寂光院のあと三千院に伺いました。
桜のシーズンも済み観光客も一段落した感じでとても空いておりゆっくり回る事が出来ました。何よりも、やかましい中国語が聞こえてこない
のが良かったです。
三千院の前を通り抜け、勝林院の奥の宝泉院に向かいます。
三千院門跡の北側を流れる律川
左手、実光院は時間の関係で今回はスルーいたしました。
この勝林院は、835年円仁によって開かれたと伝えられ、古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに天台声明の道場であり1186年には顕
真と法然上人との宗論(いわゆる大原問答)がこの寺で行われた事で有名で、江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)の塔頭が
ありましたが、現在は宝泉院と実光院の2院のみが残っております。
山門を入りますと樹齢700年の五葉松が迎えてくれます。
シャクナゲが満開でした。
山門を入り左手に宝楽園庭園があります。平成17年3月に宝泉院境内南側の低地に新しく誕生した庭で、心の内なる広大な仏、神の世界を岩
組、樹花、白砂等をもって表わし美しく宝の如くそのままそこにある楽園の境を創作したものと説明されております。
作庭は長野県に本拠を置く、造園の園冶(えんや)庭園研究企画創作所─空間総合プロデューサーとなっております。庭園北側の築山や橋の石
組に使用されている銀石は、金属の輝きを思わせる三波峡の石を使用しております。 三波石峡(さんばせききょう)は、神流川上流に位置
し、群馬県から埼玉県に跨る景勝地です。また、緑色の結晶片岩は石英が緑色の紋様を示し非常に高価な庭石としても重宝されており(三波石
さんばせき)と呼ばれております。 天橋立玄海のぞき橋
海の濁流を表現した白川砂は、夜半にその砂に月光が照り映えて、銀砂幽玄の世界がそこに現れるそうです。
環状列石蹲い(つくばい) 古代先人仏舎利を表現した、蹲踞
四季折々の花木が配置されており百花繚乱と言われる庭園です。
池に注ぐ滝の横に佇む不動明王像
こちらの庭園は、玄関の左手にある鶴亀庭園です。江戸中期の作で、部屋の中から格子ごしに観賞する庭園で池の形が鶴、築山が亀、山茶花の
古木を蓬莱山とみる名園と云われております。 この庭園も園冶の修復、管理と説明されております。
玄関を入りすぐ右手にあるお部屋です。宝泉院は四方を庭に囲まれており、どの部屋からでもそれぞれの庭園を鑑賞することができます。
額縁庭園 客殿の西方にあり右手に御本尊が祀られる本堂の柱と柱の空間を額に見立て観賞する庭園です。 庭の名前を盤桓園(ばんかん)と
言い立ち去りがたい庭園という意味だそうです。
拝観料にお抹茶代が含まれておりますので、毛氈に座り待っておりますと、御茶菓子と共に
運んできてくださいます。
庭園南側に鎮座する近江富士を型どる樹齢7百年を誇る五葉松 京都市指定の天然記念物で京都市内にある3つの著名な松の一つで、 70年ほ
ど前に高浜虚子が無住寺の宝泉院を訪れ、「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んだそうです。
西側庭園の右手の軒先のつくばいにある水琴窟 竹筒に耳を傾けますと心地よい水の音色が響きます。
血天井 慶長五年(1600)関が原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が
豊臣の大軍と戦い伏見城中で自刃し、その武将たちの霊をなぐさめ、供養のために、
自刃した場所のものを天井にして祀ったものです。
鷹峰の源光庵の本堂にも同じものがあります。
実光院の向側に位置する法華堂は、後鳥羽天皇ご冥福のため、梨本主尊快親王母公修明門院御計らいにて水無瀬の御所を以て仁冶元年(1240)
に建立されました。享保二十一年(1736)類焼いたし現在の堂宇は、安永年度(1764~)に再興されております。 御本尊には、普賢菩薩を祀り
ます。
三千院に向かいます。
秋紅葉
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/c55fa3bbeefc032ae854364f9c27c83c
雪景色
http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/m/201402
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます