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みなさんお元気ですか

雷鳴

2019年03月31日 | 日記


3月31日より、春分の末候「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす/らいだいはっせい)」となります。「乃」は「ようやく」の意味で、「雷鳴がよくやく聞こえだす時期」ということになります。大雪初候「閉塞成冬(へいそくしてふゆとなる)」で天地の気の疎通が途絶えて以来、一歩一歩と陽気が復活し、ついにこの時期に至って天地の気は再び触れ合い相呼応し、半ば寝ぼけまなこの生き物たちを揺り起こす号令のように雷鳴がとどろき始めます。生命が躍動する春、そしてその先に近づく夏への予兆でもあります。











雷は下からのぼる?ってほんとなの?




「雷乃発声」は、宝暦暦以来春分末候ですが、中国の宣明暦と、江戸前期の和暦・貞享暦では春分次候となっています。そして、宣明暦では、春分末候は「始電(はじめていなびかりす)」とされます。「電」または「電気」と言えば、現代の私たちは発電所で人為的に作り出すエネルギーのことになりますが、かつては「電」とは稲妻、雷光のことを意味しました。つまり「雷電」ワンセットで今私たちが言う雷という気象現象をあらわしました。

雷は、冬の不順な気候条件でも発生しますが、大半は気温の上昇で発生する積乱雲とともに出現します。三月末から四月初め頃から発生数が上昇し始め、八月の盛夏頃がピークなのはご存知のとおり。
雷は、上空の冷たい空気層に存在する氷の結晶やチリなどがこすれあい、分子間で大量の電荷分離が置きることで発生する、自然の放電現象です。地上の湿った空気が太陽により温められて上昇気流が生まれると、上空に大量の水分が供給され、雲の中で大量の氷粒か滞留してこすれあい、原子の周りを回る電子がはじき出され、マイナス電荷をもつ電子と、プラス電荷を持つ正イオンに分離(電離)します。正イオンは雲のより上層にたまり、電子は雲の下のほうに移動し、雲の中に電界が発生し、プラズマ気体状態を形成します。すると、雲の中で放電現象=稲光が発生し始めます。積乱雲の中で雲を透かしてピカピカと稲光が籠って光るのをごらんになったことがあるかと思います。この雲内放電は、雲の下部から上部へと上るかたち。しかし、積乱雲がより発達し、雲が低くたれこめはじめると、雲の下部の電子は、上部の正電荷に向かってではなく、地面の正電荷に向かって放電を始めるのです。これこそが私たちが見る、雲から枝状、あるいは血管のようにぎざぎざに光って落ちてくる稲妻です。
この稲妻が地上の建物や木などの物体にふれると「落雷」といわれるわけですが、「実は落雷は落ちるのではなく地上から昇っているのだ」という専門家の説明を聞いたことがないでしょうか。雷が上から下ではなく下から上?実際雷の光脈を見ていると、どう見ても雲から下に向かって放電の光が走っているようにしかみえません。どういうことでしょうか。目の錯覚?





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稲妻は上から下。でも落雷は昇雷なのです



稲妻が上(雲)から下(地表)に降りるのは錯覚でもなんでもありません。
発達して垂れ込めた雷雲の下部分にたまった電子(マイナス電荷)は、プラス電荷をもつ地面へと、槍のようにプラズマ放電の枝を盛んに突き出します。これが暗い雲からギザギザの光脈で降りてくる稲妻、稲光です。この稲妻の先端が中空にとどまるうちは美しい光の枝のように見えます。ところが、先端がさらに伸びて地面近くまで来たとき、劇的現象が起こります。地表の正電荷がこのプラズマの枝を捉えてつかむのです。その瞬間、大量の正電荷が光脈に流れ込みます。つまり電流が一気に流れるわけです。すると、光脈は目もくらむような激しい光と轟音を放つ光の柱に変貌します。これが落雷です。
電子によるプラズマ放電、私たちが目視している(目視できる)稲妻は上から下へと伸びていますが、落雷現象は下から上へと昇っている、ということになります。地表近くまで降りてきた電子が作ったプラズマ放電の「道脈」を、電流がかけ上るわけですね。落雷は大変な光量が一気に解き放たれる爆発的な現象で、衝撃もすさまじいので、生身の人間がまともに見ることはできないため、感覚的に「落ちてきた」と感じてしまうのです。
まさに天の気と地の気の織り成す、地球上でももっとも劇的なセッション「雷」=神鳴り。古代人がそこに神の存在を感じたのもよくわかりますよね。










雷は実りに欠かせないものをもたらしていた!




