それは去年のことじゃった。
楽しみにしていた年末の旅行を目前にして、わたしは老犬を拾ってしまった。
捨てられてか逃げてきてなのか見知らぬ土地を1か月近くさまよっていたその老犬は著しく衰弱していて、
目撃者によれば、初めのころしていたという首輪は、痩せたためか外れてどこかへ消えてしまい、
長旅に連れて行けるほどの体力気力はもちのろん持ち合わせていなかった。
ホテルや病院に確認したのだがすでに年末年始の関係の予約でいっぱい。
そしてホテルは「ワクチン接種」「鑑札登録」ができていない子は預からないという。
まあそりゃそうだ。
いろいろ調べたけれど、実家の母に預けるつもりで打診していたので、焦りはなかった。
22日にこんを保護して数日後に母に預け、あわただしく出かけた家族旅行は、いつも留守番ばかりしているオレコへのご褒美だった。
だから取りやめることができなかったのだけれど、22日からの数日間の間に、家族としての愛情がふつふつわいていたこんに対しては、
母に託すとしても、置いていくことがしのびなくて、本当に申し訳なくて、何かと世話を焼くそのたびに、声をかけた。
「今年はこんちゃんの体は長旅が無理だけど、来年は一緒にいこう。必ずいこう。それまでにおかあさんがこんちゃんを元気にしてあげるから」
老犬は、私の気持ちがわかっているのかいないのか、やさしく瞼を閉じたりあけたりしていたのだった。
あれから一年。
その約束を前にして、またしても老犬がピンチに陥った。
まずからだを元気にして、持病の治療をしながら、いたがってる歯(口腔)の治療をして、と、
まさに1年かけて、段階を踏んでやってきたのだが、歯の治療のあとに原因不明の急性膵炎になったことは、先日ご案内の通りである。
それから病み上がりの老犬を長旅に連れて行くことは、約束とはいえ、躊躇するものがあった。
退院してから1週間時間があったので、その中でダメだと思ったら、潔くあきらめよう。
「こんちゃん、約束の一年後だよ、長旅に行ける?」
毎朝声をかけて、こんちゃんの様子を見ていたら、「いけるよ」と言っているようだった。
というか、「置いていかないよね?」というふうに見えてきた。
原因不明の急性膵炎は、もしかしたら精神的な、というか、心理的なものも大きいのではないかと先生は言うのだった。
そういえば、春先まであちこち連れて行っていたけど、夏から忙しくてどこにも連れて行っていなかった。
留守番ばかりでさびしかった上に、何度も病院に通い、痛いことがあって、まゆげもひげも真っ白になり、
そのせいか具合が悪くなり、大嫌いな病院に入院しなくてはならなくなり、入院中は怖いものがいっぱい。
(いろいろ支障があるのでここからはフィクションとして読んでください)。
「こんちゃん、そういえばストレス続きの日々でしたね、かわいそうでした。
老犬というのは、わからないです。いい意味でも、悪い意味でも。人との関係の中で、彼らが受けるものが大きいんでしょう。
楽しい、うれしい、と思うことがあると、免疫力があがったり、元気になったりする。
もう寿命かな、と思っていた子でも。治癒力というか、生命力というものがあるんだと思います」
つまり飼い主しだいということなのだ。
私の望みは、こんちゃんともっと、いや、もう少し、一緒にいたい。
360日、ゲージの中で寝て、わたしの帰りを待ってるだけの生活ではなく、
たった数日でも、いつも夢に見るくらいの楽しい思い出があってほしい、と願っていた。
今のこんちゃんが不幸だとは思っていない。
でも、このまま、いのちを終えるのだとしたら、かわいそうだと思った。
一年後は、もしかしたら無理かもしれない。
犬は人間の6倍のスピードで生きているからだ。
でも今なら。
その経験をさせたことで、もし、たとえば具合が悪くなったりしても、そのときにできる限りのことをすればいい。
けれども一方で、こんちゃんはそこまで衰弱していない、と、わたしは信じていた。
もしかしたら、もっともっと元気になる可能性が、あるのではないだろうか。
何があっても絶対に後悔しない。誰のせいにもしない。
そう決めて、旅行をやめるつもりでいた家族に決意を話し、みんなで旅に出ることにしたのだった。
「こんちゃん、一緒に行くからね、とっても楽しいから、元気になって、おうちに帰って来ようね」
こんちゃんは、「わかったのじゃ」と言って、目を閉じた。
あしたにつづく。