体奏家/新井英夫の予告報告 (DANCE-LABO KARADAKARA)

体奏家/ダンサー新井英夫の舞台活動とワークショップ活動の予告と報告。たまに日々の雑感あれこれなども。

近況報告です。

2011-06-22 05:34:11 | 報告
最近は更新できずにいましたが、このところの近況報告を。忙しかったのと、
重要な二ュース源としてTwitterやFacebookを開いている時間が震災原発事故後多くなり、
そこにちょこちょこと書き込んでいたというのもあります。ぼちぼちとまたブログも再開!


○仙台でワークショップ
6/4土.5日、NPO芸術資源開発機構ARDAのスタッフと美術家中津川浩章さんと仙台を訪れ
避難所や仮設住宅、復興支援アートイベント等でワークショップをしてきました。
以下ARDAのブログに報告が。
http://ardablog.sblo.jp/
アーティストとして、というより同時代を生きるひとりの人として何ができるか?
考え悩んでもみましたが、「ともかくやってみるしかわからない」ということで、
行ってきました。アート系NPOであるMMIXの村上タカシさんらの協力に深謝。
現地では被災後、アートも何も枠を取り払って、各種のNPOが連携しながら、モノ・
ヒトの支援をしていたのだそう。こういった事情も現地に行ってはじめて知ったの
ですが、復興にはともかく長い時間のかかることを感じました。
今後も引き続き「できることから」お手伝いをしていきたいと思います。

○「牛飼い」をしている旧友に会う
今年のはじめ高齢者施設でのワークショップの仕事があり君津市に出かけました。
そこで、とつぜん「おーいアライ~っ」と呼び声が。振り向くと高校時代の同級生
アベくんではないか!! 「なんでここにいるんだ!」「おまえこそ!」こういう偶然は
あるんですね。20年ぶり以上の再会。互いに仕事中だったので連絡先を交わし、
次の再会を誓って別れました。

それから震災原発事故やらで、やっと都合がつき先日、ゆっくりと都内で再会できました。
わが友アベくん。大学で農業を専攻し卒業後は、牛に触ったこともないのに畜産飼料の会社
に就職、その後30歳過ぎてから海外青年協力隊員としてグァテマラに。電気の通っていない
ような地域で活動していたそうです。なんでも現地の方々の通信手段は「声」!!。集会の連
絡が「大声」で山の向こうに伝達され、それを受けた人がまた次の山を越えた集落に「大声」で…。
これを何回か繰り返す(笑)。こうして見事に3時間後、おやつを頭の上に乗せてのんびり各集落
の代表が集まる。いっぱい歩いたので疲れて集まってもすぐ休憩お茶タイム。「何で集まったん
だっけ?」「でもも帰る時間だ」「よし来週また集まるということだけ決めよう。じゃ今日は
これで解散!!」というような世界。「日本に戻ってきて、しばらくはこっちのペースになじめ
なかったな、なんて国にかえってきちゃったんだという感じ」とアベくん。その後紆余曲折あっ
て長年の夢だった「牛を飼う」生活を千葉の富津の山間で実現しているとのこと。牛飼いと農
業の傍らパートタイムで理学療法士として高齢者施設で働いていたというわけだった。

千葉富津で牛や野生イノシシ・猿ご家族に囲まれ、まさに「地に足の着いた」生活をしている
アベくんは自然哲学者なのだ。会ってすぐ東京駅で「東京、人多すぎるな。同じ生物がこんだけ
一カ所に集まっているのは自然界にはないぞ、これが全部ゴキブリかなんかだと思ってみろ! 変だろ」
ハイそうです(笑)。そして移動の最中恐竜展のポスターを観てアベくん曰く「恐竜は、隕石の衝突
による気候変動での絶滅だろうな。地球の生物で自滅したやつはいないよ、みんな外的要因で他滅。
人間だけ文明を持ったから自滅だろうな。文明と生き物は共存が難しいんじゃないか?証拠に宇宙人に
まだオレたちは会ってない。持続可能な文明があるとしたら、文明を持つものどうし、地球外の知的
生命体と我々は既に出会っているはずだ。出会っていないのは、文明を持った生物は自らの内的要因で
いずれ滅びる運命にあるんだろうな…」彼の一言ひとことがとてつもなく深く面白い。農業問題・食料
問題・近未来のこと・妄想アホ話…話しはつきない再会だったが、アベ自然哲学のつづきはいずれまた。

彼は震災後ソーラーパネルを設置したという身の振りの早さだが、携帯電話は持っていない(笑)。
東京駅での待合せ、人が多く互いに見つけらなかった。仕方なく私は人目を憚らず大声で「お~いアベ~」
と叫んだ。すかさずその倍くらいの声で遠方から「おーいアライ~」と反ってきた。おたがいニンマリ。
その後聞いたグァテマラの話しは妙に納得(笑)。さすがお互い「ずっと」友達なわけでした。


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2 コメント

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東京駅で名前を呼び合う風習は、絶えて久しい (医食同源 天下御麺)
2011-06-22 17:28:48
過日はご多忙の中を、ご来店いただきありがとうございました。
ただいま千葉県へ避難している福島県の障害児・者施設の方々へ夏服のTシャツや下着を送る準備で大わらわ。
今日の突然の真夏日「一刻も速く夏服を送らねば」と、社会体験で来ていた中学生とTシャツの梱包に精を出しました。
敗戦後、まだ貧しかったころの日本では、ラジオも新聞も「訪ね人」でいっぱい。駅頭でも、お互いに大声で相手の名を呼んでいるなんていうのは、ごく当たり前の光景でしたね。
被災地では、いまだ見つからない愛する人たちを探す声が絶えない。
携帯で一瞬で目指す相手を呼び出せる便利さも良いけれど、肉声でお互いを呼び合うのも、何かが失われつつある日本では有り難いことだと思います。
ところで、すでにドアの閉まった新幹線車内の旅人と、うるさいホームの送り人が、なんの障害も無くガラス窓越しに静かに会話できるのが「手話」の魅力です。ちょっと便利ですよね。
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Unknown (新井英夫)
2011-06-25 20:51:20
牧野師匠コメントありんがとうございます。最近JR車内で手話をつかったダンスグループの広告があります。手話とダンス、隣り合わせ言語かもしれませんね。勉強してみたいです。英語もまだままなりませんが(笑)
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