モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

日本的りべらりずむⅧ 久隅守景「納涼図屏風」の‶りべらる″感③‟庶民”という新しいモチーフの発見

2022年04月02日 | 「‶見ること″の優位」

「夕顔棚納涼図」の3人の人物は一見すると農民家族のように見えるので、そのように思い込んでいるかと感じさせるような解説をしている文章もありますが、
よく見ると、農民家族であることを示す状況描写は全然というほどされていません。

粗末な家屋とおぼしき建物は描かれていても農具のひとつ、畑とかも何処にも描かれていません。

下層の士分の家族ではないかという説もあります。しかしこれもやはり決定的な説明描写がありません。

私が密かに思っていることは、そういった職業とか身分とかをむしろ意図的に不明にしている、
あるいは、そういった意識を超えたところでの人間の姿を描いているのではないか、ということです。


この絵のモチーフといいますか、着想の元になった和歌があると言われています。

それは守景の時代より半世紀ほど前の、桃山期の歌人木下長嘯子の「夕顔のさける軒はの下すすみ男はててれ女はふた物」(ててれ=ふんどし ふた物=腰巻)という歌です。

歌意は、男はふんどし姿、女は腰巻一枚の半裸の姿で夕涼みをしている、というものです。
(男は着物を一枚まとっていますが、後で描き足されたようです。)

もともと3人とも裸に近い状態で描かれているということは、職業や身分を表わす粉飾的な要素を切り捨てて、
人間の素の姿に迫ろうという、そういう意図が込められていたと想定してみるのはいかがでしょうか。

そのように考えると、前回書きましたように、夕顔棚に瓢箪が成っているのを描いていることとの関連も出てきます。

また、作者守景自身の社会的出自がほとんど不詳であるということにもつながっているのではないでしょうか。
(それはつまり、守景の生き方や信条を表わしているのでは、ということです。)

いずれにしても、社会的身分としては庶民階層の人たちであることはほぼ間違いないと言えるでしょう。



このように庶民の姿を描いた絵画は、それまでにもなくはありません。

守景自身にも、「四季耕作図」と題された一連の屏風画があり、そこには農民の四季を通じての農耕作業の様子が描かれています。

また、平安末期以降に創作された絵巻物や障壁画にも一般庶民の群像が描かれたりしています。

しかしそれらはすべて群像としてか、あるいは点景として描かれたのがほとんどで、
この絵のように彼らの姿をメインモチーフにして絵画世界を成り立たせたような、そういう作品はそれまで皆無であったように思います。

このことは、絵画の社会的機能(何のために描かれたか、また、誰が絵を享受したか)という観点からも了解できます。

貴族や武家や社寺の階層の人々で構成されていた中世期までの美術鑑賞界の誰が、一般庶民を描いた作品などに目を向けることがあったでしょうか。

そのように考えると、守景のこの作品は、日本美術史に於ける新しいモチーフの提示として見ることができるのではないか、
またそれを受容する新たな階層が誕生してきたのではないかという考えに導かれていきます。

「夕顔棚納涼図」が描かれたのは守景の晩年期、1600年代の後半のような気がします(根拠は提示できません)が、
この時期は徳川幕藩体制となって世の中が安定して、経済活動も活発化して町人階層が富裕化し、また農村部では地主や庄屋といった中間層の人々に財が蓄積していく時代です。

西鶴の小説もこの時期に書かれていて、そこには農村の若者が都市に出て商家で丁稚奉公するというような記述も見られます。

「夕顔棚納涼図」に描かれた3人の顔が穏やかな表情をしているように見えるのは、そういった時代の空気を表わしているのかもしれません。

またこのような絵が描かれる背景に、財を蓄積しつつある商家・地主・庄屋階層を軸とした新たな文化享受者(それは江戸期諸学の発展を支えた人々でもある)の登場という事態も予測されます。

コメント
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