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信長公ギャラリー

2017年09月04日 | Weblog
コナン岐阜特集にも出ていた信長展「体感!戦国城下町・岐阜 信長公ギャラリー」を紹介します。

場所は2年前にできた岐阜市立図書館メディアコスモスの中でやっており、入場は何と無料です。織田信長といえば戦国時代に活躍した武将ですが、全国的には冷酷無比な暴君であり、最後は家臣に裏切られて殺されたという負のイメージとして認識されているようです。まあ確かに比叡山焼き討ちや本願寺攻めなど、宗教勢力との戦いというものは現代でもそうであるように相手が屈しないのでどうしても泥沼化してしまうため、非情にならざるをえなかった部分が大きいでしょう。しかもこれらの宗派は現在でも一大勢力であるため、「信長は悪人」と感じる人が多いのかもしれません。
しかしそれらの戦いを通して宗教勢力を武装解除させたのは、他でもない信長です。今でこそ坊さんが刀を持って斬りかかってくるなど想像もできませんが(笑)信長が徹底的に「政教分離」を行わなければ、日本でも中東のような宗教戦争が未だに頻発していたのかもしれません。それに信長は今で言う徴兵制でなく志願制(給金あり)を取り入れており、兵を専門職とすることで残った地元民は安心して農業や商業に精を出せたのです。その遺志を継いだ秀吉が刀狩りで完全に兵農分離を行い、家康が身分制度を固定化したため、現代「僧は武器を持たない」が当たり前になっているのですね。信長はむしろ身内である家臣や仲間内に対しては情に厚く気配りの行き届いた殿様というイメージであり、外来客は丁重にもてなしたと記録に残っています。まあそのお人良しさ故、信頼していた家臣に隙を突かれて謀反に遭ってしまったわけですが、地元民にとっては英雄視されるに足る人物なのです。
「岐阜」という地名は中国の故事「周の文王が岐山より起り、天下を定む」の一文に由来し、ココから天下を統一するという意気込みで信長が名づけたとされています。ちなみに「阜」は丘という意味で、孔子誕生の地「曲阜」から取ったという説もあるそうです。今年はそれから450周年にあたり、アニメ然り囲碁将棋然り、かなりの予算を投じてPRしているわけですな(笑)

入場すると、超精巧なしゃべる信長像が出迎えてくれます。しばらく見ていると、客に合わせて会話を選んでいる気がしてきますね。もしかしたら中に人がいるのかも(笑)パネルによる信長の説明や、岐阜の町の上をハイジもビックリの空中ブランコ体験できるコーナーもありました。メインはシアタールームで、岐阜公園内で現在発掘作業中の信長御殿をCGで再現した映像を、小芝居と共に見ることができます。そこを出た後は自由にCG空間内を移動できるコーナーもあり、豪華絢爛な御殿散策が体験できます。

空いている時に行けば所要時間は30分といったところでしょうか。終わったら2階に上がって図書館内のテラスで金華山を眺めながらゆっくり信長本を読むも良し、図書館内でスタバるのも良し(笑)それなり以上に楽しめる施設です。
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