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みなさんお元気ですか

霜止出苗(しもやみてなえいずる)

2019年04月30日 | 日記


キジバト


夜間の降霜もなくなり、南方系の植物である稲の種子も芽ぐみ、早苗がすくすくと育ち始める頃。そんなわかりやすい和暦七十二候に比べ、中国宣明暦の七十二候では、穀雨次候は「鳴鳩払其羽(めいきゅうそのはねをはらう)」。「鳴鳩」、これが何の鳥なのかが問題です。古典に登場する鳥の種類の同定は一筋縄ではいきません。まして頭に何かの文字がつく「鳩」ほど、ややこしい難物はなかなかないのです。正体にせまってみましょう。




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奥が深いハト沼。身近なハトをおさらい



おなじみの鳩といえば…
近年の東京の平地では、終霜(しゅうそう・そのシーズン最後の降霜)の時期は早い時期で2月上旬から、遅くとも3月いっぱい、というあたりですが、東京の終霜の記録を見ますと、明治から大正にかけての終霜は4月中の年がもっとも多く(大正15年の終霜は何と5月16日でした)。この時期に「「霜止出苗」を置いた七十二候の設定は、温暖化がすすむ以前は正確だったことがわかります。晩春、冬の名残である霜はもはやなくなり、近づく「立夏」つまり夏の到来に向けて、春に目覚めた生き物たちも、本格的に活動のギアがあがってきます。
南から渡ってきた夏鳥のツバメもすでに巣がけをはじめていますし、私たちのもっとも身近にいるレギュラー野鳥のビッグ3、カラス、スズメ、ハトも、こぞって晩春から初夏にかけて繁殖期に入ります。カラスのオスたちはメスの獲得バトルで明け方から大騒ぎ。やがて、つがいになると営巣して子育てを始めます。スズメも、雛の餌となる虫が増えだす頃に営巣して繁殖を始めます。ハトはというと、実はピジョンミルクという育雛用の食べ物を与える特殊能力がオスにもメスにも備わっているため周年繁殖することが出来るのですが、それでもやはりこの時期は繁殖のピークに当たります。
普通に私たちが見かけるハトは、首元がメタリックな虹色で、胴体と頭が青灰色、羽に白いカラーがあらわれるいわゆるドバト(正しくはカワラバト Columba livia) と、うっすらと葡萄色がかった体色に、背中と羽に複雑なウロコ状のキジのような模様が入るキジバト(雉鳩 ヤマバトとも Streptopelia orientalis)の二種です。このうちキジバトは正真正銘の日本在来固有種で、日本のハトの代表選手と言っていいでしょう。一方キジバトよりも都会では数が多いドバトは、大陸のカワラバトが家畜化され再野生化したもの。ドバトという名前は「堂鳩」で、お堂(寺院)によく見かけることからそう呼ばれるようになったという説があります。日露戦争時代に軍の伝令用の伝書鳩として盛んに利用されて以来、野生化したものが大幅に増えたようです。

埼玉県東南部(越谷市、吉川市)と千葉県北西部(野田市、流山市、松戸市)と茨城県南東部(常総市・坂東市)の元荒川流域にわずかにしか生息しないのがシラコバト(白子鳩 Streptopelia decaocto)。しかしこのハト、天然記念物に指定されているため生粋の在来種と思われがちですが、かなり怪しく、江戸時代に輸入された外来種の可能性が濃厚です。全身が白褐色で、首に黒い首輪のようなポイントカラーが入ります。江戸時代には狩猟用のタカの餌にされ、このためお狩場のあった越谷市付近の数が多く、明治の狩猟解禁での乱獲の中で、唯一この近辺のみが生き残ったようです。このシラコバト、首の黒い模様から「ジュズカケバト」(数珠掛け鳩)とも言われていますが、この別名から後にある混乱が生じました。





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「鳴鳩払其羽」再考察。ジュズカケバトの正体は?