古くより「雷が多い年は豊作」とも言われ、雷の別名「稲妻」は、雷が稲の穂を実らせる「つま=夫」であると考えられたことから来ています。これは、稲が穂をつける夏から秋口にかけて盛んに落雷が発生することから生まれた信仰でもあり、また、熱帯がふるさとの稲には夏の高温と豊富な水が必要です。雷雲は気温が高いときによく発達し、田畑に雨をもたらすことから、稲穂の生育に雷は欠かせないものだ、と考えられていたことは分かります。
しかし、雷の作物への恵みはこれだけにとどまりません。園芸をやっている方ならば常識ですが、植物である農作物が育つために必要なのは水と光の他に、根を張った土壌から吸収される養分。中でも、窒素・リン酸・カリ(カリウム)は三大肥料と呼ばれて不可欠なものとされています。ところが窒素は、大気中の80%を占める主要要素であることからもわかるとおり、通常は気化している元素です。植物がこれを吸収するためには地中に固定化されなければならないのですが、この窒素固定をできる植物は、ランソウ類の他、根に根粒菌を共生させているマメ科植物などにかぎられています。このため、化学肥料がない時代には、マメ科であるレンゲやクローバーを休耕中に育て、すきこんで窒素を補給するしかありませんでした。現代でも有機農法で行われる施肥の方法です。
ところが、雷も実は窒素固定を担っていることがわかってきました。空気中で強い放電を行うと、空気中の窒素(N2)と酸素(O2)が結合し、窒素酸化物となるのです。これに雷雲がもたらす雨水(H2O)が溶けて硝酸(HNO3)となって地中に溶け込み、土中でさらに化合物となって根に吸収されます。マメ科植物や微生物、動物など、生物による地中への窒素固定は地球全体で、年間約1.8億トンといわれますが、なんと雷による自然放電によっても年間 0.4億トンもの窒素が地中固定されているといわれています。
都市にとっては厄介扱いしかされない雷ですが、米どころといわれる場所の多くは雷の多発地帯。雷もまた、私たちにとっては本来はありがたいものだったのです。









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3月24日(日)のつぶやき

2019年03月25日 | 日記
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桜季語

2019年03月24日 | 日記


春分を過ぎ、いよいよ春たけなわになってきました。多くの花が咲き、植物が芽生える本格的な春がやってきますが、本格的な春の訪れを告げる代表格が“桜”ですね。
桜の開花を毎年いまかいまかと待ちわびている方も多いと思いますが、“花の命は短くて”のフレーズがあるように、一年でたった一週間ほどの見ごろしかありません。
そこで今回は、桜にまつわる季語をご紹介。日本人にとって、限定・レア感・美しさに、いにしえから魅了されてきた理由とは? 桜を花と呼ぶのはなぜ?など桜づくしで調べてみました。




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「桜」の発祥と「花」と呼ぶ理由




古語では「桜」のことを「花」と呼んでいます。花はたくさんあるのに、なぜ?と思われることでしょう。けれども、『古今和歌集』の時代からこう呼ばれてきたのです。
この場合の桜は「山桜」を指しますが、平安時代前には、「花」は「梅」のことでした。平安時代、時の“桓武天皇”が山桜を御殿に植えられたのが始まりといわれ、その後“蘇我天皇”のころから観桜の宴が行われたといわれています。次第に「花」は「桜」という観念が定着していきました。

一般の庶民が桜を鑑賞できるようになったのは江戸時代から。17世紀前半に江戸に多くの桜が植えられたそうです。中でも、山桜系統の大島桜と彼岸桜の交配種「染井吉野」は、駒込の植木屋“駒込染井”が売りだして一大ブームとなり、明治以降全国に広がっていったそう。今でも駒込の駅前には、“染井吉野発祥の里”の記念碑が立てられています。
その後、染井吉野は欧米諸国にわたり、“ジャパニーズ・チェリー”として親しまれていますし、桜は花の鑑賞以外にも、樹皮を使った工芸品や葉の塩漬けなど、余すことなく利用されています。
また、世界的に見ても日本ほど多くの種類の桜を育てる風土はないそうですよ。ちなみに、現在の桜の種類は600種ほどあるそうです。











最初から最後まで美しい桜の季語

桜の開花は毎年違いますが、近年は全体的に早くなっているようですね。しかし、花が咲いているだけが桜ではありません。実は最初から最後まで味わい尽くせるのが桜なのです。そんな桜の季語をリレーでお送りしましょう。

冬の間眠っていた「桜の芽」も、気温の上昇とともに次第に膨らんできます。日ごと大きくなる芽は蕾(つぼみ)となり、花が咲く前から枝全体がピンク色に。

そして開花。初めて咲いた桜を「初桜」、「初花」と呼び特別な瞬間を喜びます。
桜はそれぞれのシチュエーションで楽しみます。朝に見る「朝桜」、夕方に見る「夕桜」、夜に見る「夜桜」など。

