ありのまま

カルガモ母さんこと 川上美也子のコラム http://karugamo.org/

ヨーロッパ記(5)…2007/11記

2008-09-19 14:54:54 | Weblog

「大聖堂のステンドグラス」

11日 障ガイ者作業施設訪問 

 この日の予定は、午前中は世界で最初の作業所を見学させていただき、午後はミニ観光、5時過ぎの新幹線でフランスに帰る予定で、私の動向は体調次第、ということになっていた。風邪気味のみのりちゃんを志水宅に残して、私は志水氏の車で合流先のホテルに向かった。朝、私がゆっくり休めるようにと、寝かせてくださっていたので、朝食前だった。急いで作ってくれたハムサンドを、車の中で戴いた。ハムがとても美味しい。
 青木さんと深野さんが泊まったホテルの前で、合流した。もう一度、朋子さんとゆっくり話したいと思っていたが、うみさんと千田さんを車から降ろすと、さっと出そうだった。私は志水氏の車の中で奥にいたから、あわてて呼んでもらった。彼女からドイツの地ビールをいただいたが、私もぜひ彼女に差し上げたい(託したい)物があったのだ。

 それは、草壁主宰のご自筆の五行歌色紙だった。
 五行歌は去年の暮れに世界に飛び出した。まず米国、ニューヨークだった。当初、主宰はヨーロッパにも今年中に渡られそうな気配だったが、アメリカでの足固めに力を注ごうとなさってか、結局ヨーロッパへ入る五行歌は非力な私が一番乗りになりそうだった。たかが個人の個展や講演会場だけのことであり、五行歌界の歴史には残らないだろうが、それでもまずい…と私は思った。一番は主宰でなくては申し訳ない。
 そこで主宰にご相談して、主宰の五行歌を色紙に書いていただいてお預かりしてきたのだ。3枚くださった。まず、フランスの書作展会場に展示させていただき、ドイツに移動するにあたって、3枚共持って来た。フランスを出る時から、1枚はドイツの国に置いてこようと思っていた。ケルン駅を出たとたん、大聖堂を目の前にして、「どんなステンドグラスを・・・」の歌がいいと思った。3枚の色紙は講演会場でも披露させていただいた。事前に両国語に翻訳していただいていた。
 ケルン泊の朝、目覚めにふと「朋子さんにもらってもらおう」と思った。ご主人も彼女もオペラ歌手で、来年、ご主人は日本公演されると聞いた。国際的で、品格ある方々だった。
 起き上がって先ず、3枚の色紙を入れた袋を出して、どの1枚にしようかと、心鎮めて、神様にか、主宰にか、伺うような気持ちで、そっと取り出すことにした。ふっと一番上にある色紙にしようと思い、取り出して見ると、「どんなステンドグラスを・・・」の歌だった。完全に決定。

 どんな     
 ステンドグラスを
 通りぬけてきたのか
 君の
 薔薇色の頬      草壁焔太 (五行歌の会主宰)

 ホテルの前で、笑顔でよろこんでくれた朋子さんに、主宰の色紙をしっかりお渡しできた。私もとてもうれしかった。

 朋子さんと別れて、私たち6人は障ガイ者作業施設に向かった。車でかなりの時間かかったが、とても大きな立派な施設だった。世界で最初に出来た作業所だそうで、建物は建て替えられ、施設というより工場だった。大勢の障ガイ者がそれぞれの障ガイに合わせた作業を受け持って、一個十万円以上する高級ランプを作っていた。廊下で休んだり、一服する人もあり、同じ作業を黙々とこなす人あり、笑顔で楽しそうに仕事する人もあって、自由で、かつ整然としていた。
 所長さんが案内してくださった。ここでは障ガイ者手当などとは別に、働いた給料が払われるとか。金額などの待遇も、日本の昨今の現状とは掛け離れて、いいと感じた。
車椅子の私は、腰掛けていたり、車椅子だったりする彼らと、目の高さや形状が近かったおかげか、あちこちで笑顔で、あるいは目と目で、心が通い合えた気がした。
 身体が不自由で、感性溢れる人たちは、パソコンを使って、外注のチラシやメニューなど、斬新な商品に仕上げていた。個性を活かせる画期的な職場だと思った。
 作業をするのが困難な障ガイの人たちの部屋にもおじゃました。所長の話を聞きながら、近くに腰掛けていた女性のそばに行くと、いきなり私の顔を引き寄せられた。うれしかったのでニッコリすると、彼女は私の頬にチュ!をしてくれた。3回もキッスしてもらえた。とてもしあわせだなって思った。
 障ガイを持たせてもらったことに、心底ありがたく思う瞬間である。



