モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

再出発にあたって

2011年04月06日 | モノ・こと・ことば
日本列島に住むすべての人々に震災と原発災難のお見舞いを申し上げます。

東北沿岸部を襲った津波は最大40m近い高さに及んで内陸部まで侵入しましたが、
そればかりか、その映像を報じたテレビの画面さえも超え出てきて、
多くの人々の心の中の眺めを一変させたように思えます。
「テレビの中の出来事」以上のことがこの日本で起こったのですね。

自然の威力の前では人間の力は無にひとしいということを骨身に沁みて思い知らされました。
しかしそういう無力さの自覚の上で、「自分に何ができるか」を、
一人ひとりが自分自身に問いかけるということが起こりました。
そしてその答えは、「自分にできることをやっていく」ということであるようです。
2本足で立っている人間の本然の姿がたち現れてくるようなシーンですね。
これからの日本は、確実に変わっていくでしょう。

でもどういうふうに変わっていくかについては、予断が許されません。
私自身は「原発を成り立たせた社会が、原発を廃棄することができるのか」と問うた、
ある社会学者の発言が耳にこびりついています。
人々はこの問いに向き合うことができるでしょうか?

それから、「買いだめ」とか「自粛」といった現象や被災地への支援の在り方とか
に対しては、「ふつうに暮らす」というスタンスが提示されました。
いわば「ふつうの思想」というようなものが、
今回の災厄の中から芽生えてきているように思います。
しかし「ふつう」とはどういうことなのかということも、また新たな問題として出てきそうです。
原発から供給される電力に依存した暮らしを「ふつう」とするのか、
人間と自然の関係の、もっと別なあり方を「ふつう」とするのか、
おそらく議論は錯綜していくことでしょう。

ということで、私は私なりに「大震災以降」ということを考えはじめました。
私の基本的なスタンスも「平常どおりに暮らす」ということです。
その平常どおりの一環として、この9日に「曜変天目茶碗の美について語る」という会を開きます。
曜変天目茶碗というのは、桶谷寧が再現したものです。(カテゴリの「桶谷寧・曜変天目」参照)
通常のやきものとは制作方法が異なってますが、「やきものの美」を体現した創作です。
そのために桶谷さんは命がけの仕事をしてきています。それが桶谷さんの「平常」です。
「平常」と「命がけ」は隣り合わせです。
実業の世界で仕事をする人も、美を創作する人も「命がけの平常」を送っている、
ということを確認したいと思います。

この会は、中野みどりさんが主宰する櫻工房が共催してくれます。
中野さんは紬の着物の作家として知られる人です。
3.11以降も、坦々と仕事を続けていました。
中野さんが主宰する紬塾の人向けの、この会へのお誘いの文に次のように書いています。

「動力をなるべく使わないことにこだわって糸を紡ぎ、巻き、手で織ってきたものとして言えることは、
本当に風合いのいい紬は人の手仕事の中にしか生れないのです。
自然と人知の結集です。
また良質の着物は究極のエコです。着ることからもその学びがあると思います。」

興味を覚える人はご参加ください。
あと1~2人ほど余裕があります。
会場は、町田市の櫻工房、4月9日(土)午後1:30からの始まりです。
会費は4,000円。
また、後半は庭の大山桜を眺めながらの懇親会となります(会費は実費別途)。
詳細の問合せ・申し込みは「かたち21」のHPの〈お問合せ〉からどうぞ。





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