桜の種類はどうでしょうか。
お彼岸頃に咲く「彼岸桜」、姿が美しい「枝垂れ桜」、ソメイヨシノより一足遅い「八重桜」、奈良の吉野山が代表の「山桜」。時期や場所を選んで鑑賞できるのも日本ならではですね。

いよいよ七分咲きになった辺りで桜は見ごろとなり「花盛り」を迎えます。まるで周辺が明るくなったような「花明り」、空との境が見えなくなるような「花朧(おぼろ)」、花を濡らす「花の雨」。「花の雲」は、堤などに連なる桜が雲のようだという意味で、上から見たドローン映像のよう。

桜には青空が似合いますが、時に曇りばかり続くこともあります。それを「花曇(ぐもり)」、咲いてから気温が低く散るのを遅らせる「花冷え」、「養花天(ようかてん)」なども。
さて、桜の楽しみといえば「花見」ですね。
「花筵(むしろ)」を敷き、お洒落な服「花衣(ごろも)」を着て行う「花の宴(えん)」で最高潮を迎え、ついに今年の桜ともお別れです。

「散る桜」、「飛花」、「落花」、「花吹雪」。散り際、散ったあとまで美しいのが桜ですが、散った花びらを「花の屑(くず)」、水に浮かんだ花びらを「花筏(いかだ)」と呼び、最後まで愛でるのです。
青森の弘前公園の花筏は、一生に一度は見たい絶景といわれています。






花筏(はないかだ)
これで終わりでしょうか? いいえ、花びらの散ったあと散るものがあります。
「桜蘂(しべ)降る」は、桜の萼(がく)が散り地面を赤く染めること。最後まで桜をいとおしむ感性が生み出した言葉ですね。

今回ご紹介した季語は桜の代表的な季語に過ぎません。けれども、桜に対する日本人の美意識や、桜を「花」と呼ぶにふさわしい絶対王者の存在感が桜なのではないでしょうか。

──言葉や漢字の成り立ちを知ることは、日常生活に膨らみを持たせてくれるはず。

桜との出会いは一期一会といわれています。過去には、たった3日で散った桜や、10日以上散らない桜もありました。どんなシチュエーションで見るのか、誰と観るのか、今年の、この時の桜を、どうか堪能できますように。



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3月23日(土)のつぶやき

2019年03月24日 | 日記
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3月22日(金)のつぶやき

2019年03月23日 | 日記
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3月21日(木)のつぶやき

2019年03月22日 | 日記
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3月20日(水)のつぶやき

2019年03月21日 | 日記
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歌人

2019年03月18日 | 日記


色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける
精霊の日。西洋の妖精の雰囲気が漂いますが、「せいれい」ではなく、「しょうりょう」の日と読みます。となると、東洋的な背景を感じますね。実はこの記念日の由来は、和歌と関係があります。小野小町(おののこまち)、和泉式部(いずみしきぶ)、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)。3月18日が、この偉大なる歌人たちの命日と伝えられていることが発端で、「精霊の日」の記念日となったようです。和歌と精霊の関係を紐解いてみましょう。



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彼岸の入りと「夢の歌人」



冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
柿本人麻呂は飛鳥時代、小野小町と和泉式部は平安時代の歌人。実際には、三人の正確な忌日は未詳で、3月18日はあくまで一部の伝承です。けれども、春の彼岸の入りはちょうどこの頃。中世は盛んに和歌が詠まれ、次々に新しい仏教思想が発展した時代。死者の霊魂や祖霊、そして歌を紡ぐ言霊への畏敬は、私たちには想像もつかないほど、重いものだったことでしょう。そんな思いが受け継がれ、春の濃厚な気配が強まるこの頃に、いつしか「精霊の日」が設けられたのかもしれません。

そんな「精霊記念日」にふさわしく、小野小町はよく「夢の歌人」と言われています。花ひらく貴族文化で活躍した、六歌仙や三十六歌仙の一人でもあった才女です。意外にわかりやすい歌も多いので、黙読ではなく、ぜひ声に出してうたいあげてみてください。言霊が立ち上がることでしょう。


・花の色はうつりにけりないたづらに我身(わがみ)よにふるながめせしまに

・思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを

・夢路には足も休めず通へども現(うつつ)に一目見しごとはあらず

・色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける

・瑠璃の地と人も見つべし我が床は涙の玉と敷きに敷ければ


百人一首の中の有名な一首、夢をうたう和歌、仏教を詠んだもの。小町は華麗な技巧とともに情熱的な恋愛をうたいあげ、和歌に新しい風を起こしました。絶世の美女とされて伝説も多く、謡曲、浄瑠璃、御伽草子などで物語化されています。作品のみならず小野小町自身も、夢と現が揺らめく世界に今も生きているのですね。









恋多き和泉式部、歌聖なる柿本人麻呂



もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行方知らずも
一方、和泉式部(976~1036頃)も宮中の女房として活躍した、いわばキャリアウーマン歌人です。華やかな恋愛を繰り返し、1500余首の歌の他、『和泉式部日記』 を遺しました。大胆でストレートな表現の人ですね。


