ありのまま

カルガモ母さんこと 川上美也子のコラム http://karugamo.org/

ヨーロッパ記(6)…2007/11記

2008-09-20 14:34:29 | Weblog
12日 フリー (56歳の誕生日)

 すっきり目が覚めた。一泊でドイツまで移動して、ゆうべは限界を過ぎたかのようにガタガタだったのに、今朝はウソのように回復している。
 ほんとうに不思議なご守護だと思う。寝て起きると、疲れがとれている、っていう、誰にでも起こる奇跡だ。しみじみ、ありがたいと思う。
 朝づとめで皆さんに再会。お三方は、「ゆうべは2時半まで飲んだよ」って、おー信じられないパワーだ。脱帽です。同じ部屋でなくてよかった。お互いにね。

 朝食の時に、「今日はフリーですから、どこか行きたい所ありますか?」と聞かれた。
 周囲の様子を見回して、「では、すみませんが私から言いますと…」てな調子で、最初に言っちゃった。それは、モネの家だった。あの睡蓮の池があるという。美術館にも行きたいが、文化協会から近くて時間さえあれば電動車椅子でも行ける。それに作品は日本で見るチャンスもある。でも、モネの家、睡蓮の池はフランスにしかない。私にとって優先順位の一番だ。車で連れて行ってもらえるなら、夢のようなチャンスだ。
 そこは睡蓮の咲いている時期だけしか開いていないので、ひょっとしたら閉まっているかもしれないと、調べてくださった。10月一杯は開いているとわかった。結局私の希望が通って、10時出発と決まった。ヤッター!

あれは、もう35年も前のことだ、私が、天理高校二部の准看女子寮「よろこび寮」の舎監として勤務していた時だった。休日を利用して、日展を観るために上京した。上野の日展会場に着いて、さあチケットを買おうとしたとたん、声がかかった。
「よかったら、無料のチケットが余っているのですが、ご一緒にいかがですか?」
 思わず、ラッキー!と思った、けれど、ちょっと待った。都会は怖いぞ…。慎重に声の主をうかがい見ると、地味で誠実そうな青年だった。いい人だと思った。(ちなみに彼の出身は新潟で、私と同県人だった。おらが新潟にゃ悪い人はいねえ)
 てなわけで、ちゃっかり無料で入場した。彼は洋画家の鈴木信太郎先生宅の書生さんだった。絵と書を観たが、どの作品も、これでもかこれでもかと熱く迫ってきて、私は息苦しくなっていた。
「それでは、印象派の展覧会に行きましょうか」ということになった。彼は招待状のようなはがきだったかを持っていた。「はい」ラッキー! 案内してもらった美術館に入ったら、いきなり、モネの睡蓮の絵が、ドーンと飾られていた。私は、その前に釘付けになった。それまでに、あれほどの衝撃があっただろうか…。うっとりと見入った。心が癒されてゆく。
 もともと美術の教科書で、印象派の絵は好きだったのだが、あの感動以来、完璧な印象派フアンになっている。以後、案内してくれた彼と再会することはなかった。きっと立派なアーティストになっていらっしゃることだろう。
 さて、フランス行きが近づいた頃、東京六本木でモネ展が開催された。行きたい、行きたいと思ったが、酷暑でダウン寸前の私は、とうとう行けなかった。でもテレビで、モネの特集番組は見た。なんと、フランスにモネの家が残っていて、あの、睡蓮の池もあるとのこと。フランスに、太鼓橋や睡蓮が、あの池が、現存していたとは知らなかった。私の胸は高鳴った。でも、観光で渡仏するのではないし、まして車イスだから、自分が行ける可能性など考えてもみなかった。

 長谷川さん運転の車は、パリ郊外のジヴェルニーという町に向かった。
 パリで生まれたモネは、パリで成功することなく、困窮しながらセーヌ川添いの町を転々として、43歳の年にジヴェルニーに移り住み、86歳までの一生を過ごしたと聞く。ジヴェルニーはとても静かな町だった。家々の外壁に伸びたツタの葉が、真っ赤に紅葉していた。町は自然と一体化して、秋がひときわ美しい。ゆるやかな坂道を登った所にモネの家があった。



 窓口でチケットを購入して、少し離れた車椅子専用の入り口から入れてもらった。お花畑をしばらく行った木製のドアを係の方が開けてくれた。中に入ると、いきなり目の前が太鼓橋だった。モネの睡蓮の絵にある、あのグリーンの太鼓橋!

