か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

まち・ひと・しごと創生法 いまさら何を言うか

2014年11月24日 | 社会・経済

町をなくし、人を連れ去り、仕事を取り上げた張本人は誰か。その張本人が、まち、ひと、しごとを復活させるという。ずうずうしい。

地方都市のほんのここ5年の衰退を正視すれば分かることだ。アーケイドを通学路にする高校生は口をそろえて言う。5年じゃありません。3年ですよ。3年で死にました。

安倍は笑顔で地方を再生、創生するといった。

そりゃ無理というもんだ。死人に人工呼吸をしても無駄だ。

鹿児島の天文館は人どおりがほとんど絶えた。佐賀はアーケイド自体が消えた。大分長崎は人自体が消えた。北九州は原始の姿に戻った。宮崎は話題にするのも震えが来る。熊本下通りは人がいなくて地平線が見える。わずか福岡だけが一人勝ちしている。

つまり、現実には、地方はすでに死んでいる。僕が、復活の可能性がないことをなぜ断言できるのだろう。

それは安倍自民党がその犯人だからだ。自らが政党の地方組織の無能をいいことに、中央に労働力を吸い上げ優秀な学生を吸い上げる事を止めなかった。そういうシステムにいささかも変化があったことはない。

佐賀のどこに能力を生かせる仕事があるか、学校があるか。

先日来、小学校の統廃合について書いているが、小学校の統廃合は地方の崩壊より早く始まり、平成の大合併で地方自治は消え学校も消えた。つまり行政、公教育が消えたので地方の崩壊が加速されたのであり逆ではないということ。(具体的数字は後日に)

その他法務局、検察庁、裁判所、役場自体、自民党政府の政策が消滅に拍車をかけた。地方の崩壊を加速させ、なぜ厚顔無恥にも地方の再生を言うか。法務局、検察庁、裁判所、役場、学校、警察、・・・ 十分に多忙で地方に貢献する公共機関は「能率的運用」の名の下に統廃合され消えた。

能率的運用はすでになされていた。赤字解消か。裁判所や警察にどうやって黒字になれというのか。

一次安倍内閣のスローガンは僕の心を捉えるものだった。「再チャレンジ」。これこそ日本に欠けていた社会の仕組みだ。

日本は一度失敗すると人生を失う。そういう社会制度の下では一度、18歳のとき、運がいいだけでフリーパスのチケットを手に入れる。時を逸すると絶望して一生を過ごすしかない。まるで半島だ。

これはいけないことだ。ガンバレば何度でもレールに乗れる人生でないと、人はやる気をうしなう。単線型の教育制度は間違ったもので、この点戦前のやり方はまだ合理性のある複線型であり、ひとつの偏差値という価値で人間が測られることはなかった。

自分らは東大を出ておいて、大学はみな平等だよ、なんていわれると頭に来る。そんなら第一経済大学と代われよ。

可愛い子からブスに向かって、まーかわいくなったね、と言うときの残酷さが分かるか。そんなら顔を交換しろよ。かわいいならいいはずだ。

現実は一本の東大を頂点とする序列で成り立っている。(単線型)

しかし安倍はウソをついた。「再チャレンジ」は「捏造」だ。現に何が変わったか。

だから今度もウソだ。しかも今度は、その「まち、ひと、しごと」を破壊した張本人ではないか。

地方は創生しない。



写真  人が去り風前の灯となった熊本三角(みすみ)の西港。坂の上の雲、いいちこのCM、るろうに・・・、A特急・・・のロケがあった。観光客は何かを求めているが、三角は崩壊しつづける。



 



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