モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

日本的りべらりずむⅩ『源氏物語』のりべらりずむ①『源氏』の人間描写の細やかさにV.ウルフも驚嘆。

2022年07月16日 | 日本的りべらりずむ

『源氏物語』(以下、『源氏』と略します)は平安時代中期、900年代の末から1000年代の初めに書かれた世界最古の長編小説の一つとされています。

世界史のなかでは『源氏』よりも古い小説もあるようですが、何十人もの主だった登場人物、しかも決して超出した英雄とか超能力者でもなく、
普通の平均的な人間の一人一人の言動や思念を、特定の思想や道徳観や美意識に依らずに、人物自体に即してリアルに、
更には心理の襞に分け入って描写(あるいは観照)していくような、ある意味では近代小説にも比肩しうるような語り方をしている物語は、
古代の小説としては他にないと言えるのではないかと思います。

人間を個別的に観察してその言動や心理を描出するような文芸作品は、当時の文芸的教養の世界を提供していたお隣の中国では、司馬遷の歴史書『史記』あたりが思い当たります。

紫式部は『史記』を愛読していたとのことで、その影響を指摘する研究者もおられます。

(たとえば、国文学者の小西人甚一は『日本文藝史』の中で次のように書いています。
 「…紫式部が『史記』に通じていたことは、みずから語るところである。
『史記』に述べられているのは、国の治乱・興亡にもせよ、人間が自分自身の能力と責任において対処していった事跡だけれども、それらは多くの場合、望まれるような結果になっていない。
この「人の世は不如意だ」という『史記』の知見こそ、仮構物語のなかに初めて現実性を持ち込むことができた重要な契機にほかならないであろう。」)

しかし、宮廷という特殊社会ながらいわゆる〝数ならぬ”(古語で「普通の」「とるに足りない」という意味)人間の心理や振る舞いをリアリスティックに観察し、描写する近代的な意識とは異なっています。

また、『源氏』が書かれた同時期の西洋はまだルネッサンスにも至っていなくて、人間の現実の姿を描く文藝が生れてくるのは、まだまだ数百年も後のことです。



『源氏物語』が最初に英語に翻訳されたのは1925年のことで(以後1933年に全訳完了)、A.ウェイリーという人が訳しています。
これを当時小説家として油の乗っていたV.ウルフが読んで、その創作意識の先進性に驚嘆の言葉を残しています。次のように。

「(『源氏』が書かれていた時代)私たちの祖先は絶えず人間同士、イノシシ相手、生い茂る藪や沼地と格闘していて、写本にせよ翻訳にせよ年代記にせよ、ペンをとって執筆したり、あるいは荒削りの詩を荒々しくがさつな声で詠ったりしたのは、苦闘に膨れ上がった拳、危険に曝され研ぎ澄まされた頭、煙にひりついた目、湿地を踏みわけ冷え切った足を抱えてのことでした。
  夏来たる/カッコウ騒々しく鳴けり
――などが、彼らが唐突にあげた雄叫びでした。
(中略)
レディ・ムラサキはこうした時代に、過剰な表現を嫌い、ユーモアや良識を持ち、矛盾に情熱を燃やし、人間性へ好奇心を持ち、生い茂る草や侘しい風のなか朽ち果ててゆく古い館、荒寥たる景色、滝の音、砧をうつ木槌の音、ワイルド・グースの鳴く音、赤鼻のプリンセスなど、つまり不調和ゆえに美しさを増すものに愛情を抱き、それを表現する彼女の才能を遺憾なく発揮することができたのです。」(訳 毬矢まりえ、森山恵)


ウルフは、平安期日本貴族の宮廷生活のディテールが自然の豊かな変化の相の下に、細やかに優雅に描かれていることに驚嘆しています。

そのような自然環境や暮らしのディテールをながめやる紫女の深々としたまなざしは、登場人物一人一人の振る舞いや心理にも注がれ、それが物語の世界を組み立てていくわけです。

『源氏』の主題についてはさまざまな捉え方があって大方の一致を見ることはないのですが、
少なくとも「ながめ」のステージに浮上してくる出来事はすべて書き尽くしていこうとするような意志の働きに物語は支えられており、
この意味で『源氏物語』は、日本の精神風土が生み出した人間観照の文学の最も豊かな成果と言えると思います。


ではそのような「人間観照の文学」が、西暦1,000年前後の極東日本の宮廷文化の中で、何ゆえ可能であったのでしょうか。?
しかもそれが、人類史全体の流れの中でももっとも先進的に可能であったのでしょうか?

この疑問を頭の一隅に置いて、『源氏』という普遍的な文学から、〝日本的りべらる”と評価できるような要素を、これから4回にわたって探り出していきましょう。
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