シラコバト
「鳴鳩払其羽(めいきゅうそのはねをはらう)」。昨年のコラムでもこの候についてふれました。春木煥光の「七十二候鳥獣虫魚草木略解」ではこの「鳴鳩」はカッコウのことである、と解説しています。中国の古典博物学では、鳩には「五鳩」、つまり祝鳩、雎鳩、鳲鳩、爽鳩、鶻鳩がある、とします。雎鳩がワシタカ類のミサゴ、鳲鳩がカッコウであるとほぼわかっていますがあとの三種には諸説があり、はっきりわかっていないのです。中国古典で「鳩」というとき、それは今で言うハト科に限定されず、
・中型~準大型
・猛禽・水鳥ではない
・つがいの仲がよい
といった条件に合致する鳥に、広くあてはめられていたようなのです。
鳲鳩=カッコウは、別名「鳴鳩」とも言われます。誰もが知るあの高らかな歌声は、鳴鳩の名にふさわしいものですし、その高啼きが聞かれるのも初夏から盛夏ごろですから、カッコウが羽をふるってスタンバイする様子はこの時期の候としてぴったりです。ところが、現代日本の歳時記ではこの候の解説を「イカル、またはハトが羽をふるう」という意味に解説しているものがほとんどです。なぜそういうことになるのでしょう。それは鳴鳩とは「斑鳩」という鳥のことである、という説もまたあるからです。

「斑鳩」。普通に読めば「まだらばと」ですが、なぜか読みは「いかるが」です。あの法隆寺のある奈良県生駒郡の地域一帯の地名が斑鳩(いかるが)なのはご存知のとおり。一説では、聖徳太子(蘇我善徳)が推古天皇9(601)年に築いた宮殿の地域一帯にアトリ科のイカル(Eophona personata)、またはジュズカケバト(シラコバト)が多く見られたため、「いかるが」と名がついた、という解説がまことしやかにされますが、これは順序がまったく逆です。
イカルの説明は後回しにしますが、シラコバト=斑鳩という説が何故出てきたかについてまずは説明しましょう。
シラコバトには「斑=まだら」と呼べるような模様はありません。にもかかわらず、斑鳩=シラコバトとされるのは、「ジュズカケ」のほうに原因があります。ユーラシア大陸や台湾に広く分布し、日本でのキジバトのようによく見かけるハトがいます。このハトは中国名が珠頸斑鳩(ジュズカケマダラバト Streptopelia chinensis)。和名ではカノコバト(鹿の子鳩)という名前がついています。シラコバトとキジバトをあわせて二で割ったような体色。そして頚部に、襟巻きのような大きな黒いポイントカラーがあり、この黒地に、真っ白な水玉模様、つまり斑が入るのです。「斑鳩」とは正真正銘、このカノコバト(ジュズカケマダラバト)のことなのです。ところがこのハトがいない日本では、かつては普通に見られたシラコバトが「ジュズカケ」といわれる首の黒い模様が共通することから、ジュズカケマダラバトのことだと勘違いされたのです。こうして、斑鳩=シラコバトということになってしまったのでした。
ジュズカケマダラバトの鳴き声は、一般的なハトのくぐもった声と違い、澄んだ高い声で、中国や台湾ではこのハトの鳴き声の愛好者も多いほど。カッコウにも通じるその声から、ジュズカケマダラバトを「鳴鳩」と呼ぶ可能性もあるのではないかと考えると、カッコウ説に並び、ジュズカケマダラバト説も充分検討に値するように思われます。現時点で、浅学の筆者にはそのどちらであるかを断定する根拠がないため、今後、引き続き調べていきたいと思います。












