とっちゃんじいじの日記

趣味を中心とした題材で写真入りでの日々の出来事を記録にと四季折々の風景や花々を訪ねその時の写真を掲示と励んでいる。

今日は冬至

2020年12月21日 22時26分13秒 | 日記
一年で一番日が短かい冬至5時前にはスッカリ陽が落ちていた。
夕飯にはかぼちゃの煮つけが食卓に上った。
毎年の事ではあるが冬至の行事
浴室には脱衣場からでも柑橘系の香りがする。
湯舟には柚子が浮かんでいる。
どっぷりと湯気いっぱいの湯舟に身体を沈め鼻孔を膨らませながら柚子の香りを心置きなく楽しんだ。
リラックスし自然と鼻歌が出て来る。
今年もあと10日程で年越しを迎えるも日本人で良かったと思うものだ。
残念ながらコロナ禍の影響で今年は地区の行事や神社の神事も自分を取り巻く総ての行事が縮小されたり中止とがなって激変の一年であった。
コロナの収束も見えないまま寂しい年越しになりそうである。


庭の野鳥

2020年12月20日 21時07分24秒 | 日記
毎日メジロが庭先の置きミカンに引っ切り無しに飛んで啄ばんでいる。
窓のガラス越しで眺めているが
戸を開け放して観たり撮影すれば申し分ない所だ。
昨年迄は寒さに負けずその様な状況で撮影もしていたが今季は体調不良でガラス越しでもカメラを向ける気も起らない。
ここ数日間棚に置かれた手付かずのカメラに埃が溜まっている様にみえる。
一晩寝れば体調も午前中は何とかなるが午後からは辛い。
今朝偶然ジョウビタキが視界に入りカメラを向けてみた。
傍にヒヨドリが姿を見せたが人の気配を察知し飛び去って行った。
体調不良故カメラが重く感じる。


一向に収まらないコロナ禍のなか

2020年12月19日 18時21分02秒 | 日記
月に一度の趣味の会「山草会」の開催日の今日午後から知人を誘い一緒に出掛けた。
コロナ感染前には会場の公民館は土日は賑わっていたが今はひっそりと我が集まりだけで静かな様相を見せ寂しいものだ。
今年度予定されていた総ての山草展が中止となり日頃の山野草栽培の力量発揮も空振り続き。
しかし月一回ではあるが仲間達の元気な姿を見るに連れ最近体力気力が落ちた自分に元気をもらえる様に感じる。
総員僅か8名の会員の内本日一人が旦那が熱を出した故欠席だと連絡が入っている。
マスクして人気のない部屋の暖房をつけ一時間程の雑談で散会だ。
新年一月の定例会は近くの食堂で短時間の新年会を開催すると決まったがコロナ感染者が毎日の様に発生しているが大丈夫だろうか
一応多数決で賛否をとった結果故に致し方ない。
ごく最近何処かの宰相の行動や数名の閣僚の発言を耳にしたが・・・
その場限りの彼等の逃げの言葉は本気で国民の事を思っていない様に思え腹が立つ。



築20年の我が家のガタ個所修理

2020年12月18日 20時03分02秒 | 日記
我が家を新築した建設会社の5年毎の定期診断以外にも20年も住んで居れば過去何回かのチョットした修理箇所も出るもので今回も近くの木工店に依頼した。
建物本体は堅牢であっても20年間毎日頻繁に使用しているドアーのレール摩耗が故障のもととなった。
今回トイレ及びキッチンの引き戸2枚がそれぞれ悲鳴を上げて仕舞った。
遠くの建築会社より極近くの店に依頼すれば即親切かつ短時間で不良個所を繕ってくれる有難いお付き合い先となっている。
朝早く訪ねて来てくれ職人そのものだ細かい所まで丁寧に時間を掛け作業している姿を眺め手に技術を持ち合わせている人を尊敬の眼で見ていた。
それに引き換え建物と違い我が身の検診はここ数年未検診とそろそろガタが来た身体には身近な医者も今はおらずイザとなった時には心配だ。


シクラメンの鉢を頂く

2020年12月17日 19時18分10秒 | 日記
12月に入り地元のJAバンクから預金者を募る年末イベントのチラシが贈られて来た。
それを見ていた妻は早速少額ながらも定期預金設定にと訪ねたものだ。
預金額のランク別ではあるが当日に頂けるものだと思い込みシクラメンの鉢植えを期待して出掛けたが後日連絡のうえ受け渡しだと言われ少しがっかりした様子だった。
その後通知が届くも行きそびれた様で昨日想い出したのか引き渡し最終日だと運転手を頼まれる。
意外や頂いた鉢植えのシクラメンは深紅でそれなりの大きさの花である。
暖房効いた部屋では花持ちしないと玄関先に置いてみる。
思い起こせば15年程前に数年間シクラメン栽培に凝った事があった。
花の盛りが過ぎた高額の大きな花鉢を格安で購入一年手を掛け翌年の冬に見事な花を十数鉢も咲かせ満悦していたものであった。
しかし当地の夏の猛暑には勝てず5年間程頑張っては見たが徐々に消滅していった。
高齢になった現在その様な意欲も薄れ過去の想い出で満足している。


