河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

0022- エヴァ・マルトンのあご -1-

2006-07-19 00:45:14 | met

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19861020()

メトロポリタン・オペラ・ハウス

トスカの公演で事件は起きた。

タイトルロールのエヴァ・マルトンが第2幕で、スカルピア役のファン・ポンスにひじうちをくらいあごがはずれた。それでも歌い続けた。

22()のニューヨーク・タイムズは、フロントページにハロルド・ショーンバークの記事を載せ、音楽面にドナル・ヘナハンの論評を載せた。

ショーンバークは、この夜のことや過去の同じような事例、思い出話を書いてある。ヘナハンは通常通りのレビューである。

それにしてもショーンバークの読みやすい言葉に比べて、ヘナハンのはかなり疲れが出る硬い文体・表現だ。吉田秀和 対 吉井亜彦 みたいだ。

河童は月曜シリーズは持っておらず、あごのはずれる瞬間は見逃してしまった。この二人の論評に耳を傾けてみよう。

THE NEW YORK TIMES  1986
1022() フロント・ページ

Marton’s Tosca Down but Not Out at the Met

ノックダウンしたがノックアウトはしなかった。

By HAROLD C.SCHONBERG
 

「今はじめて。」エヴァ・マルトンは言った。「ボクサーがノックアウトされたときどう感じたかわかったわ。」

月曜夜、メットのトスカに出演中の国際的に有名なドラマティック・ソプラノはあごをはずされグロッギー状態になったが、彼女は’show-must-go-on’という伝統にそって、その役をうまくやり終えた。

バリトンのファン・ポンスのひじがマルトンのあごをとらえたのは、劇中の彼らの小競り合いのときだった。彼らは二人ともに大きい。マルトンは172センチ7.2ミリで強固。ファン・ポンスは195センチ5.8ミリでかなり重い。舞台でフロリア・トスカを追い回すスカルピア役のファン・ポンスのアクションは少し過剰であった。彼らは自分たちの役どころをかなりシリアスにとらえていたようだ。

‘A New Way of Singing’

「殴られたとき、なにかが起きたことはわかったわ。何か音をたてて割れたように思えました。」昨日の午後マルトンが話した。「(オー・マイ・グッドネス。) 独り言を言った。(口の開閉が出来ないわ。) しばらくの間は痛くもなかったの。でも、唇と口が反応しなかったのです。」

彼女の大変なアリア“歌に生き、恋に生き”が迫っていた。彼女はその歌を慣習通り床にうつぶせになりながら歌った。「母音の言葉づかいが良くなりました。」と彼女は言った。「それで、急に新しい歌唱法を考えつかなければならなかったのです。」

休憩時間に、彼女はこのまま続けるかどうか訊かれた。「わからないわ。わからない。」彼女は自暴自棄的に言い続けた。外科医である彼女の夫は診断をして、おそらく小骨が折れているだろうと思った。夫は彼女に演技を続けることに反対するようアドヴァイスした。指揮者のガルシア・ナヴァーロはそこではじめて彼女に何があったのかを知った。彼は2年前に車庫のドアが顔に当たってあごを怪我したことがあったのだ。

休憩で、予備出演者のパトリシア・クレイグが準備をした方が良いかもしれないと言われるまで、ナヴァーロは何が起きたかわからなかったわけだ。彼はマルトンのドレッシング・ルームに行った。「歌うわ。」マルトンはナヴァーロに言った。「もし私が歌うことをやめたとしても、指揮はとにかく続けて下さい。」彼女はやり終えた。ナヴァーロは敬意を表して言った。「私は彼女のことをとても賞賛する。」彼は続けて言った。「彼女は最後の幕はとても素晴らしかった。」

ナヴァーロが言うには、ポンスはかなり動揺していて、終わってからマルトンに遺憾の意を表した。

何故、マルトンは続けようとしたのか。

「私はこの役を2年間待ったの。」マルトンは言った。「私はトスカを世界中でたぶん140回ぐらい歌ったの。だからメトロポリタン・オペラでのトスカを諦めるわけにはいかなかったのです。それは、私が何年も望んでいたことだったし、全ての準備は出来ており待っている、今がそのとき。続けなければならない。馬鹿なことですが、続けなければならないのです。」

彼女は自分のキャリアでチャンスをつかんでいることを知っていた。もし骨が折れ、腱が伸びてしまっていたら、取り返しのつかないダメージが結果として残ったであろう。しかし、終幕ではハイCと声量を魅せつけた。