「斑鳩=いかるが」読みに秘められた古代ミステリー



法隆寺

さて、七十二候についてはともかく、ではどうして斑鳩が日本では「いかるが」と訓読みされるか、という疑問は残ります。どうひねくっても、そんな読みは普通には出てきません。つまり完全な当て字です。「いかるが」という地名は実は奈良の法隆寺近辺だけではありません。表記文字は皚酵または哮峯で「いかるが」。大阪府北河内の交野市・星田の哮が峯(たけるがみね)地域は、古くは「いかるが」とも呼ばれていました。物部氏の氏神ニギハヤヒを祀る磐船神社に向かう道程の天野川には皚酵橋(いかるがばし)という橋もかかり、一帯の古い地名であったことがわかります。この地域は古族・物部氏の領地で、この地にニギハヤヒが「天の磐舟」にのり降臨したという伝説があります。奈良の斑鳩もかつては物部の領地で、「いかるが」と名づけられた地域だったのです。
ここに後に、蘇我vs物部の戦争に打ち勝った蘇我氏系の聖徳太子が法隆寺を打ち建てます。聖徳太子、そしてその側近の秦河勝(秦氏)を象徴するトーテム(動物霊)こそハトでした。中国のキリスト教宗派・景教と同根の原始キリスト教はシルクロードを経て新羅系の渡来民・秦氏によって日本に伝わり、新羅系仏教と同化しつつ、聖徳太子の厩戸皇子神話として定着しました。
2014年、法隆寺補修工事で北室院の庫裏下から、「鵤寺」と墨書きされた土器が出土しました。これにより、創建間もない頃には、法隆寺が鵤寺と呼ばれていたことがはっきりしました。イカルがなぜ「イカル」と呼ばれるかは、「イカルコキー」とも聞きなせるキレのいい囀りから名づけられたと思われますが、その太いくちばしで硬い木の実をくるみ割りのように割り砕く際、豆を口にふくんで、クルクルと回す独特の習性から「マメマワシ」とも呼ばれます。イカルにとっては完全な音からくるこじつけに巻き込まれたかたちですが、漢字表記が定着していく上代期の中で、いかるがの地名に鵤が当て字になったことがわかります。平安末期の治承年間 (1177~81年)頃の「伊呂波字類抄」(橘忠兼)では、法隆寺について「斑鳩寺」の記載が見られますが、これは分類では「ハ」の項目に入り、当時は斑鳩を「はんきゅう」と読んでいたらしいこともわかっています。
もともと「いかるが」と呼ばれていた地域に聖徳太子が宮を立て、法隆寺を興した。地名にあやかり、この寺を推古期には「鵤(いかる)寺」と呼びならわしていたが、日本書紀編纂の平城京時代になると、聖徳太子/秦河勝=鳩の連想から「斑鳩」の字があてられて、こちらが一般的になっていった、ということなのでしょう。

ハトにしろ聖徳太子にしろ、到底ここでは書ききれない「沼」のような深さを持つジャンルです。それらに興味をもたれるきっかけになれば幸いです。





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ビットコインキャッシュとは?


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ビットコイン(BTC)のユーザーが増えていくにつれて、着金が遅くなるなどの問題を引き起こすようになりました。その原因は、取引を記録するブロックがすぐに一杯になり、取引がネットワークに承認されるまでに時間がかかり過ぎることが主な原因でした。 

このビットコインネットワークの「スケーラビリティ問題」を解消するべく、「ブロックサイズ」をビットコイン(BTC)の1MBから8MBへ拡張することで、2017年8月1日にビットコインのブロックチェーンから「ハードフォーク(分岐)」してできた「アルトコイン」がビットコインキャッシュです。












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4月22日(月)のつぶやき

2019年04月23日 | 日記
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4月21日(日)のつぶやき

2019年04月22日 | 日記
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4月20日(土)のつぶやき

2019年04月21日 | 日記
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4月14日(日)のつぶやき

2019年04月15日 | 日記
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蓮華草

2019年04月06日 | 日記


『暦便覧』に「万物発して清浄明潔なれば、此の芽は何の草と知れるなり」と「清明」を解説しています。まさにすべての植物は芽を吹き、初々しい緑が明るさを発しています。新しい門出があちこちにみられます。入学、入社や新たな一歩への進級と若い芽が伸びる4月にふさわしいですね。新しい芽はどんな草木へと成長するのか? 一歩を踏み出す大きなエネルギーは期待と希望にあふれます。湧き上がる春を探してみましょう!





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春の景色は「桜」だけ? 日本の田園にはこんなピンクも!




桜前線が北上しています。このところの寒さは満開の桜をそのままにしてくれています。まだまだ咲き続けて私たちを楽しませてくれそうです。うすいピンク色の桜は日本の里山の景色を華やかに明るくしてくれる春の花ですが、この時期の田んぼを染める「菜の花」の黄色と「蓮華草」の紫がかったピンクも見逃せません。根にできる根粒バクテリアが植物体から炭水化物などを吸収し、空気中の窒素を固定して植物体に与えます。自然界で窒素の循環に大きな役割をはたして土の品質を改良するため、収穫の終わった秋の田んぼにはよく種が蒔かれます。蓮華草や菜の花は地質改良のためばかりではありません。蝶や蜂が花から花へと飛びかう姿も春ののどやかさを感じさせる情景ですね。やがて蜂が集める蜜は蜂蜜として私たちの栄養になっていきます。街角で日当たりのいいちょっとした広場には蓮華草や菜の花が見られることも多いですよ! お気づきでしょうか。





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花が次々と咲き始める4月初めのお祭りと言えば?