・春霞立つや遅きと山河の岩間をくぐる音聞こゆなり

・あらざらむこの世の外の思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな

・冥(くら)きより冥き道にぞ入(い)りぬべきはるかに照らせ山の端(は)の月



最後に、黒一点の柿本人麻呂です。『万葉集』の代表的歌人であり、三十六歌仙の一人で、持統・文武両天皇に仕えました。小野小町や和泉式部とは作風はガラリと変わり、重厚で雄大な世界観です。その一生には謎の部分も多いようですが、後世、歌聖とあがめられました。国家の中央集権体制が強化の中の儀礼的なシーンの歌も多く、文字通り「宮仕え」を感じさせる作品群ですね。



・東(ひむかし)の 野には炎(かげろひ)のたつ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ

・近江(あふみ)の海夕波千鳥汝(な)が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

・もののふの八十(やそ)宇治川の網代木(あじろぎ)にいさよふ波の行方知らずも



一千数百年前に詠まれた歌の数々。あえて当時の言葉遣いのまま、声に出して詠んでみてください。中世の精霊へのタイムスリップで、新たな発見を楽しめることでしょう。

















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3月17日(日)のつぶやき

2019年03月18日 | 日記
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春の空へ

2019年03月17日 | 日記


寒さのなかに感じた暖かさをいつのまにかあたりまえにして、寒さのぶり返しを警戒するようになっていませんか? 今日から啓蟄の末候「菜虫化蝶」です。春の気配に這いでてきた虫も成長を重ねています。やがて蝶となり春の空に羽ばたきます。春の日ざしに厚いコートやダウンを脱げば、心とからだも開かれ放たれて新しい自分になりたい! そんな気持ちがわいてきます。虫に負けずに私たちも春の空へ飛び立ってみませんか。











ギャップが大きすぎます! 菜虫から蝶へ



菜虫とは大根、蕪、キャベツやブロッコリーという野菜でおなじみのアブラナ科の植物を食べる虫をいいます。青虫とよばれるのは身体が葉っぱと同じ緑色をしているからでしょう。もりもりと葉っぱを食べてサナギになるとやがてモンシロチョウとなります。華麗なる変身です。
蝶にはたくさんの種類がありますが、それぞれ食べる植物は決まっているということです。同じアゲハチョウの仲間でもアゲハはミカンなどの柑橘類、キアゲハはセリ科のニンジンというように食べ物が違うということです。もし「出会いたいわ」という蝶がありましたら、その蝶がたべる植物を調べてそれが生えているところで待っていれば、出会えるチャンスに恵まれる確率がぐっとあがりそうですよ。
蝶はもう一つ「夢虫」という名前ももっています。虫からの変身ぶりが夢のようだからでしょうか。謎めいた華やかさを喩えるのにつかわれるのもわかりますね。










菜の葉にとまれ! 口ずさんだ歌の景色は晴れ? それとも曇り?



ちょうちょが飛びかう菜の花畑は、都会に育っても口ずさんだ歌とともに郷愁を誘われほのぼのとした気分になります。青空と菜の花の黄色が春の明るさを里山の景色にもたらして、心を浮き立たせてくれるからかもしれません。そんな情景を与謝蕪村は、

「菜の花や月は東に日は西に」

と詠んでいます。菜の花といえばこの季節誰でもが思い出す俳句です。菜の花の咲く時期は晴れてばかりではありません。曇りの日には「菜の花曇り」という素敵なことばがあてられており、曇りでも冬とは違う明るさを感じます。

「窓低し菜の花明かり夕曇り」

夏目漱石の句です。明治の文豪の目がとらえる陰翳の美しさが読みとれます。
春になるとどこにでも咲いている菜の花は季節を知らせてくれるだけでなく、畑の土を消毒する殺菌する成分をもっているそうです。他にも大地を守り育てる力を持っている菜の花は土地改良にも使われています。菜の花畑は次の作物のための準備でもあったんですね。





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春の山は笑うんです! 知っていました?