身に応える今季初の寒波

2020年12月16日 21時54分07秒 | 日記
体調イマイチ回復もおぼつかなく昨夜は早めに就寝した。
今朝今冬初の積雪があるかも知れないと気にしながらうつうつと夢の世界に入り込んだ。
夜間二度も目が覚めその都度トイレに立つも身体が冷え込んで仕舞った。
夏場と違い暖かな布団から気温差のある寒い空間に出るのは高齢者の身体には良くない。
テレビでは各地の降雪の凄さが映し出されて庶民の生活に支障を来している様だ。
その様子のニュースを見ながら妻と雪の多い転勤先での生活を想い出し話題にした。
ひと冬に一二回程度の降雪の少ない土地で生まれ育ち仕事とは言えと何ヵ所の転勤先で度々豪雪に遭い苦労したのも昔話となっている。
12月半ばになれば毎日ドンヨリトした空模様いつ雪が降り出しても可笑しくない殆んど雪降り天候続きに晴れ間を探して空を見上げた事も懐かしい。
老いた今温暖な土地が一番いいと空を見て妻と今日は寒いと室温を上げてみる。

人の移動に伴いコロナが

2020年12月15日 20時56分59秒 | 日記
人の目には見えないが人が動けばコロナがついていく。
人の命か経済か
政府は両方大切とGOTO政策を発したが残念な事に全国的に停止となった。
感染者及び重症者が増え先行き見えない状況では人の動きを止めなければと苦渋の決断だった様だ。
結果見て批判は出来るが
世の中良かれとしたことが時として裏目に出る事もあるが遅まきながらでも停止して良かったと結果を期待したいものである。
師走に入り新年を迎える準備を少しずつながらと思うが気持ちの上でその気にもならない。
結局だらだらと一日が暮れた。
昼間メジロの餌にと置いているミカンを横取りすべくヒヨドリのツガイと思える二羽が姿を見せた。
寒さが増せば今年豊作の南天がまず餌食に続いてミカンを狙い頻繁に飛んできそうである。
午後から雨夜には雪が降ると気象情報をみた。


今年の漢字一文字は「蜜」

2020年12月14日 20時48分06秒 | 日記
コロナに始まりコロナで暮れたと過言でない一年もあと半月で終わろうとしている。
心新たに新年を迎えるにもコロナの終息は霧の中で来年も引きずり続けるのではと危惧するものだ。
今日午後毎年発表される今年の漢字一文字は「蜜」と決まり矢張りコロナ関連の文字世相を表わす字になって仕舞った。
本日も外出なしで終日妻と二人きりで外のメジロもツガイで訪ねるようになって来た。
今季初の寒波が到来とあり今朝から暖房を入れ暖かく心静かに一日を送る。
格別何をするでなく一日が暮れて行く
これを無為な過ごし方ととるか健康で無事一日が送れたと取るか。
老後の過ごし方とは小さな幸せを感じる事が大切なのかもしれない。
どんよりとした空を見て今にも粉雪が落ちてくるような気配だ。







恐怖を感じるコロナが盛り返して来た様だ

2020年12月13日 19時44分01秒 | 日記
自分が住む刈谷市は最近毎日の様にコロナ感染者が発表されている。
極力外出を控えマスク着用手洗い励行そして三密避けての防止対策にと努めているが如何なっているのやらと思う。
高齢者にとっては外出は感染の危険多く不安が後ろ合わせだ。
精々グラウンドゴルフ・防犯パトロールそして公園清掃と限られた外出しかも短時間である。
殆んど家に籠り引っ切り無しに訪れるメジロを見て過ごす事が多くなっている。
身体が鈍り体調芳しからず困った事だ。
妻が作ってくれる三度三度の食事も左程食欲も起こらず摂ってはいるが・・・
矢張り健康を維持するには規則正しい生活と身体を動かさねば老化が益々すすんで行く様に感じる。
一方では爆発的な感染者が連日発表されGOTO政策に一時ストップがかかる気配だ。
65歳以上の高齢者は自重される様にと前置きがあるがそれ以外でも大勢の人の移動あれば感染率もまた戻るのものだ。
年の瀬が日に日に迫り新年を迎えるに暗い年末を迎える予感がしてならない。
明日から寒波が来るようで寒さが身に沁みるのではと心寂しくもなる。
妻と二人で三時のおやつに自家製のアップルパイで気分一新


好きな酒が飲みたくなくなった

2020年12月12日 21時01分53秒 | 日記
もうひと月位になるだろうか
以前から左程強くはないものの毎日程々に健康維持の為にとあれほど好きであったアルコールビールを始め日本酒・焼酎が受け付けなくなって仕舞った。
医師から止められた訳ではないが全くその欲望が湧いてこない。
妻も心配しているが自分でも飲みたい気持ちが湧いてこなくなっている。
長年付き合って来た飲酒から離れ時折寂しく思う。
その時には養命酒や梅酒を薬程度にほんの少々舐める程度
酒を嗜むとは言うが養命酒を嗜むとは寂しい限りである。
食卓の周りにはまだ手付かずの日本酒・焼酎の一升瓶が何本も恨めしそうに立っている。
妻はその内飲みたくなるのではと言ってはくれるが慰めの言葉としてしか受け止められない。
若き時代には美酒を味わう事も度々また長岡や新潟の酒どころでの仲間達と頻繁に飲み歩いた事も今では良き想い出となっている。
昔酒好きの年寄りが自慢げに飲めなくなったら人生お終いだ。
と言っていたセリフを想い出す。