お釈迦様のお誕生を言祝ぐ「花祭り」が8日です。お寺ではこの時期になると天を指差したおさなご姿のお釈迦様、誕生仏を祀った花御堂が据えられ、参拝者が甘茶をかけて供養します。これはお釈迦様お誕生の時に梵天、帝釈天がくだって仏のからだに甘茶をそそいで洗ったという故事にならったものだそうです。そこからこの日を降誕会とともに灌仏会ともいわれ広く親しまれています。
花祭りの日によく見られるのがお稚児さんの行列です。キラキラと飾りの下がる天冠の女の子、りりしく冠をかぶった男の子はともに金襴の衣装と袴姿が愛らしく、子供たちの健やかな成長を祈ります。七五三とはひと味違うこんなお祝いも春らしい明るさの中で思い出になりそうです。












子供たちの健やかな成長を願う親が大空にも戻ってきます!



渡り鳥のツバメは南国で冬を過ごし、春を期に再び飛来し新たな命を育みます。二十四節気「清明」の初候は「玄鳥至(つばめきたる)」です。ツバメは日本生まれの日本育ちですから、私たちは「お帰りなさい」と声をかけるのがいいようですよ!
白いふっくらとしたお腹と黒い背中。長く先が割れているのが特徴の尻尾は印象的ですね。夜の男性の礼服のひとつ燕尾服はこれが由来となっています。翼を広げて素早く空を横切っていく滑空姿もツバメらしさといえるでしょう。家々の軒下に巣作りをし、雛が口をそろえて開けて餌を待つ姿がやがて目につくようになりますね。
新しい命が大地にも空にも生まれ育ちはじめるのが春「清明」です。






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3月31日(日)のつぶやき

2019年04月01日 | 日記
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雷鳴

2019年03月31日 | 日記


3月31日より、春分の末候「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす/らいだいはっせい)」となります。「乃」は「ようやく」の意味で、「雷鳴がよくやく聞こえだす時期」ということになります。大雪初候「閉塞成冬(へいそくしてふゆとなる)」で天地の気の疎通が途絶えて以来、一歩一歩と陽気が復活し、ついにこの時期に至って天地の気は再び触れ合い相呼応し、半ば寝ぼけまなこの生き物たちを揺り起こす号令のように雷鳴がとどろき始めます。生命が躍動する春、そしてその先に近づく夏への予兆でもあります。











雷は下からのぼる?ってほんとなの?




「雷乃発声」は、宝暦暦以来春分末候ですが、中国の宣明暦と、江戸前期の和暦・貞享暦では春分次候となっています。そして、宣明暦では、春分末候は「始電(はじめていなびかりす)」とされます。「電」または「電気」と言えば、現代の私たちは発電所で人為的に作り出すエネルギーのことになりますが、かつては「電」とは稲妻、雷光のことを意味しました。つまり「雷電」ワンセットで今私たちが言う雷という気象現象をあらわしました。

雷は、冬の不順な気候条件でも発生しますが、大半は気温の上昇で発生する積乱雲とともに出現します。三月末から四月初め頃から発生数が上昇し始め、八月の盛夏頃がピークなのはご存知のとおり。
雷は、上空の冷たい空気層に存在する氷の結晶やチリなどがこすれあい、分子間で大量の電荷分離が置きることで発生する、自然の放電現象です。地上の湿った空気が太陽により温められて上昇気流が生まれると、上空に大量の水分が供給され、雲の中で大量の氷粒か滞留してこすれあい、原子の周りを回る電子がはじき出され、マイナス電荷をもつ電子と、プラス電荷を持つ正イオンに分離(電離)します。正イオンは雲のより上層にたまり、電子は雲の下のほうに移動し、雲の中に電界が発生し、プラズマ気体状態を形成します。すると、雲の中で放電現象=稲光が発生し始めます。積乱雲の中で雲を透かしてピカピカと稲光が籠って光るのをごらんになったことがあるかと思います。この雲内放電は、雲の下部から上部へと上るかたち。しかし、積乱雲がより発達し、雲が低くたれこめはじめると、雲の下部の電子は、上部の正電荷に向かってではなく、地面の正電荷に向かって放電を始めるのです。これこそが私たちが見る、雲から枝状、あるいは血管のようにぎざぎざに光って落ちてくる稲妻です。
この稲妻が地上の建物や木などの物体にふれると「落雷」といわれるわけですが、「実は落雷は落ちるのではなく地上から昇っているのだ」という専門家の説明を聞いたことがないでしょうか。雷が上から下ではなく下から上?実際雷の光脈を見ていると、どう見ても雲から下に向かって放電の光が走っているようにしかみえません。どういうことでしょうか。目の錯覚?





