モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

"数の観照″としての現代数学

2020年07月21日 | 「‶見ること″の優位」


関数f(y=f(x)のf)はその呼び名にも示されているように、数の一種と見なされます。
そして自然数や実数と同じようにその数が無数に存在する場合も認められます。
そこでその中からなんらかの観点で共通した性質を持つfを集めてグループを作り、
その要素のひとつひとつにf1, f2, f3, …, fm, …fn, … と符号をつけるとすると、
それらの要素の間でまた新たな関数(広い意味での比例)関係が見出されることが予測されます。
すなわち、fn =g(fm) (m, n は任意の自然数)の形に表されるような関数gの存在の可能性です。
このgはいわば“関数の関数”であり、fよりも一段グレードが高くてfを包括する関数といえるでしょうか。
そしてさらに、関数gにもグループを形成する可能性が予測され、gn =h(gm)と表されるような、gよりも一段高いグレードの関数hの存在が予測されたりします。
このようにして、“関数の関数の関数の…”というような現象が想定されるのですが、
要素の数が有限であることもあったり、最終的に一つか二つの関数に包括されていくこともあるようです。

さて、上記の関数f, g, h, … は、f(x+y)=f(x)+f(y) (fのところにはg、h、…の代入が可)といった関係が認められるとき(これを“(x,y)と(f(x),f(y))は自己同型”といい)、“不変量”とも呼ばれます。
もう少し正確に表すとすれば、y=f(x)において「fはyを値にとるxの不変量」というような言い方になります。

不変量の“不変”という言葉の意味は、「いくつかあるものが一見みな異なったもののように見えながら、実は同じ仲間と見なせる」ということです。
あるいは、「xにある操作(変換)fをほどこしても見かけは変化がないように見える」という意味でもあります。
「同じ仲間と見なせる」根拠、「変化がないように見える」操作(変換)を示すのが関数(不変量)fであるわけですが、
上記のように、f→g→h→…と関数のグレードが上がっていくにつれて、“不変”性の度合いが高くなっていく(より包括的になっていく、より抽象化されていく)と解釈されます。
こういった“不変量”の概念は、数の世界を扱う数学と、アナログ的な世界で存在感を発揮するヴィジュアル表現の世界とを結び付けます。



具体例を出しましょう。
ヴィジュアル表現(造形)の世界では、シンメトリー(対称性)ということが、古来より美の規準として考えられてきました。
シンメトリーというのは、たとえば左右対称のものであれば、「鏡に映す」という変換操作が行われて左右が入れ替わった像になるのですが、見かけ上は変化が認められません。
正三角形の図形は60度回転しても元の形と同じに見えますし、正方形は90度の回転でやはり見かけ上の変化は認められません。
以上の例は、“鏡に映す”とか、“回転させる”といった変換(関数)操作が、シンメトリーという図形の性質についてのある“不変量”を表わしているわけです。
数学の世界では、“鏡に映す”(鏡像対称あるいは左右対称)、“回転させる”(回転対称)、それから“平行移動する”(並進対称)といったシンメトリーをめぐる不変量を定数化しています。

シンメトリーという現象がこの世界(私たちが存在している世界)でなぜ成立しているのかというと、究極は空間そのものの在り様に行き着く(f→g→h→…が行き着く)ようです。
さて、20世紀を代表する数学者の一人ヘルマン・ヴァイル(1885-1955)は、生涯を締めくくるにあたって『シンメトリー』という本を遺しています。
その最後の章のタイトルは「結晶 シンメトリーの数学的一般概念」というものですが、
その中から印象的なセンテンスを紹介しておきます。

「シンメトリーという点から、空間内の幾何学的な図形を研究するまえに、やはり空間そのものの構造を調べてみなければならない。空虚な空間には、高度のシンメトリーがある。あらゆる点は他の点に似ているし、1点においては、ことなる方向の間にもなんの内的な差別もない。」

「客観性とは、自己同型群に対する不変性であることがわかった。事実上の自己同型群は、なんであるかという疑問に対して、(中略)数学者は、、ある変換群にたいして、どうしてそのインヴァリアント(不変関係、不変量等)を見出すか、という一般的な問題を提起する。」

「現代数学の指導原理になったもの、それはつぎの教訓である。‘構造をもった実体Σをとりあつかうときには、いつでも、その自己同型群、つまり、すべての構造的関係を変えない1対1対応の群を見出すようにせよ。’このやり方で、Σの構成に対する、深い洞察が得られるであろう。」

最後のセンテンスは難解かもしれませんが、要するに西洋文明における“数の観照”の20世紀時点での到達点を言い表していると私は読み取っています。
(“群”という言葉は、シンメトリーな事象を数学的に表現するにあたっての文法的な基礎を提供する数学領域を指しています。)

コメント
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