 施設の応接室で美味しいコーヒーをいただいたので、トイレを借りてから車に乗った。車は一路、志水宅へ向かった。
 元気を回復したみのりちゃんを乗せて、先ずはケルン駅に行く。駅のコインロッカーに荷物を入れるためだった。コインロッカーは日本のとは、かなり違っていた。ちょうどスピード写真を撮るボックスのような大きさで、入り口は一つだけ。コインと荷物を入れて扉を閉めると、どこかへ行ってしまう。次の荷物を入れようとすると、新しい空っぽの扉が開く。私の大事な荷物どこへ行ったの、と心配になる。駐車場と同じだよ、と誰かが言った。ふうん、って、わかったような、わからないような私だった。

 ともかくもコインロッカーに荷物を預けて、身軽になった私たちは、新幹線の時間までミニ観光を決行した。ケルン大聖堂。昨日は外観だけだったので、いよいよ中に入った。ものすごい広さ、そして高さ。上まで登った経験のあるみのりちゃんが、私の車椅子を押しながら教えてくれた。狭くて急な階段で次々に人が登って来るので、一旦登ると途中で休めない、引き返せない。で、けっこう大変なんだとか。ふと、四十数年前に姫路城の階段を登った時の大変さを思い出した。狭くて、とても急だった。
 ステンドグラスがすばらしい。聖書を読めない人々にもわかるように、聖書の内容をステンドグラスの絵に表したのだと、最近「世界遺産」のテレビ番組で聞いた。
 外の広場に出ると、大道芸の人や、広場の石の地面に直接、絵を描いている人もいた。そんなこともあり、なんだ。「今度来たら、ここでパフォーマンスすれば?」なんてこと言われて大笑い。おもしろいカモしれないけど、誰がやるのよ、って感じ。私には無理、むり。シャイだもの。
 広場の一角に、ヒロシマ、ナガサキの原爆写真が展示してあった。ドイツ語でいろいろ書いてあった。私たちは立ち止まって、じいっと見せていただいた。

 志水氏の案内で、駅の裏側に向かって歩く。路面電車か、確かに電車の形なのに、堂々と道路の真ん中を走って行った。そうそう、道路と言えば、2台を蛇腹で繋いだ電車みたいなバスが、曲がり角なんか実に器用に走っていたっけ。
 敷石の所が車椅子には大変だったが、近い所に、あの有名なライン川があった。悠々と流れている。地理に弱い私は、唯々こんな近くに、あのライン川があって、自分がその川縁に居ることに驚いていた。感動、そして、ローレライ気分…。
 志水氏がライン川の下流を指しながら、「川上さん、今度はオランダまで行きましょう。近いですよ」とおっしゃった。大きな船が下って行く。のどかで、ダイナミックだ。ああ、こんなスケールもいい。ふーん、オランダか、いいかも…ふふふ。なんか、行けそうな気がしてくる。単純なカモでした。
 敷石が大変だったので、帰りは別の道にしたら、もっと長くガタガタの敷石道路が続いていた。一人が押して、二人が前の両側を浮かすように引っ張る。車椅子の移動は、場所によっては、汗だくの重労働と化す。ありがとうございました。

 ケルン駅。いよいよドイツとも、志水氏ともお別れの時間だ。
 新幹線の指定席はバラバラだった。まず荷物を載せ、私が乗り、入り口近くの席に腰掛けた。私の隣にみのりちゃん。デッキの反対車両に3席、そこに、うみさん、青木さん、深野さん。千田さんは一人、かなり離れた席に決まったらしい。
 ホームとは反対側の、奥の席にかけた私には見えなかったが、志水氏がホームにいらっしゃるようだった。昨日から思っては躊躇していたのだが、思い切って私の自筆の五行歌色紙を出して、裏に、お礼のメッセージを書いた。そして、みのりちゃんに頼んで、志水氏に差し上げてもらった。「えっ、いいんですか?」とおっしゃってよろこんでくださったそうだった。押し付けだと思って躊躇したのだが、よろこんでもらえてうれしかった。

