河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1171- リスト ファウスト交響曲 下野竜也 読響 第500回記念定期演奏会2011.1.22

2011-01-24 00:12:00 | インポート

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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
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2011年1月22日(土)サントリーホール
≪第500回記念定期演奏会≫(3部構成)
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●5:40pmプレトーク
池辺晋一郎、下野竜也
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●6:00pm
池辺晋一郎 多年生のプレリュード
 (2010年度読響委嘱作品、ワールドプレミエ)
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リスト ファウスト交響曲リスト
(リスト生誕200年記念)
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テノール、吉田浩之
男声合唱、新国立劇場合唱団
指揮、下野竜也
読売日本交響楽団
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●8:20-9:20pm
アフタートーク(今、オーケストラに何を求めるか)
読響理事長(司会):横田弘幸
音楽評論家:片山杜秀
作曲家:西村朗
ジャーナリスト:江川紹子
指揮者:下野竜也
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下野さんやるね。リストの第2楽章最高だった。
ファウスト交響曲
Ⅰファウスト:31分
Ⅱグレートヒェン:24分
Ⅲメフィストフェレス:24分
プログラムに書いてある予想タイミング65分は最初から間違いであるのはわかっているわけで、それにしてもかなり長めの演奏時間約80分。持っている音源で第1楽章が一番長いバレンボイムより1分ほど長め。第2楽章はショルティが長いがさらにそれよりも1分ほど、今夜の演奏は時間がかかった。
この日の演奏は押しなべてこくがあり濃い演奏で第2楽章に聴かれるように内容も非常に伴ったもので、最高の演奏でした。また飛ばすところは超高速で飛ばしており、自由な演奏、幅広い解釈、自信の裏付けがあるのでしょう。
曲の演奏に確固たる解釈の自信がなければ、演奏前に客席で池辺さんに肩をたたかれていた沼尻さんと同じように、大人数の人の心をつかむことはできません。彼らはいい棒振りですね。
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第2楽章は最初から最後まで静かな音楽。グレートヒェンという対象の描写というよりもファウストのマルガレーテに対する心象風景そのものといったところ。後ろの席のオヤジのように巨大いびきで眠りこけるか、はたまたのめり込むように聴き遂げることができるか、理解の分かれ目というにはあまりにもあほらしい話ではあるのだけれど、この楽章にのめり込むことにより第1楽章のかなり激しくも峻烈で高速なある意味若干違和感のあったところが、第2楽章を越えて第3楽章の前半のスケルッオとでもいえるパートでの極度に激しい音楽運動、そしてオルガン開始による第4楽章とでもいうべきところで合唱、テノールの圧倒的な音楽の盛り上がりを感じるとき、この音楽の演奏としてはあまりにも見事にバランスのとれた全体俯瞰がものの見事に指揮者によりなされていたことに興奮し、感動するというものなのだ。
つまり、第1楽章の若干違和感のある」と書いたのは、これから始まる音楽に向かって、いったい何に対してこのような物言いになってしまっているのだろう。今まで聴いたほかの演奏や肉体的感覚的にスピード感がありすぎるかもしれない、そのようなことに対する違和感なのであって、全てそのようなことを取り払って作品を消化し一から構築して演奏で作品表情を魅せてくれるような指揮者にこそ耳目を傾けるべきなのだと。
この楽章の味付けは大胆、細やかなルバート等によるものではなく、フレーズの素材を一つ一つ噛みしめ、まるでモザイクのような一見ぎこちないようなそのフレーズを間断なく丁寧に表現していくことにより、いつのまにかフレーズが重なりを持つようになり、進行する芸術ではあるのだが、通過した音符たちがずっと尾をひきながら重なり合って進み、室内楽的楽章が最後には大きな音の帯のあや模様となっていく、そのさまが異常に心的興奮となった。消えずに残るモザイク音楽のあや、変化(へんげ)。途中から、リストを聴いているのかベルリオーズを聴いているのか一瞬わからなくなったりしたが、やや乾いた響きの音楽進行はリストのものだ。この楽章は白眉の演奏だったと思います。ファウスト交響曲はこの日一回だけの演奏会のために用意されたもののようだが、もう一回やったとしてもこの日のような数珠のようにつながっていく演奏がはたしでできたのかどうか、未来仮定完了形でしかその疑いを言うことしかできない。
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第1楽章ファウストはタイトルそのものなので30分ぐらいかかってしまっても妥当だな、と思ったのは第2楽章グレートヒェンを聴いた後。ファウストの音楽は最初の不安定な低弦の導入の後すぐに、息せき切ったような激しい音楽が始まる。ソナタ形式というか、第1主題はそれだけでA、B、A´なのではないかと思う。それでは第2主題はどれなのと言われてもスコアもなくよくわからん。主題は第2までではなさそうだし、そもそもすべて根っこは一つの楽想だけのような気もするし。そんな感じで聴きすすむうちいつのまにか標題音楽のような雰囲気になっちまって。それでいいんだよね。