春の山のようすは「笑う」と形容されます。冬を越した木々に若い芽が吹き、湧いてくる霞がかかった山はふんわりと笑みをこぼしているように見えるのでしょうか。春を待っていた私たちの心を託すような素敵な表現だと思いませんか? 冬の間眠っていた山が立春を過ぎて暖かい風をうけ、鳥が囀り、雪解けの水が流れだし、草木が萌えはじめたまさにこの時、大きく動き出す山の合図のようにも感じます。夕刻に家路をたどる時、日暮れの空の変わりゆくさまを楽しむことができます。さあ次は春分です。春が存分に力を発揮するまで、歩みはゆっくりですがもう少しの辛抱ですよ。













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3月14日(木)のつぶやき

2019年03月15日 | 日記
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千住博展

2019年03月14日 | 日記


高野山金剛峯寺襖絵 《断崖図》(部分)2018年 高野山金剛峯寺蔵

一雨ごとに春が歩を進めるこの頃、山はまだ緑をまとわずその姿をあらわにしています。現在開催中の「千住博展」(そごう美術館)では、高野山金剛峰寺に奉納されるために描かれた襖絵を一足早く鑑賞できます。展覧会初日、千住博本人のギャラリートークで、「空海から授けられた」と語る新たな境地に出会うことができる展覧会です。画家として初めての個展会場だったという縁の深いそごう美術館での大規模個展、美術ファンのみならず必見です!





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画業40年、空海との対話



高野山金剛峯寺襖絵 《瀧図》(部分)2018年 高野山金剛峯寺蔵

千住博は1958年東京生まれ、東京藝術大学・大学院で日本画を学び、画家の道へ。1995年、第46回ヴェネツィア・ビエンナーレにて東洋人としてはじめて名誉賞を受賞し、その後もさまざまな賞を受賞、国内外問わず活躍の幅を広げてきました。現在も精力的に制作活動を行い、京都造形芸術大学大学院教授として後世の育成にも尽力しています。千住博と言えば「瀧」シリーズが印象深い方が多いと思いますが、今回の展覧会でも鑑賞することができます。スタイリッシュな画風は、今回の金剛峰寺襖絵を描くにあたり「和紙」で崖の表情を描くという新たな表現につながりました。千住は語ります。
「3.11という大震災があって、芸術というものは無力なんじゃないか?…略…ある日、傷ついた和紙がクチャクチャな状態でアトリエの片隅に転がっていて、その傷を見ていたら崖が見えてきた。傷を直視する中にこそ本当の美は在る。それは今の日本に限らず世界中の人達にとって、とても大切な発想だし、メッセージだと思うのです。」(公式パンフレットより抜粋)
そして、襖絵を描くにあたり空海との対話のために様々な本を読み、室戸岬に向かったあとに気づいたことは…
「個性などどうでもいい。…略…絵がなりたいように進めれば作品はできる。そんな大切なメッセージを、空海は僕に授けてくれた。」(公式パンフレットより抜粋)
展覧会初日に語られた印象的な言葉は「絵画はまだまだ進化する」というものでした。





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初期の作品に見られる、陰翳礼讃



《朝》 1994年 日本空港ビルデング株式会社蔵

東京生まれ東京育ちらしく「街を描くこと」がスタートだったという作品世界が、描くごとに町から離れていくのは、内面の変化と関係があるのでしょうか。初期の作品に今回出品されている《朝》 (1994年日本空港ビルデング株式会社蔵)があります。陰影や余白、日本画ならではの岩絵の具の特徴を生かした色彩が美しい作品は、「陰翳礼讃」という言葉を思い出させます。本展ではこのほかに、《湖畔に蜻蛉図》、《湖畔初秋図》(いずれも1993年作)が出品されています。この六曲一双の屏風絵は、同じ湖畔の風景ですが、見る者が物語を紡げるような作品です。《朝》と同様に、陰影が効果的に描かれていて、男女を対称的に配置しているのも面白い作品ですね。




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受賞から20年後、もう一度ヴェネツィアへ



《龍神Ⅰ・Ⅱ》2015年 軽井沢千住博美術館蔵(2015年ヴェネツィア・ビエンナーレの展示風景)

ヴェネツィア・ビエンナーレで名誉賞を受賞してからちょうど20年後の2015年に《龍神Ⅰ・Ⅱ》がヴェネツィア・ビエンナーレの特別展示として出品されました。蛍光塗料を用いて、明るいところでは白い瀧が暗闇でブラックライトを当てると青く輝く、幻想的な作品は昼夜の変化を表現したと言います。夜の海が真っ暗中で迫ってくるように、ブラックライトで青く輝く瀧は吸い込まれていくような錯覚さえ感じます。こちらの作品だけ写真撮影が許可されていますので、記念写真を写す方が多いようですが、昼の白い瀧の前で撮影することをお勧めします。ブラックライトの時には人は影になって写りますので気を付けて下さいね。
作家の足跡を振り返るようにご紹介してきました。よくご存じの方も、日本画や千住博の作品に触れたことがなかった方も、楽しめる展示内容になっています。21世紀ならではの「日本の美」を堪能してください!





