かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

中高年へ吹く風――①

2004-01-13 23:09:00 | インポート
中年と言い高年と呼びますが、年齢で「何歳くらい」がそれに当たるのか? はっきりしたものはありません。

個人的な感覚で言えば「中年―40歳~55歳くらいまで」「高年―55歳~無制限」と言うことになりますが、皆さんのお考えはいかがなものでしょうか。

ここ数年、その「中高年」へ吹く風が「強いアゲンスト」としてぶつかってきております。
戦後日本の復興とそれに続く「高度経済成長」の担い手として頑張ってきた「中高年」ですが、もう少しで軟着陸し、比較的に楽な人生の終盤を夢見たとたんの「バブルの崩壊」でした。リストラ、配置転換、所得のダウン、などなどさまざまな辛苦を舐めることになりました。

さらに追い討ちをかけるような医療費の、年金制度の、税金システムの改悪と、挙げたらきりがありません。

為政者は言います。「国家財政の破綻を救うには、誰しもが痛みを分かち合わねば・・」と。

しかし辛い目に遭っている「中高年」にも言いたいことがたくさんあります。
ーバブル経済を齎し浮かれたのはだれか?
ー少子高齢化は突然やってきたのか?
ー借金財政は誰がつくったのか?
(まだ財政がいくらか健全だった頃、日本全国の市町村へ1億円ずつ配ったのは誰か?)

などなど言い出したらきりがありません。

言いたいことは「中高年」は「痛みを分かち合う」ことを厭うわけでは無い、ということです。
為政者の言う「分かち合い」が本当に公平なのかどうか?
「痛みを堪えた後」に何がやって来るのか?
そこいらが見えて来ないところに「不満」があるのです。

いやいや、もうこの辺でやめておきましょう。ついつい愚痴になってしまいました。
本当は違う「風のこと」を書きたかったのですが・・・


年賀状への思い

2004-01-11 12:28:00 | インポート
七草も終わり、世間のようすはようやく平常の毎日に戻ってきたようです。

十二日は「成人の日」です。成人式での一時のようなバカ騒ぎはいくらか姿を消してきたようですが、これからの日本を背負って立つ若者には「真摯な自覚」を持ってもらいたいものです。

と同時にそういう若者達が「馬鹿を見なくても良い」社会が一日も早く来ることも願っております。

さて話しは変わります。

新年、お屠蘇気分で手にする年賀状は、それが儀礼であれ義理であれ、今となってはお正月の風景として欠かすことができません。

日頃の無音を一気に取り戻すような、誰彼の「短いながらも心のこもった一筆」はしっくりと心に響きます。
近ごろは「手書き」よりも「印刷派」が多くなりましたが、それはPCの普及が進んだためとして、寛容の範囲かとも思ったりします。
――自分もここ二年ほど、長年続けた「版画賀状」を止めてしまいました――

毎年の年賀状は、嬉しさばかりを運んでくる訳ではありません。
この年齢になってきますと『来なかった年賀状』にも思いをはせねばなりません。
いつも「ひょうきんな挨拶」を書いてくれた”あいつ”からの、そして「お世話になった」”先輩”からの賀状が、今年はありません。

届かなかった年賀状は、毎年一枚、二枚と増えて参ります。
そういう人々との、心の内で新年の挨拶を交わす「惜別の中での喜び」・・・それもまた正月三が日の一つの行事ではあります。


あたらしい年を迎えて

2004-01-01 01:46:00 | インポート
激動の03年が終わり、新しい年04年が始まりました。

戦争やテロ、数々の人種・地域紛争などは、年が新たまろうがどうしょうが、お構いなく続き、止むことをしりません。

この国の秩序の綻びも、新しい年とともに修復されるものかどうか、皆目見当もつきません。

などなど、旧年に引き続き思い悩めばきりがありません。
せめてこのお正月、頭を空っぽにして「楽しい明日を」夢見ることにしましょう。

さて、そんな夢を夢として終らせない為にも、精いっぱい氏神様にお祈りでもして参りましょう。

「初詣に行くよォ~~、さあ~て、どっこいしょっと・・・」