寂光院(じゃっこういん)は、左京区大原にある天台宗の寺院で山号を清香山と称します。開基(創立者)は聖徳太子と伝えられておりますが、諸
説があるみたいです。平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所でもあり、『平家物語』ゆかりの寺として知られております。ご本尊は六万
体地蔵菩薩尊が祀られております。
孤 雲 (茶室) 京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室を造り、昭和6年3月に
千宗室宗匠をたのみて献茶式を催し茶室開きが行われました。
「孤雲」の名のいわれは、建礼門院のもとを訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に諸経の要文とともに貼られた色紙のなかに、「笙歌遥かに
聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」という大江定基の歌とともに、「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」という女院の歌
を御覧になって、一行涙にむせんだという『平家物語』の大原御幸のなかの一節にちなんでおります。
寂光院本堂 桃山時代頃の建築の特色を残していると言われていた寂光院本堂は、平成12年(2000)5月9日未明、不慮の火災により焼失しましたが、
再建は小松前住職の「すべて元の通りに」の言葉通りに、焼け残った木組みや部材を入念に調査し、材木を吟味して、5年の歳月を経て平成17年6月
2日に落慶いたしました。ヒノキ材で屋根は木柿葺(こけらぶき)で焼失前の寂光院がここによみがえりました。
雪見灯籠 (ゆきみどうろう) 本堂に向かって右手前にある置き型の鉄製灯籠で、豊臣秀
頼が本堂を再建した際に伏見城から寄進されたものと伝えられます。
四方正面の池 本堂の東側にある池で、北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝を設けてあり、池の四方は回遊出来るように小
径がついており、本堂の東側や書院の北側など、四方のどこから見ても正面となるように、周りに植栽が施されております。
汀の池 (みぎわのいけ)池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ (『平家物語』大原御幸)
文治年(1186)4月下旬、後白河法皇は忍びの御幸で寂光院の建礼門院の閑居を訪ねたおりの一首です。都から遠く離れた寂光院は、全く通う人もな
い奥山の里で、庭の若草が茂り合い、青柳のしだれた枝は風に乱れもつれ合い、お堂の汀池の浮き草が波に揺れ池の中島の松にかかっている藤が
うら紫に咲いている色、青葉まじりの遅咲きの桜が咲き、岸辺には山吹が咲き乱れる様子を詠んだものだそうです。この時の汀の池と桜は今も本堂前
に平家物語当時そのままをしのぶことができます。
千年姫小松 (御神木) 池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色 (『平家物語』大原御幸)
本堂前の汀の池のそばには、古来より櫻と松が寄り添うように立っていて、その櫻を「みぎわの櫻」といい、松を「姫小松」といいました。姫子松は細長
く柔らかい松の葉が5本が一組になってつく、いわゆる五葉松のことであり、寂光院の姫小松は樹高15メートル余りで樹齢数百年になるものでありまし
たが、平成12年(2000)5月9日の不慮の本堂火災とともに、池のみぎわの櫻と姫小松もともに被災し、とくに「姫小松」は倒木の危険があるため伐採の
やむなきに至り、現在はご神木としてお祀りしておられます。
諸行無常の鐘楼 本堂の正面の池の汀にある江戸時代に建立された鐘楼には、「諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かっております。
鐘身に黄檗宗16世の百癡元拙(1683-1753)撰文になる宝暦2年(1752)2月の鋳出鐘銘があり、時の住持は本誉龍雄智法尼、弟子の薫誉智聞尼で、
浄土宗僧侶でありました。
鳳智松殿(ほうちしょうでん)『宝物殿』前から山門を見上げたところです。 平成18年秋に寂光院の復興を記念して建てられました。寂光院に伝来する
『平家物語』ゆかりの文化財等を紹介しています。
説があるみたいです。平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所でもあり、『平家物語』ゆかりの寺として知られております。ご本尊は六万
体地蔵菩薩尊が祀られております。
孤 雲 (茶室) 京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室を造り、昭和6年3月に
千宗室宗匠をたのみて献茶式を催し茶室開きが行われました。
「孤雲」の名のいわれは、建礼門院のもとを訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に諸経の要文とともに貼られた色紙のなかに、「笙歌遥かに
聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」という大江定基の歌とともに、「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」という女院の歌
を御覧になって、一行涙にむせんだという『平家物語』の大原御幸のなかの一節にちなんでおります。
寂光院本堂 桃山時代頃の建築の特色を残していると言われていた寂光院本堂は、平成12年(2000)5月9日未明、不慮の火災により焼失しましたが、
再建は小松前住職の「すべて元の通りに」の言葉通りに、焼け残った木組みや部材を入念に調査し、材木を吟味して、5年の歳月を経て平成17年6月
2日に落慶いたしました。ヒノキ材で屋根は木柿葺(こけらぶき)で焼失前の寂光院がここによみがえりました。
雪見灯籠 (ゆきみどうろう) 本堂に向かって右手前にある置き型の鉄製灯籠で、豊臣秀
頼が本堂を再建した際に伏見城から寄進されたものと伝えられます。
四方正面の池 本堂の東側にある池で、北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝を設けてあり、池の四方は回遊出来るように小
径がついており、本堂の東側や書院の北側など、四方のどこから見ても正面となるように、周りに植栽が施されております。
汀の池 (みぎわのいけ)池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ (『平家物語』大原御幸)
文治年(1186)4月下旬、後白河法皇は忍びの御幸で寂光院の建礼門院の閑居を訪ねたおりの一首です。都から遠く離れた寂光院は、全く通う人もな
い奥山の里で、庭の若草が茂り合い、青柳のしだれた枝は風に乱れもつれ合い、お堂の汀池の浮き草が波に揺れ池の中島の松にかかっている藤が
うら紫に咲いている色、青葉まじりの遅咲きの桜が咲き、岸辺には山吹が咲き乱れる様子を詠んだものだそうです。この時の汀の池と桜は今も本堂前
に平家物語当時そのままをしのぶことができます。
千年姫小松 (御神木) 池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色 (『平家物語』大原御幸)
本堂前の汀の池のそばには、古来より櫻と松が寄り添うように立っていて、その櫻を「みぎわの櫻」といい、松を「姫小松」といいました。姫子松は細長
く柔らかい松の葉が5本が一組になってつく、いわゆる五葉松のことであり、寂光院の姫小松は樹高15メートル余りで樹齢数百年になるものでありまし
たが、平成12年(2000)5月9日の不慮の本堂火災とともに、池のみぎわの櫻と姫小松もともに被災し、とくに「姫小松」は倒木の危険があるため伐採の
やむなきに至り、現在はご神木としてお祀りしておられます。
諸行無常の鐘楼 本堂の正面の池の汀にある江戸時代に建立された鐘楼には、「諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かっております。
鐘身に黄檗宗16世の百癡元拙(1683-1753)撰文になる宝暦2年(1752)2月の鋳出鐘銘があり、時の住持は本誉龍雄智法尼、弟子の薫誉智聞尼で、
浄土宗僧侶でありました。
鳳智松殿(ほうちしょうでん)『宝物殿』前から山門を見上げたところです。 平成18年秋に寂光院の復興を記念して建てられました。寂光院に伝来する
『平家物語』ゆかりの文化財等を紹介しています。
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