「全てが緊張しているときこそ、そこに大事なことがあるの。」彼女は言った。「痛みは必ずしも否定的なものではなくて、エリキサのように刺激的に振舞うことも出来るのよ。」

昨日の朝、マルトンはX線検査を受けた。骨折はなかった。医師にあごがはずれていると言われたが、自然にもとの位置に戻っていた。彼女が言うには、一晩中激痛が走っていて、起きたとき固形物は噛むことが出来なかった。午後、だるくてずきずき痛みがあった。

マルトンは土曜日にトスカを歌うことになっている。「夫が言うには、顔はたぶんそれまでに元通りになっているはずだ。しかし、私たちは見守る。金曜日まで歌唱はしない。歌うことが出来ると感じたらそうする。ですって。」

うつぶせの位置から歌う歌に生き、恋に生きのスタイルは、第一次世界大戦少し前、マリア・エリッチアのはじめてのウィーンでの歌から始まっている。プッチーニ自身そのプロダクションを見ている。ドレス・リハーサルでエリッチアは自分のガウンにつまづき床に転んだ。指揮者は既に拍をとっていたので、彼女はその伏せた位置から歌った。彼女が歌い終えたとき、プッチーニは舞台に駆け登り、「素晴らしい。素晴らしい。神からの授かりものだ。ここはいつもこのようにあるべきだ。」と言った。それ以来、ほとんどのソプラノはそのようにして歌う。

Sang in a Sling

マルトンの災難な出来事はどこのオペラ・ハウスでもたびたびおきている。以前、ばらの騎士において、不器用なオックス男爵への苛立ちでリーゼ・スティーヴンスがワイングラスを割る場面で、破片が目につきささったことがあった。それを取り除くためにルーズベルト病院へ駆け込んだ。うつ伏せのアクシデントほど目立ったものではなかったが、スティーヴンスは肩をはずしたこともあるし、カルメンのテノール役に押されて手を捻挫したこともある。スティーヴンスがビゼーのオペラで怪我をした唯一の歌手ではない。第一次世界大戦期のある公演の終幕で、カルーソがGeraldine Farrarを乱暴に扱ったため、彼女はカルーソを激しく叱りつけた。普段彼らはいい友達であったが、この出来事では、幕が降りたあと聴衆は彼らが大声で怒鳴りあっているのを聞いた。

Breath Control

公演が不快な方へ向かい、またコメディのようになってしまうのは、双方の歌い手がお互いに嫌がっているときである。ビルギット・ニルソンとフランコ・コレルリがプッチーニのトゥーランドットで一緒になったとき、彼らは決まってハイCユニゾンの長さを競い合った。コレルリはいつもニルソンより早く息が切れてしまっていた。ある公演でコレルリは激情にかられてニルソンをつかみ耳を噛んだ。

ニルソンは翌日、ルドルフ・ビンクに電話をして、今後の公演の歌は歌うことが出来ないと言った。「何故?」と、ショックを受けた興行主は訊いた。そして、「狂犬め。」

コレルリはいつも気が短かった。1958年ローマでヴェルディのドン・カルロのリハーサル中、コレルリは、ボリス・クリストフが自分に背を向けるようなアイデアが浮かんだ。彼は自分の剣を抜き、狂気の目でこのバス歌手に向かった。クリストフは身を守る為に自分の剣を抜いた。舞台係が彼らを分けるまで、本当に突き刺し、攻撃を交わすようであった。クリストフは指を怪我し出演から降りた。彼は戻るよう頼まれなかった。バス歌手は偉大なテノールより簡単に代替がきく。

メトロポリタン・オペラの記録で一番有名な平手打ち事件は1905ローエングリンでおこった。偉大なEmma Eamesとオルトルード役のKathie Sanger-Bettaque が第2幕で両翼に登場して言い合う場面である。Eamesは特に冷静であり、演技面で決して過剰な振りをしないコントロールのきいた歌い手であった。彼女には激情が欠けていたと想像される。しかし、Sanger-Bettaqueが言うには、何かが彼女を激怒させ、平手打ちをくらった。そのあと突然Sanger-Bettaqueを訪れたレポーターたちに言葉が行きかった。だがレポーターたちの期待にそう言葉ではなかった。彼女が言うには、「でも、私はマダムEamesから激情の名残を見てうれしかったわ。」

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