美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

孟子曰く

2017年08月13日 | 瓶詰の古本

   孟子曰く、道に外れた不仁の者は、相手にして共々に語り、之に忠言する事は出来べきものではない。不仁の者は、私欲のために心が顛倒して、身の危くなるやうな事を安らかな事と思ひ、禍になるやうな事を利ある事と思ひ、滅亡を招くべき事を楽んでやつてゐる。不仁者にして共に語るに足りるなら、何で国を亡ぼし家を敗るものがあらう。――不仁者はどうにも斯うにも手の附けやうがないからこそ、そのために国が亡び家が敗れるのである。一人の子供があつて、「滄浪の水が清んだ時には、それで私の冠の紐を洗ひませう。滄浪の水が濁つた時には、それで私の足を洗ひませう」と歌つてゐた。孔子は之を聞いて弟子達に曰はれるやう、「皆さんよくお聴き。清めばその水で冠の紐を洗ひ、濁ればその水で足を洗ふ。冠の紐を洗はれるのも、足を洗はれるのも、皆水自身の招く所なのだ」と。抑も人は身の修養を怠つて自ら身を侮り、然る後に人が之を侮る。家はよく齊へ治めないで自ら破壊して、然る後に人が之を破壊する。国はよく治めず自ら伐つやうな事をして、然る後に人が之を伐つのである。太甲に、「天の作つた災は随分避け難いものだが、それでもまだ避ける道がある。自分で作つた禍はどうしても避けて無事に活きてはゐられぬものだ」とあるのも、この事を謂つたものである。(孟子)

(「更訂漢文解釈法」 塚本哲三)

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