か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

三社参りという狂想曲

2017年01月07日 | 日常

 

一社参らせたのでは金にならない。江戸時代の商売人は計算高い。三社だ。お賽銭も三回取れ。この方式で 伝統行事と称しつつ、つい最近始まった住民の大移動は商魂の犠牲になった哀れな低能が渋滞にあがく姿だ。

ほかにやすみがとれないじゃないか。これがまともな言い訳になる日本社会はおかしい。年に1,2回しか子や孫に会えないなんて異常だ。そうまでして金を稼ぐ精神は病んでいる。

人殺しをしておいて、10時には退勤するようにしましたと電通は言う。それ十分遅くねえかい。また殺される。三流四流学生は今がチャンスと押しかけている。殺人企業にすら通らないのがいるのは哀れだ。殺す価値もないわけだ。「男子力がない」わけだな。

大宰府は渋滞だし、凶がないおみくじは面白くない。僕は、大宰府の喧騒が聞こえてくるところに住んでいるが行かない。

 

「当所神社の歴史」をもらった。破魔矢だとか、おみくじだとか、お札、お守り。この類は一か所で作っているので当たろうと当たるまいと気分的なものだ。そんなものはどうでもいい。神社ごとに必ず神社のいわれとか暦をくれる。たいてい無料。この文章は、とくに当所神社の場合は、教養のある人が書いたものだ。田舎者を馬鹿にしてはならない。田舎は悪質なチンピラが多い。そういうのは思いっきり馬鹿にしてよいし最近は中国人ががんの転移のようにどんな辺鄙なところにもいる。いたるところに唾を吐きごみはきちんと出さずコスモスから万引きする。

引用

当所神社の歴史

当所神社の在する地域は、今から1700年前「弥生時代」から人々が集落を形成し、果てしなく遠い時の流れの中で、営々と生活をしながら現在に至った次第であります。古文書の記録によりますと、教法年間「徳川吉宗」の時代黒田長政公の名を受け栗田村より分村したのが藩政上の村としての始まりとされ、同時期に日光東照宮の御成館の祈りであり、その東照という呼び方をいただき当所と名付けられたのが地名の由来であります。・・・

 

書きなれた人の文章だった。

おまけにくじを引いたら銀杏が当たった。

ここは大己貫(おおなむち)神社、大国主命を祭る。次回ぼた餅で有名な綾部神社について書く。

 

 

 

 

 


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