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概要・その他

会期 2019年3月2日(土)~4月14日(日)
開場 そごう美術館(そごう横浜店6階)
開館時間 午前10時~午後8時
学芸員によるギャラリートーク 3月16日(土)午後2時から






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3月11日(月)のつぶやき

2019年03月12日 | 日記
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牡丹緋桃

2019年03月11日 | 日記


3月10日より啓蟄の次候「桃始笑」。モモの花が咲き始める、という意味です。でも3月前半というとモモというよりはまだ梅の盛りの季節で、一般的なモモの花のシーズンは、ソメイヨシノよりやや早い程度で3月下旬から。ですが早咲き系の桃(矢口桃や寒緋桃など)はすでに咲き始めています。寒緋桃は江戸時代にはすでに作出されており、当時は花の形や色から「牡丹緋桃」という艶やかな名で呼ばれていました。





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本朝七十二候にひっそりとこめられた編纂者の仕掛けとは?



「桃始笑」は、宝暦の改暦から採用され、先立つ貞享暦の七十二候では啓蟄次候は「寒雨間熟(かんうしばしあつし)」、冬の氷雨が暖かい春の雨に変わり始める頃としています。そして貞享暦では桃を、春分の末候(3月30日頃から)に「桜始開桃始笑(さくらはじめてひらきももはじめてわらう)」として、やや詰め込み気味に入れ込んでいます。季節的には貞享暦のほうが実態に即していますし、渋川春海らしい正確さだといえますが、いかにも強引でやや異様なため目を引きます。桜と並べて桃を無理めに挿入したのには事情がありました。

本朝七十二候には、元祖中国の宣明暦にはないある仕掛けが施されています。五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)に関わる代表的な植物をひとつずつ、七十二候の中にはめ込んだのです。人日(一月七日)の節句というと七草粥。その筆頭にあるセリが「芹乃栄(せりすなわちさかう)」に、上巳(桃の節句)からは桃が「桜始開桃始笑」「桃始笑」として。端午の節句は菖蒲湯の風習から「菖蒲華(あやめはなさく)」がありますね。七夕の節句は七夕飾りの竹が「竹笋生(たけのこしょうず)」。重陽(菊の節句)の節句からは菊が「菊花開(きくのはなひらく)」。江戸初期、江戸幕府が五節句を大切な日として祝うように御触れを出したことで、貞享暦編纂者・渋川春海が知恵を絞って入れたのでしょう(ちなみに中国の七十二候では、五節句の植物のうち二つしか入っていません)。こういう細やかでマニアックなこだわりはいかにも日本人らしく、昔から日本人気質って変わらないのだなあと楽しくなりませんか?













新暦と旧暦と雑節と節気と節句と…ややこしいので整理してみましょう




節句と暦の話になりましたので、このところ各所で混乱した記載が見られる伝統的な風習と現代の暦の関係、新暦と旧暦のちがいなどについて、あらためて整理してみたいと思います。
ご存知のとおり、明治政府が西欧諸国に倣い新暦(グレゴリオ暦)を採用するまで、日本では旧暦と呼ばれる別の暦を使っていました。月の満ち欠け(朔望)を暦の基本とした太陰暦、というように説明されている場合もありますが、より正確には日付け、日取りは太陰暦ですが、それを調整する太陽暦に基づく暦日が設けられ、これを目安として使う「太陽太陰暦」でした。
五節句は陰暦の日づけに添って設定された固定祝日(ただし、古来は上巳は3月の最初の巳の日、端午は5月の最初の午の日でした)ですので、太陽の運行を基にした七十二候とはずれが生じることもあるため、七十二候の中で五節句の時期ににぴたりとあてはまる場所に五つの植物を配置することはできていません。端午の菖蒲と七夕の竹とは、順番すら逆になっています。旧暦の日付けをそのまま新暦の日付に機械的に移植した五節句は、旧暦の時代とずれが生じ、特に七夕などは、本来は夏の晴天の頃であったのに、新暦になってからは梅雨の真っ只中になってしまい、毎年雨で彦星と織姫は会えずじまいなんてことも起きていますよね。
このような伝統的な風習と現代生活様式とのずれ、混乱は、たとえば旧正月についても勘違いが起きています。さる2月はいわゆる「春節」で、中国や台湾など東アジアの諸国で派手に「新年」が祝われました。新暦の正月が盛大に祝われる日本はアジアでは例外で、他のアジア諸国では春節こそが旧暦の正月なのだ、と盛んに説明されています。そのためか立春の日が昔の正月で、節分が大晦日に当たる、と勘違いしている人も多く、またそのように説明しているメディアもあったりします。でもこれは間違いです。先述したとおり旧暦の日付け取りは月の満ち欠けと合致しており、各月の一日(朔日)は必ず新月になります。正月は、立春にもっとも近い(立春前でも立春後でも)新月の日が一月朔日、つまり元旦になります。