 56歳の誕生日。母の享年をちょうど10歳越えた、その日、私は夢の国にいた。
 印象派の巨匠モネの絵の中に飛び込んでしまった。
 睡蓮の池の周りの細い道、その道を進む。涙が溢れる。ああ、こんなしあわせがあったのか。一歩も歩かない私が、空間を飛び越えた。車椅子が飛んだ!



 モネが歩いた道を進み、モネが植えた木々を眺め、モネが描いた睡蓮を見つめている。池の水面は、あちこちで小さい輪が生まれ、広がる。小さな生物たちが生きているようだ。小さい波なので、水面に写った全てはそのまま、消されたり揺れたりすることはない。百年の揺るぎない静寂…。
 睡蓮の広がり、大きさ、水面に託す余白、周りを囲む樹や空や草花、静けさ、時間、空気、道、橋‥‥ふしぎな世界の中に、私もいた。

 池の中に1羽の鳥が泳いでいた。かなり遠くだった。
「ありがとう。こっち、もっと近くに来てちょうだい。こっちこっち」
 私が突然、鳥に語りかけるものだから、「フランス語じゃないと通じないんじゃない?」とか、「あらあら、尻尾向けちゃったわよ」とか言われる。笑われている。ふふふ、きっと来てくれますよ。私って、よく不思議なことが起きるんだもの。あの鳥もきっと、そばまで来てくれるんです。内心そう信じていたから、私はゆとりで楽しんでいた。
 鳥はゆっくりと、こちらに泳いで来た。近くの睡蓮の葉の上に足を乗せる。チョコンと乗ると葉は少し沈んで、鳥は次の葉にチョコンと足をかける。そうやって鳥は睡蓮を歩いている。鳥の体重を睡蓮の葉が支えられないようで、一枚一枚沈みながら、まるでそれを楽しむように、チョコンチョコンと葉の上を渡ってくる。
 私の目は、1羽の鳥の上に点になっていたことだろう。
「川上さん、ちょっと譲ってあげたほうがいいみたいよ」
 その声で我に返る。池を見渡せる絶好の場所に、私は相当長い時間いたのだった。

 動き出す。池を一周する方向へ動き出した。太鼓橋の真向かいで、また止まった。じっと見入ってしまう。引き込まれそう。そこに、また、夢の国への入口があるのだ。でも今度は観光の方々が大勢見えたので、入らなかった。太鼓橋をバックに記念写真。先に進んだ。ちょっと行くと、なんと私の大好きなコスモスが咲いていた。
 モネの睡蓮とコスモス!
 こんなにうれしい誕生日。ああ、どなたにお礼を申し上げればいいでしょう!

 池を一周して、スタートの太鼓橋の所に着いた。ドアがある。ああ、これで睡蓮の池とも、おそらく一生のお別れだ。皆さんがドアに向かう前に、「もうちょっと待って」。



 私は車椅子を降りて、自分の足で立った。緑色の橋の細い木の欄干につかまりながら、一歩一歩踏み締めるように、実は一瞬の片足立ちなんかもやらかして、モネの絵の太鼓橋を歩いて渡った!

