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術科学校

2006-04-02 | その他
広島県の瀬戸内海に浮かぶ江田島
そこにある海上自衛隊の術科学校へ行ってきました。
申し込めば時間帯によって見学をさせてくれるようですが、
この度は一般公開もされていて、海軍好きな主人に誘われて行きました。

特殊潜航艇や戦艦陸奥の主砲、大和の主砲砲弾もあって
過去の戦争が実際にあったんだと私に教えてくれた気がしました。
海軍からも特攻隊として散った若い命がたくさんあり
彼らが残した家族宛の手紙を見ると
こんなにしっかりとした若者たちが今いるだろうかと思いました。

案内をしてくださった係の方は50歳前後、下士官だったのでしょう。
制服にラインが1本入っている20歳くらいの若者とすれ違う際
先に敬礼をされ、それに対しての応敬を若者がされました。
年齢ではなく、階級の厳しさを見た気がしました。

ここにいる彼らが、どうか活躍する日がきませんように。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
江田島 (ちはや)
2006-04-03 13:05:59
若くして死んでいかざるをえない人たちが、その理由を探した時に、自分を中心にした価値を否定せざるを得なかっただろうと思います。

この時代があったから、ヨーロッパの属国にならずにすんだのでしょう。

私が無駄の権化ともいえる1100ccのオートバイに乗っていられるのも、今現在イラクで死んでいっているアメリカ兵のおかげかもしれません。



日本人で家族や親戚に戦死者が一人もいない人って、多分いないだろうなあ。
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Unknown (azuki)
2006-04-03 17:03:10
この学校にkarubiちゃんを入れて教育していただいたらどうでしょうか??
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私の祖父も (karubi)
2006-04-04 07:57:15
戦死者の一人でした。幼かった母の思い出は父親が帰ってくると馬から家まで絨毯が敷かれ、その上を歩いて家に入ってきていたと言うのです。それがどんな記憶だか分かりませんが…。その祖父が戦場で銃弾に倒れしばらくして終戦、ラジオの前で泣き崩れる祖母を見て、自分たちも死を覚悟したと言っていました。幼い母がそう思うくらいに、戦争は恐ろしいほどの洗脳を持って国民が歩むべき道を正当化してしまうのですね。
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この学校の (karubi)
2006-04-04 08:01:11
…っていうか、この学校の敷地内全てにおいて

危険物は持ち込めないわ~。



でも教育していただけるのなら、その教育費は税金よ。

衣食住全てタダ!!

税金をドブに捨てるようなものだから、駄目だわね。
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戦死 (ちはや)
2006-04-04 18:47:34
おじ(親父の兄貴)も18歳でフィリピン沖で戦死しています。終戦の2週間ほど前でした。この時期の飛行兵は死ににいくような出撃だったと思います。

幼かった父は、予科練に出て行く兄貴を駅で見送る時に、「土産買ってきてね気分」だったそうです。

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人間の死というものが (karubi)
2006-04-05 20:45:41
戦争の中では当たり前になって、

死を覚悟する精神を叩き込まれて育ったのでしょう。

国のために死ぬ。

考え方が違うかもしれませんが、

国のために自殺できるか?と思うと、絶対にできません。

もう後、2週間早く終戦がきていたらと、身内の方たちは悔やまれたでしょうね。誰もが戦争はいけないことと知っているのに、未だになくならないのは悲しいことです。
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打電 (ちはや)
2006-04-09 14:43:17
この時代の通信は、単音(トン)と長音(ツー)による電信(モールス信号による通信)でしていたようです。航空機が体当たりをする時は電鍵を押しっぱなしにし「ツーーーーーー」を送りっぱなしにして突っ込んだそうです。

電信の発信音が消えた時は、若い命が消えた時を意味することになります。



ものすごいリアリティで泣きます。
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桜の時期 (karubi)
2006-04-09 23:17:16
日本人は桜と大和が好きだなあと痛感します。

「男たちの大和」が上映され、尾道のロケ地は

戦艦大和を見る観光客でごったがえしているようです。



ツーーーーーという発信音がまるで心電図のようですね。

まだ生きていなくてはならない命が戦争という国の身勝手さで絶たれる。

送り出した親御さんの苦しみも計り知れません。



死んで守るという意思で彼らは飛び立ったのですね。

もっともっと幸せに生きたかったでしょうに。
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