月の満ち欠けの周期(新月から次の新月まで)の平均は29.53日で、長いときは29.8日、短いときは29.3日になります。このため、陰暦では一ヶ月の日にちに30日(大の月)と29日(小の月)を設定して、調節します。しかしこれでも問題が出てきます。季節、つまり気温や気候自体は、北回帰線と南回帰線の間で移動する太陽によって決まってきますが、この太陽の周期は約365日。陰暦の暦では一年(12ヶ月)は354日で、11日短くなります。そこで調節のために三年に一度閏月が設けられました。ということは、太陰暦ですと、その年により季節の移り変わりはかなり前後していて、閏月のある年はほとんど一ヶ月ずれてしまっていました。だからこそ、季節変化と合致した不変の二十四節気や雑節が重要視されたのです。二十四節気(それをさらに三分割した七十二候も)は、夏至と冬至、そして春分と秋分を基本軸にした太陽暦で、雑節もその二十四節気をもとにして設定されます。ご存知節分は四立(立春・立夏・立秋・立冬)の前日。お彼岸は春分と秋分の日の前後七日間。八十八夜は立春から八十八日目。土用は立春、立夏、立秋、立冬の前18日間。その他にも社日、半夏生、二百十日など、いくつもの雑節が設けられ、農作業などの労働の目安として重要視されました。

ともすれば正月や盂蘭盆など、新暦と旧暦がずれるのがお決まりだと勘違いをされがちですが、雑節や二十四節気はそのまま新暦と一致して使用できるものなのです。逆に言うとだからこそ、これらはかつてのように人々の生活に必要不可欠なものではなくなったために廃れてしまった、といえるでしょう。何にせよ、一般的にはたとえばひな祭りとお彼岸と土用の丑とお盆は、同じ昔からの風習と思い込まれているので、ひな祭りとお盆は昔と今ではずれてるけど、お彼岸と土用はズレてないなんて、確かにややこしいですよね。












孫悟空が食べた不老不死のモモが出回っている?




桃に話を戻しましょう。モモ(Amygdalus persica)はバラ科モモ属の落葉小高木。モモを「もも」と呼ぶのは、和語系数詞(いち、に、さん、し、ご…と数える漢語系数詞ではなくひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ…と数える日本古来の数え方)で百のことを「もも」「ももつ」と呼びます。鈴なりにたくさんの実がなるさまから「もも」と名づけられたとする説があります。もっとも、他にも鈴なりに実がなる木は多くありますし、なぜモモが「もも(百)の木」として選ばれたのか説明がつかないように感じますが・・・。
古代中国では4000年以上前の先史時代から今の甘粛省(かんしゅくしょう)や陝西省(せんせいしょう)の付近で栽培されていたことがわかっています。古くから陽気に満ちた神仙の食べ物といわれ、「神農本草経」(2~3世紀)には、モモの核、花、実、また枝で作った人形や杖などが、破邪・悪鬼払いの魔力があると記述されています。明代に成立した幻想活劇「西遊記」の中でも、モモは孫悟空が食べて不老不死となる天宮の蟠桃園の桃として登場します。この蟠桃園には三千六百本のモモの木が植えられ、入ってもっとも手前の千二百本は三千年に一度実り、実を食べると無病の仙人となれる。その奥の千二百は六千年に一度実り、食べると体は年老いることなく不老となる。もっとも奥に生える千二百本は九千年に一度実り、食べると天地日月と齢を同じとする=不死となる、というもの。この蟠桃園のモモは、蟠桃(ばんとう)として知られるモモである、といわれています。バントウ(var. platycarpa)は、押しつぶしたような扁平なモモで、座禅桃、平桃などの別名もあります。栽培も難しく日持ちも悪いのですが、味は濃厚で果肉がきめ細かで美味しく、最近ではドーナツピーチ、フラットピーチなどの名で、ヨーロッパのスペインなどでも栽培されています。日本では、福島県や和歌山県でわずかに生産されていて、「楊貴妃」という名で流通しているようです。
大陸産のモモが日本に渡来してきたのは弥生時代後期ごろといわれ、この時代からモモのタネが遺跡から各地で出土しますが、それ以前にも小型の在来種があったようです。渡来したモモは、食べることよりも魔よけのために使われていたようで、法隆寺金堂の柱の上部にうがたれた窪みに、モモの核が40個収納されていたのが発見されたり、中世の水堀、水路、井戸などの水溝遺跡からモモの種子が発見されています。悪鬼の侵入を防いだり、童話「桃太郎」の冒頭で、モモが川を流れてくるのも、モモに水を腐敗や悪い気から守り浄化するという信仰があり、実際にモモを種子を水に沈めたり、モモの実を川に流す風習があったためだろうと考えられます。
江戸時代の元禄期頃になると花の美しさから、花を観賞するための「花桃」の園芸品種が登場します。立性系品種では一株に赤白の八重咲きをする「源平」、ひな祭りで室内に飾る切花の定番で八重咲きピンクの「矢口」、花弁がキクの花のように細かく切れ込んだ「菊」、矮性品種の「寿星桃(あめんどう)」、タネから一~二年で開花する一才物品種、豪華な枝垂れ系品種などバリエーションも多く、現代でも庭園や公園、街路樹としてさまざな桃の品種が植栽されています。
モモが食用のフルーツとして一般的に食べられるようになったのは二十世紀に入ってから。近年では各地にモモの木を多く植えて観光地化している地域もありますが、モモは樹齢が15~20年と短い上に忌地(いやち)を起こしやすく、桃園の名所や産地も、変遷が激しい傾向があります。現代では山梨、福島、長野などが産地として知られていますが、もしかしたらその産地も移動することになるかもしれません。














