河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1720- トゥーランガリラ、シルヴァン・カンブルラン、読響2014.12.4

2014-12-06 00:43:23 | コンサート・オペラ

2014年12月4日(水)7:00pm サントリー

酒井健治 ブルーコンチェルト (世界初演) 19′

メシアン トゥーランガリラ交響曲 6、9、6、10、6、13、4、14、5、8
  ピアノ、アンジェラ・ヒューイット
  オンドマルトノ、シンシア・ミラー

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


この組み合わせによるトゥーランガリラは2006年に聴いていたく感銘した。いつまでたっても記憶に新しいもの。(2006.12.15 683-)

何度聴いても天才技の曲で、全知全能万能作曲家が一瞬のうちに創造したとしか思えない一筆書きのような名作だと思う。

読響は2006年のときとは少し異なり肩の力が抜け、カンブルランのもはや枯れたといってもいいような自由自在の芸術棒、音楽はシンプルに始まり、もつれ、それも最後には調和して清流となる。天才作品、至芸のパフォーマンスに賞賛を。

アチェルランド、リタルダンドを自由に駆使し歌い尽くすトゥーランガリラ、このあたりは2006年とはだいぶ違う。気張りが無い。
第1楽章のあたまは小さく始まります。なんかちっぽけな開始です。これは気張らない、スキル余裕ありあり、深い経験、指揮者との良好な繋がり、などなど、本当にみなさんリラックスしていないと出来ない表現です。ちっぽけな表現が最後には音の大伽藍になるということを皆さん熟知している、効果満点ということも含めて。
大演奏はこうゆう何でもないところから始まる。それにふさわしい作品。

音の響きが余計な情念を呼び起こすことが無く、共鳴する空気の色模様を感じさせてくれる。言葉の説明はいったん横に置き、無機のサウンド世界にはいりこむ。それが究極ではなく、その無機的な世界が始まりの始まりであって、何もなくなったところから創造を始める。なんと素晴らしい。
こういった響きの空間を描き出すのにカンブルランはジャストフィット。現代音楽の方向に引きずり込まれますね。この指揮者はこの作品を今のほうに引き寄せる、この前のエロイカもそうでした。時代の共感のような空気を皮膚感覚でとらえることのできる稀な指揮者なのだろう。

ソリストはお二方とも女性。
オンドマルトノはステージ最前方やや右に位置し、鍵盤と言いますか弾き方がわかるように客席方向にやや斜め向きにサービス配置。
その向かい左にピアノ、こちらはiPADかなにかよくわからないがとにかくデジタル楽譜。どうやってめくっているのか不明。
真ん中、前方で眺めているととにかく新鮮で面白かった。

カンブルランさん、もう一度、トゥーランガリラお願いしますね。
おわり




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