 出口のドアの外は道路で、道路を渡って向かいのドアから中に入る。そこは広大な花の庭だった。何本も平行に伸びた細い道、それぞれ道の両側に背丈を越えそうな花々が咲いている。散歩しながら、花々に語りかけるモネの、後ろ姿や温かい眼差しが見えるような気がした。
 数段の階段を伝い歩きして、モネの家にも入った。部屋毎に淡い黄色や水色に、壁もカーテンも調度品も統一されていて、ほっと癒されそうな美しさを感じた。

 生前に認められないで、貧しい生涯を送った芸術家が多い。それもいいかもしれない。百年、五百年と経っても、偉大なアーティストは決して埋もれないだろう。長い年月をかけてこそ、真の才能が見えてくるのかもしれない。
 でも、モネの家や庭や池を見ていたら、生きているうちに認められるって、やっぱりしあわせだと思った。認められて、ある程度の金持ちになれるのもいいことだ。せっかくの感性を、作品だけでなく、家にも庭にも池にも残せて、そこで後世の沢山の人々が、とびっきりのひとときを味わい、夢の国に浸ることが出来るのだ。泣くほどの感動、この感動は5年は私に力をくれると思う。そんな思いを、一観光客にくれるのだ。

 ふと、あの鳥は、モネだったかもしれないな…と思った。彼は、ああやって時折、彼がこよなく愛した池を泳ぎ、睡蓮を散歩しているのではないだろうか…。

 お昼を過ぎていたので、近くのホテルの野外レストランで昼食をいただいた。いろいろ注文して、飲み物は、ということになったが、結局みんなお水で乾杯した。休肝だ。長谷川さんの解説がいいのか、選ぶ私たちが賢いのか、元がいいのか、いただく料理はどれも美味しかった。7人でバラバラに注文して、いつものようにみんなでいただいた。

 満腹で一路パリへ。
 文化協会に着いたのは、4時近かったろうか。7時に集合ということで、一時解散になった。私は少し休みたかったので、文化協会に残った。みのりちゃんもそばにいてくれた。8月まで職員だったみのりちゃんが、2階のスタッフルームに案内してくれた。そこへ会長夫人がお見えになって、結局、会長室のソファーでしばらく休ませていただいた。皆さんは観光に行かれたと思う。
 おかげで体力を回復した。やっぱりただ寝ているのはもったいないので、私たちも外に出ることにした。シャンゼリゼ通りを電動車イスで歩いて、凱旋門まで行きたいな、と思っていたが、時間がない。セーヌ川までは5分もかからないが、反対側の大通りに出てみた。ウインドウショッピングだ。おしゃれな洋服店に入り、時々手に取りながら、あれこれ見て回る。ふーん、これがパリのファッションか…てな顔して、結局見ただけで出る。ふふふ。お財布軽いけど、なかなかリッチな気分、心も軽い。
 ルーブル美術館に行って、ガラスのピラミッドの前で記念写真だけ撮った。
 
7時に戻ると、皆さん揃っていた。では、ということで、まず近くで夕食。町の人たちで賑わう飲食店通り。ラグビーの世界大会がフランスで開かれていて、この日はフランスとイングランドの試合とか。各店の中でも外でも、テレビ観戦しながら、わいわいとお酒や食事を楽しんでいらっしゃる。

 食後、長谷川さんがまた車で観光に連れて行ってくださった。
 最初はシャンゼリゼ通りだった。
「川上さんは、ここを歩きたいでしょう。僕は凱旋門近くまで行って車を留めて待っていますから、ここで降りてゆっくり楽しんできてください」
 わおーっ。すごいことになった。またも夢の続きみたいだ。私たち6人は降りて、手動車イスを押してもらって、夜のシャンゼリゼ通りを歓談しながら歩く。深野さんが、「オー、シャンゼリゼ~」と歌いながら歩いている。小雨が降ってきた。傘をさすほどでもない、ムードを盛り上げてくれる、うれしい雨だった。
 カメラを持った千田さんが、時折小走りに走っては振り返って、スナップを撮ってくれる。しばらく行くと横断歩道があった。中央の分離帯まで行くとストップがかかった。シャンゼリゼ通りの真ん真ん中で、凱旋門をバックに写真を撮るためだった。写真を撮り終わると、元に戻って歩きだした。
 長谷川さんが待っていてくれた。再び車に乗った。今度は?
 遠くから見ていただけのエッフェル塔の下まで行ってくれた。一時停車だったが、ちょこっとだけ降りて、見上げた。品格のある美しさ。さすがに大きい。
 塔の足の部分に巨大なラグビーボールが見えた。フランスは自由で大胆、それにおちゃめ、そんな一面があるのかな?

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