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季語

2019年03月11日 | 日記


3月に入り、雨の日が多くなりましたね。春は気温が上がるにつれて水蒸気が発生し、遠くがぼんやり見える「霞」が風物詩のひとつ。気温の寒暖差があるのもこの時季の特徴です。

今は冬眠していた昆虫などが動き出す二十四節季の「啓蟄」ですが、同時に多くの植物が芽吹き出す明るい季節であり、日も伸びて、晴れた日には太陽がまぶしく、心地の良い風も吹いてきます。
さて、「風光る」という春の季語はご存じでしょうか? これは夏の「風薫る」と類似した言葉なのですが、そもそも風は光りませんよね(笑)。
そこで今回は、なぜこのように表現するのか、ほかにも似たような言葉がないのかなどを調べてみました。











「春風」と「風光る」の違いとは?

まず、春の風とはどのようなイメージでしょうか? 言葉から想像すると、暖かくて、やさしくて、ほんわかする、そんな感じですね。四字熟語の「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」は、春の風が穏やかに吹く様子から転じ、性格や態度が温和な人を指す言葉ですが、やはり春の風は“気温の暖かさ”がキーワードかもしれません。
一方、「風光る」の暖かさは「春風」よりも少ないイメージはありませんか? 「光る」という動詞には、『光を反射し輝く』という意味があります。つまり、風は自ら光るのではなく、太陽の光に輝いて見える、ということなのです。

では、どんなときに「風は光る」のでしょうか?
そもそも「風光る」という季語は、江戸時代から使われ始め、明治時代に盛んになったそうで、現代でも好んで使われています。いつ使われるのかは限定できませんが、立春を過ぎた2月後半頃~3月頃になると寒気が弱まり、南からの風「東風(こち)」や「春一番」が吹くようになります。南風は同時に湿った空気を含んでいるので、今頃のような「春の雨」を降らせながら、また晴れた日には「うららかな」日和と、寒暖を繰り返しながら本格的な春になっていくのです。日差しは徐々に強くなっていき、鋭かった風もやや弱まり、風も光ってみえるようだ、という感覚的な季語の一つなのです。






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「名詞」+「動詞」のユニークな春の季語

「風光る」は春を感覚的にとらえた季語でしたが、春の季語には、ほかにもユニークな季語がたくさんあります。なかでも「名詞」+「動詞」の代表的な季語をご紹介しましょう。

まだありそうな「冴返る(さえかえる)」
いったん暖かくなってから、また寒さが戻ることをいいます。「冴」は、冬の季語「冴ゆ」で、透き通るような寒さ。それが返ってきたような春の寒さのことで、暖かさに慣れた身にはこたえそう。人は甘い環境にすぐになびいてしまいますからね、ご注意を!

いくらなんでも「山笑ふ(やまわらう)」
「風光る」同様、山が笑う訳ないとお思いでしょう。が、山は笑うんです(笑)。春になると山の木々が芽吹き、花が咲き、明るく生気に満ちてきます。その山の様子を擬人化したのが「山笑ふ」。ユーモアがあり洒落た感じがありますよね。
『臥遊録』の「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く」が語源で、夏は「山滴る」、秋は「山粧ふ」、冬は「山眠る」として使われています。

まさかの語源!? 「下萌え(したもえ)」
季語では「下萌」と書いて(したもえ)と読みますが、類語に「草萌(くさもえ)」や「草青む」などもあります。早春の冬枯れした大地からわずかに草の芽が萌えだすと、庭も野原も春の訪れを感じます。草萌より、大地の息吹に焦点をあてた季語ですが、どこかで聞いたことがありませんか? そう、アニメの『萌え~~!!』は、これが語源なんだとか!?





芽吹き山













小さな「春」を見つけよう!

いかがでしたか?一見しただけでは分からない言葉も、まさかの意味がありましたね。──言葉や漢字の成り立ちを知ることは、日常生活に膨らみを持たせてくれるはず。

目に見えない風や、四季の折々に言葉を持たせているのが歳時記です。ただ単にカレンダー通りの生活を送るのではなく、日々の生活に合間に少し意識するだけで季節の移ろいを感じることができそうですね。まずは足元にある小さな植物から見つけてみませんか?





犬ふぐり















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