 やがて、発車した。17:14発。
 その車両には、みのりちゃんと私だけ。周囲は皆、知らない人たち。しかも私たちと向かい合う2席と通路を挟んだ隣の4席には、にぎやかなヤンキー風の男女ご一行様だった。私たちの向かいは、イケメン二人。私が一番視線が合いやすい斜め向かいには、グループで最年長とわかる男性。いかにも砕けた風体で、通路に長々と足を伸ばしてお酒を飲んでいた。酒とつまみとサラダなどが、彼らの前のテーブルに所狭しと並べられていた。私はけっこう緊張していた。正直ちょっとこわかったのだ。
 ふふ、私たちの前のテーブルにも、お酒と食べ物があった。駅で買ったパン。それと、志水氏が買ってくれたという地ビールの500cc缶だった。きっちり腰掛けるのがきつかったので、せめてと思い、私は靴を脱いで、立ち膝にした。それからパンを食べた。
 喉が渇いていたが、飲み物を買うのを忘れた。これ幸いとばかり、缶ビールを開けてぐいっと飲んだ。
 みのりちゃんが笑いながら教えてくれた。あっちの人たちが、「日本人でもあんなことするのか?」みたいなことを言っているそうだ。(あっはっは、私のことかしらん?)それにしても、よく日本人とわかったものですね、とみのりちゃんが続けた。あちらは私たちには通じないと思っている。確かに私には何にもわからない。でも通じたのよね。私たちが聞き分けて笑って話していること、日本語通じてないよね??
 ちょっと、この足は行儀悪かろう。ほんとは、もっとしっかりイケメン兄ちゃんの所まで伸ばして、前の座席にドーンと乗せたいんです。それをお行儀よく我慢しているんですの。だって日本女性ですもの、ほほほ。ほんでもって、障ガイあったら、しょうがあんめえ。

 4時間の乗車時間の半分くらいの時、千田さんがやってきた。ちょうどイケメン兄ちゃんたちが席を立ってどこかに行ったときだったので、空いていた前の席に腰掛けた。まずい、と思って、斜め向かいのボスを見ると、「いいよ、いいよ」というジェスチャーをしてくれた。ボスの前のナイスボディの女性もにっこりしてくれた。私は笑顔で頭を下げた。ふーっ、緊張が解けていく。いい人たちじゃん。ごめんなさい。
 千田さんと3人で話していると、隣の車両から深野さんが、「あっち、誰もいないから来ない?」と呼びに来てくれた。では、ということで、グループの方々に会釈して、3人共移動した。
 行ってみると、別世界のようだった。8人スペースに、うみさん、青木さん、深野さんの3人だけ。その奥は扉が閉まっていて、まるで8人部屋の特別室みたいだった。今までの緊張は何だったのだろう。よその国の新幹線の座席の配置はわからないが、隣の車両とは完全に違う。たまたまだったのだろうか。
 私が横になれるようにと2席分、前にみのりちゃんが腰掛けた。通路を挟んで4人が腰掛けた。缶ビールが残っていたので、移動するとき持って行った。横になる前に空っぽにしようとして、お腹はいっぱいだったけど、ちょっと無理して飲み干した。そしてバッグから、マイ枕を出して横になった。このマイ枕は飛行機でも活躍してくれた。
 さて、緊張が解けて疲れがどっと出たのか、飲み干したアルコールが度を超したのか、どんどん具合が悪くなっていった。バッグからエチケット袋を出して、万が一に備えるほどだった。私はなるべく気づかれないよう、じいっと目を瞑り、静かに横たわっていた。
 幸いエチケット袋を使うことなくパリ北駅に、予定時刻の21時5分に到着した。
 長谷川さんが車で迎えに来てくれていたように思うのだが、そこからほとんど記憶がない。やっと自分のベッドに着いて、風呂にも入らず翌朝までぐっすり眠った。
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