モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

「女わざの会」について

2009年04月04日 | モノ・こと・ことば


「かたち21」のHP



15,6年ほど前に岩手県の盛岡市の「彩園子」という喫茶とギャラリーのある店で開かれていた
「女わざの会」というグループの展覧会に遭遇し(彩園子にはコーヒーを飲みに行っただけなのですが)、
そのグループで年1回発行している会誌『女わざ』のバックナンバーを見て、
当時で10冊ほどでしたが、まとめて買ったことがあります。

主宰しているのは現在の奥州市前沢区に住んでいる森田珪子さんという人です。
その後ブランクがあって、10年後ぐらいに再会することになったのですが、
バックナンバーをまとめて買った男性は珍しかったということで、私のことをよく覚えてくれていて、
再会後は、現在までお付き合いが続いています。

『女わざ』は東北地方に伝承されてきた暮らしのわざを衣食住祭遊噺など多方面にわたって取材し、
自分たちでも実践したことを1年毎に報告したものです。
文章は手書き、イラストは手描きと木版画があり、一見して素朴な作りの印刷物ですが、
私にはとても大切なもののように思えて、乏しい財布の中身を叩いてバックナンバーを一括購入したのでした。

創刊号(1983年発行)の第1ページではこう書かれています。
「女わざ――それは子どもを生み、育てる
女性の身体上の特長、女性特有の感覚から
生み出される暮らしのわざなのです。
私たちは「女わざ」を通してこそ、人間と
して豊かな表現を暮らしの中にふくらます
ことができる、そう考えてタドタドしい実
践を続けてきました。これはその記録です。」

1980年代、90年代は民俗学や民具学がブームになった時期で、
「女わざの会」のようなグループは全国いたるところにあるのではと思っていたところ、
この十数年の間にこの会以外のグループにはついぞ出会ったことがなく、
今となっては、「女わざの会」の活動はとても貴重なものなのであることが分かってきました。

「女わざ」という言葉で、フェミニズム系方面からクレームがつきそうです。
しかし私の思うところでは、フェミニズムよりもっと地に足がついた感じがあります。
それから、当事者自ら「女性の身体上の特長、女性特有の感覚から生み出される暮らしのわざ」
と書いてはありますが、男女の性差を越えて、人間が人間らしく生きていくための「わざ」として受け取ることができます。

その意味で森田さんの活動は普遍性を有していますし、
現代の生活文化の死角を衝いてきているところもあるのです。



「女わざの会」のサイト





森田純著『民話に生きる女たち』。森田純さんは森田珪子さんのパートナーで、
会誌『女わざ』の制作などで珪子さんをサポートしていました。
2005年没。この本は生前書き溜めていた東北の民話に関するエッセーを集めたものです。
残部あと1冊のみです。


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