もやいマンション日記

マンション役員の体験を綴った「マンション日記」に、プライベート所感を綴った「nonnon日記」が混ざっています。

No.122「W先生の思い出・その2」

2009-08-25 | 日記・エッセイ・コラム

           nonnon日記

6年生の遠足の折の・・・・そこだけ鮮明な記憶・・・。

どこに行ったかは忘れたが、電車で移動する遠足であった。

私が座席に座っていて、W先生は、すぐ前のつり革につかまって

立っておられた。  私がいきなり

「先生、今日の私のお弁当、お父さんが作ったんですよ」

と言い出すと・・・・W先生は・・・

「アラ、いいお父さんねェ」・・・とおっしゃったが、

その笑顔の後・・・、とても悲しそう・・・な顔をされたのである。

そのお顔に不意をつかれた形で、私は次に言おうとしていた

言葉を飲み込んでしまった・・・・。

(先生、お母さんがね、お父さんと喧嘩して家を出て行って1週間・・・

先生、私は不安で、悲しくて、遠足を楽しむどころじゃないです・・・・。)

でも‘我が家の恥’ではあるし・・・・言えない、言えない・・・。

(6年生の女の子は既に‘外聞’を気にするのです。)

「お母さんは?」と聞かれれば、何か言えたかも知れない。

でも先生は、‘悲しそう’な顔をされたっきり、横を向かれた・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

W先生、あの時、先生は亡くなられたご主人のことを思って・・・、

坊ちゃんのことも思って、お父さんのいる家庭を羨まれたと思います。

・・・・でも私は、あの時、‘恐怖’と‘不安’の中にいたのです。

夫婦喧嘩をして出て行こうとする母親に取りすがって泣く子・・・

大人であれば、笑える光景ですが、子供には、なかなかに

心理的に厳しいものがあります。

・・・・・・・・後で、ロシアの文豪トルストイが

「幸福な家庭はどこも似たり寄ったりだが、不幸な家庭は、さまざまに不幸だ」

 と書いていることを知りました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

家庭を築いて、それを維持していくのは、大変なことだと

自分も体験して解りましたが・・・・。

(その後1週間で、私の母は、帰ってきて、父と別れることもなく、

67歳で亡くなりました。)

W先生は現在、息子さんご夫婦と同居されて、リハビリに励んでおられる由、

年賀状に震える字で書かれていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

W先生、あの時、淋しい思いを味わわせてしまって、申し訳ありませんでした。

幸せそうな家庭に見せてしまいましたが、私はあの時、結構不幸でした。

お会いして、お話しても、きっと先生は思い出せないでしょう。

・・・遠い日の・・・私の心にだけ引っ掛かっている遠足の思い出です。

 

 

 

 

 

 

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No.121「W先生の思い出・その1」

2009-08-14 | 日記・エッセイ・コラム

            nonnon日記

Moyai_132 私の今の職場は小学校の中にある。

それで、ちょっと・・・今では、はるかに

遠い、トーイ 

私の小学校時代の思い出を・・・・。

5~6年生の時の担任のW先生。

当時40歳位だったろうか。

しっかりした指導力を持った女の先生で、文句なくクラスの子

みんなの信頼を集めていた。勉強もまめに、熱心に教えてくれて、

W先生に褒められたいばかりに、みんなよく勉強したように思う。

子供の目から見ても、弥勒菩薩に似た面差しの、母性的な

優しく、厳しい、いい先生であった。

・・・でも1つ、クラスみんなの心配事があったのである・・・。

それは先生の健康問題・・・。

授業中にも、時々、心臓発作が起きた。急に「ウー」と俯いて・・・

「○○君、水汲んできて・・・」と苦しそうにコップを指差す・・・。

日頃のワルがきも、真剣な顔で水を汲んでくる。

先生、薬を取り出して、水と一緒に飲む・・・。

その間、クラス一同、かたずを飲んで見守っている・・・。

「もう、大丈夫だから・・・」の一言で、一同、安心する・・・。

先生の腕には、よく包帯がしてあって・・・

「ナニ、ナニ?」と見せてもらったことがあった・・・

そこには、青紫のシミ・・・

体質で注射のあとが残るそうで。

痛そう・・・と思って、みんなで見ていた記憶・・・。

そんな光景を思い出す。

W先生は、御主人を若い時に亡くされて、当時小学校3年生の

坊ちゃんと2人でアパートに暮らしているという話だった。

今思えば、「自分に何かあったら、一人っ子の息子は・・・」と

思われなかった筈はない。

人生には、抜き差しならない深刻な出来事が起きる・・・

ということを、まだ幼なかった私達に

身をもって、教えてくださったような気がするのである。

 

 

 

 

 

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No.120「スピード違反、体験」

2009-08-02 | 日記・エッセイ・コラム

           nonnon日記

Moyai_131 Moyai_131_2 その悲劇は2週間前に起きた。

日本一長ーくて真っ直ぐな道路。

どしゃぶりの雨の中・・・

助手席の夫、トイレに行きたいと

言ったのもウンが悪かったー!

信号停車していたので、

前の車は、はるか、ずーとずーと先に見えた。・・・

真っ直ぐな道がずーっとつづいて・・・・

ちょっとアクセルを噴かせて・・・ちょっと気分爽快・・・

・・・・・間もなく・・・・・・頭上で ピカッ と光ったものが・・・

ナンダ、ナンダ、・・・・エー!ウソー?ホントウ?

と驚いたけれど、あとの祭り・・・・・

でも、どしゃぶりだったから、カメラに映ってないかもー。

と、はかない、楽観的望みも持っていましたが・・・・

期待は裏切られ、・・・

ピッタリ1週間後に「召集令状」は届き・・・本日、出頭して参りました。

あんなにどしゃ降りの雨だったのに、車のナンバーも私の顔も、とっても鮮明に

映っていて・・・・何時何分、時速・・・キロオーバーとしっかり記録済み・・・・

もうもう脱帽!   ゴゴゴ・・・ゴメンナサーイ! 

インターネットで調べたところ・・・罰金は10万円???

とヒヤヒヤしておりましたが・・・

その半額位らしいということで、ちょっとだけ救われております。

それに、当日その道で、私達の通過した後、土砂崩れが起きて、

半日程、通行止めになった由、後に、ニュースで知ったのです。

幸か不幸か・・・よく解りませんが、・・・

ま、ちょっとだけ運が良かったと思うことにしましょう。

・・・・そしてこれからまた、簡易裁判所へ・・・・

私のトホホ・・・の初体験は、まだ続くのでした・・・。

皆さん、交通ルールは守りましょう!   頭上には特にご注意を! 

 

 

 

 

 

 

 

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