あの大震災、大災害から間もなく一年になろうとしています。
この11日前後は、追悼や記憶の呼び返し、反省のことば、こうすべきだ!!・・・などなど沢山の報道がされることでしょう。そんなときに稚拙な考えをこの雑記に載せたところで振り向いてももらえません。で、いまのうちに言いたいことを書いておこうかと・・・・
あまりにも災害の規模が巨大だったこともありましょう。さらに「原発事故」というそれだけ切り離しても未曾有の大災害がプラスされていますから、一年経ったいまでも「復旧」のはっきりした姿が見えてきません。
被災地の人たちにしたら、歯がゆくって居ても立ってもおられないくらいの焦燥感があることでしょう。
話しの焦点を「災害ガレキ」にしぼってみます。
一日に何度もTV報道で流される、土台石だけが残る平面になった被災地の風景。
その「ガレキの山」は果てしなく広がり、天を衝く高さに積まれています。
今回の震災で出た東北3県沿岸37市町村からの「ガレキの総推計量」はおよそ2,250万トンだそうで、この量は全国の年間一般廃棄物総量の1/2に相当するとのこと。
いまのところ処理されたガレキは総量の5%ほどにしかなっていません。
この「ガレキ」を早急に処理しなければ、被災地の本格的な「復旧・復興」は進まないだろうことは誰にでも判ります。
いまこの「ガレキ」の処理に協力してもらうべく、政府は躍起になって地方自治体へ働きかけて「広域処理」を願っていますが、受けて立つ自治体は東京都などほんのわずかな自治体にすぎません。
協力の姿勢を見せる自治体の首長も住民の反対に遇って二の足を踏んでいます。
いま、広域処理をお願いしている「ガレキ」は原発事故が起きた福島県のそれでなく、宮城県と岩手県のものだそうです。
ですが、宮城県、岩手県からの「ガレキ」は厳重な検査の上基準値を下回ったものしか移動しないとのことです。
これくらいの放射能物質含有数値なら、原発事故後ほとんど全国的に、まんべんなく降りかかっているはずです。
ですが、それ以上に余所の放射能物質まで欲しくないっ!!という気持ちはじゅうぶん理解できるのですが・・・・
震災後「絆」「助け合い」「できるだけの支援を!」「被災地を忘れないッ!!」などなどの心構え、スローガンがいまなお日々使われています。
ですが、なぜか「ガレキ」の処理となると途端に手のひらが反ってしまいます。
福島産の農産物は言うに及ばず、かがり火用たきぎ、作られた花火、橋げたに使うコンクリート橋脚・・・・忌避される例は枚挙にいとまがありません。
震災発生直後、全世界の人々から賞賛された日本人の「うるわしい互助の精神」は、ほんとうのものだったのかどうか? 「ガレキ」の処理が遅々として進まない現状を知るにつけこの国の人々の「本音と建て前」の使いようが、どうにも理解できかねるのです。
一方、地方新聞などがその地の人々へのアンケート調査で「ガレキ処理」についての意見を問うと、持ち込み処理賛成が60~70%ほどの数値になるとのこと。この数字をどう見るべきか迷うところです。
ところで被災地の「ガレキ」を他方の自治体へ運ぶとしても、その費用が膨大なものになり、長い年月がかかります。
一部の被災地の首長は、地元に「巨大な処理プラント」を国費で作ってくれるのがよりベターだと主張しているようですが、取り上げられていないようです。
あれだ、これだと「甲論乙駁」していて、結果的に被災地の根本のところで「復旧・復興」進まないこの現状を、私たちはいつまで見続けねばならないのか・・・