第1主題がこれだけ拡大されていればそのような規模の曲だと聴いているうちにわかってはくるのだが、それでも一瞬の弛緩もなく演奏を進めていける緊張感は並々ならぬものがある。標題音楽のようでもあるが一種形式感の引き締めがなければここまでもたないし、そのようないわば折衷的な工夫を色濃く感じさせるのもリストの音楽の特徴なのかもしれない。形式はレ・プレリュードのような強固さはあまり感じさせないが、響きや音の形そのものがなにか形式感を感じさせてくれるといった微妙なところがある。下野の作り出すやや強引ともいえるスピーディーな音響構築は、このようなリストの音楽構造に対して的確な角度の光の放射と言える。うまい具合の角度から放射された光で曲の構造を浮き彫りにするというか、強固な音楽として30分もたせるだけの曲だということを認識させてくれた。この第1楽章ファウストも見事でした。この棒振りは明らかに第2楽章のことを念頭に置きこの楽章を振りつくしたのだとあとで思いました。
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第2楽章に続く第3楽章は、ものによっては第3楽章、第4楽章と明確に分けて記載されているタイミング表記もある。いわゆる書き加え部分が有りの版です。その分け方で言うと第3楽章はスケルッオ的な動きということになると感じる。この激しさは第2楽章グレートヒェンと明確に際立った音の動きであり、さらには第1楽章ファウストの激しさを想起させることにもなるので、彼らの連関とは異なるメフィストフェレスが三角形の一角を担っている音楽であることに間違いはない。でも、それがスケルッオなら弱いかもしれない。
第4楽章はオルガンの響きに伴われ男声合唱とテノールによる神秘の合唱。リストの音響がドライというのはここらあたりに如実にあらわれていて、ほこりっぽいというか潤いを排したような響きがベルリオーズ的な響きと一線を画している。ここは10分強の締めくくりで、音楽としては大団円になるが、それもこれも第1楽章からの圧倒的な音の運びがあればこそで、ものの見事に決まった。
サントリーホールP席上席のさらに上の方に位置しているオルガン、そしてその横にテノールが立つ。聴衆の観位置によってはまさに天上からの光ということだ。だいたい個々の部分のテノールは絶叫のハイトーンの割にはでかく響く必要もなくちょうどいい位置具合だ。コンパクトな男声合唱はオーケストラの奥に最後の場面直前で動いて入ってくるが、オルガニスト、テノールも同じタイミングで入場。場面状況とよくあっていて違和感なし。その男声合唱はオーケストラの響きとよく合い、特にブラスの彷徨と邪魔し合わないできれいに響いておりました。
この神秘の合唱の部分は曲のつなぎの違和感がなくごく自然に受け入れることができる。題材のことが前提に有るのでそうなのかもしれないし、またリストの手腕ともとれるわけで、いずれにしてもよくこんな曲を作れるもんだ。
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前半の池辺さんの曲は委嘱作品でタイトルが奇妙な不自然さを感じさせる。この記念公演のために作られたもので、オーケストラにまんべんなく音を出させる前進性を意識して作ったもの。なんだかヒンデミットとラヴェルを混ぜ合わせたような響き。(昔の作曲家の名前が出てきてしまうのは現代の作曲家の悲劇なのかもしれないが、もっとたくさん曲を作れば、その行為がそのようなことを消去させる材料になるかもしれず、また前向き的な経験への積み重ねの一環ともなりいいと思うのだが、今の時代、作品は少ない。まるで作曲した作品がすべて公開の場で演奏されるべきものであると錯覚しているのかもしれない。だから推敲を重ねすぎて公開の場で演奏されはするが、それっきりだったらほかに何も演奏されるものがないという状態になってしまってもおかしくないわけだ。)
それでブラスの響きがヒンデミットなんかよりも明らかに陳腐で作為的。失礼だがリストの名演の後、この曲のことに思いをはせた人が何人ぐらいいただろうか。
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この日は第500回記念定期演奏会ということで3部構成でした。演奏会をはさんでプレトーク、アフタートークがありました。アフターの方は約1時間に及ぶものでめったにこのような機会はありません。結局全部で4時間近くかかりました。土曜の夜、いいではありませんか。
プレは池辺さんの自作のこと。
アフターは、≪今、オーケストラに何を求めるか≫という題で、司会者を交え5人で順番に話を進めていくもの。みなさんそれぞれ弁が立つ。
片山さんは落ち着かないが話し始めたらきりがない状態。西村さんはNHKにも割と頻繁に出ていて場馴れしており、一見ストイック、しゃべり始めたら結構高揚する。江川さんはテレビ通り、問題提起というよりも今日は回答を導き出さねばならない立場だ。もう一人この日の指揮者下野さん。最初は頭が空っぽといっていたけれど、あれだけの熱演をすればそうでしょう。神経を全部使ったはずですから。
司会の横田さんの言葉に反応したのか、途中からオーケストラの経済効率みたいなはなしになっちまって、それに反して文化芸術はといった話が出てくるのはお決まりなわけで、内容が偏ってしまった。でもみんな音楽を愛する気持ちに変わりはなく、そこらへんを確かめてめでたくトークも完了。いい夜でした。
おわり
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