祇が「まぎらかせたさかい」とは何かといえば、私は「自然と人事のさかい」と答えたいと思います。

が、これは古典文芸史上で宗祇が突然「自然と人事のあいだをまぎらかせた」わけではなくて、宗祇にいたるまでの過程があります。


そもそも自然とか人事とは何を指しているかというと、自然は春夏秋冬歌、人事は恋歌で、
古典和歌の歴史の中軸をなした勅撰和歌集はすべて、この二つのカテゴリーを二大支柱に立てて編纂されています。

王朝和歌の世界は、歌の主題をこの二つのカテゴリーに分けて詠われてきたわけです。


当ブログの前回のシリーズで取り上げた、鎌倉期末期から室町初期にかけて編纂された玉葉和歌集および風雅和歌集も、全体の構成は勅撰和歌集の編纂形式を踏襲しています。

しかし詠歌の構造において、自然現象を詠む場合にも自然を観照する主体としての“我”の心理をも絡ませていくという形で、自然と人事が絡んだ世界が登場してき始めたことを指摘しておきました。


玉葉・風雅の後には、正徹という歌人の名前が出てきます。

この人は、新古今和歌集の代表的な歌人であった藤原定家に傾倒し、定家の歌の一見自然観照を詠んだような歌にも作者の心理を読み取るような新しい解釈を提示して、
自然と人事のさかいをまぎらかしていく詠い方を切り開いていきます。


正徹のあとは心敬という歌人が詠歌法を受け継ぎます。

心敬は和歌の歌人でありつつ、また連歌師としても時代の頂点を極めた人です。

その作品、特に連歌の句作においては、自然と人事が入り組んだような表現世界を遺しています。

宗祇は心敬の謦咳に接して、連歌的表現を洗練されたアートの世界へと磨き上げていったわけです。

連歌的表現のクオリティは、宗祇のひとつ上の世代の、心敬やその周辺の連歌師たちによってかなりのグレードが獲得されていたように思います。
(この時代が連歌の黄金期と言われています。)



では何をもって宗祇が連歌の大成者と見なされたのかといいますと、

①心敬亡き後の連歌界で名実ともに第一人者と目されたこと
②天皇の宣旨の下に編纂された連歌集『新撰莬玖波集』を撰集したこと
③③指南書や評論文を積極的に書いて連歌文化の普及に尽力したこと
④④後世の千利休や松尾芭蕉らによって、侘び茶や俳句の精神の規範として尊崇されたこと

などがその理由として挙げられるかと思います。


「自然と人事のさかいをまぎらかす」という観点から心敬と宗祇の作風を比較して、私の個人的な感想を書いておきます。

ある意味で、「自然と人事のさかいをまぎらかせる」境地は、心敬において達成された感もあります。

しかしその“人事”は禅宗の高僧でもあった心敬の宗教的求道者としての色合いを強く感じさせるものです。

つまり、いわゆる禅的な境地の表現として追求されている印象があって、言葉を変えれば、観念的であり理想主義的であるとも受け取れます。

そしてその宗教的な境地表現の中に“自然”も取り込まれているようにも感じます・


この意味では、心敬の歌境は人事の方にやや重心が寄っていると言えるかも知れません。

それに対して宗祇の(特に晩年の)歌風は、自然と人事のバランスがとてもいいのです。

そしてそのバランスのよさで、連歌の場合は歌の流れを絶妙にコントロールしていきますし、
発句のみの自立した句の場合は、言語表現の深さのようなものを感じさせます。

短歌を詠む人も俳句をひねる人も、宗祇の詩魂にもっと触れたほうがいいのでは、という気がします。


宗祇の最も知られた詩(発句)は次の句です。

  世にふるもさらに時雨のやどりかな
  (「ふる」は経ると降るをかけています。)

(芭蕉の宗祇へのオマージュ句もついでに紹介しときます。

  世にふるはさらに宗祇の時雨かな  )

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