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稲妻は上から下。でも落雷は昇雷なのです



稲妻が上(雲)から下(地表)に降りるのは錯覚でもなんでもありません。
発達して垂れ込めた雷雲の下部分にたまった電子(マイナス電荷)は、プラス電荷をもつ地面へと、槍のようにプラズマ放電の枝を盛んに突き出します。これが暗い雲からギザギザの光脈で降りてくる稲妻、稲光です。この稲妻の先端が中空にとどまるうちは美しい光の枝のように見えます。ところが、先端がさらに伸びて地面近くまで来たとき、劇的現象が起こります。地表の正電荷がこのプラズマの枝を捉えてつかむのです。その瞬間、大量の正電荷が光脈に流れ込みます。つまり電流が一気に流れるわけです。すると、光脈は目もくらむような激しい光と轟音を放つ光の柱に変貌します。これが落雷です。
電子によるプラズマ放電、私たちが目視している(目視できる)稲妻は上から下へと伸びていますが、落雷現象は下から上へと昇っている、ということになります。地表近くまで降りてきた電子が作ったプラズマ放電の「道脈」を、電流がかけ上るわけですね。落雷は大変な光量が一気に解き放たれる爆発的な現象で、衝撃もすさまじいので、生身の人間がまともに見ることはできないため、感覚的に「落ちてきた」と感じてしまうのです。
まさに天の気と地の気の織り成す、地球上でももっとも劇的なセッション「雷」=神鳴り。古代人がそこに神の存在を感じたのもよくわかりますよね。










雷は実りに欠かせないものをもたらしていた!




古くより「雷が多い年は豊作」とも言われ、雷の別名「稲妻」は、雷が稲の穂を実らせる「つま=夫」であると考えられたことから来ています。これは、稲が穂をつける夏から秋口にかけて盛んに落雷が発生することから生まれた信仰でもあり、また、熱帯がふるさとの稲には夏の高温と豊富な水が必要です。雷雲は気温が高いときによく発達し、田畑に雨をもたらすことから、稲穂の生育に雷は欠かせないものだ、と考えられていたことは分かります。
しかし、雷の作物への恵みはこれだけにとどまりません。園芸をやっている方ならば常識ですが、植物である農作物が育つために必要なのは水と光の他に、根を張った土壌から吸収される養分。中でも、窒素・リン酸・カリ(カリウム)は三大肥料と呼ばれて不可欠なものとされています。ところが窒素は、大気中の80%を占める主要要素であることからもわかるとおり、通常は気化している元素です。植物がこれを吸収するためには地中に固定化されなければならないのですが、この窒素固定をできる植物は、ランソウ類の他、根に根粒菌を共生させているマメ科植物などにかぎられています。このため、化学肥料がない時代には、マメ科であるレンゲやクローバーを休耕中に育て、すきこんで窒素を補給するしかありませんでした。現代でも有機農法で行われる施肥の方法です。
ところが、雷も実は窒素固定を担っていることがわかってきました。空気中で強い放電を行うと、空気中の窒素(N2)と酸素(O2)が結合し、窒素酸化物となるのです。これに雷雲がもたらす雨水(H2O)が溶けて硝酸(HNO3)となって地中に溶け込み、土中でさらに化合物となって根に吸収されます。マメ科植物や微生物、動物など、生物による地中への窒素固定は地球全体で、年間約1.8億トンといわれますが、なんと雷による自然放電によっても年間 0.4億トンもの窒素が地中固定されているといわれています。
都市にとっては厄介扱いしかされない雷ですが、米どころといわれる場所の多くは雷の多発地帯。雷もまた、私たちにとっては本来はありがたいものだったのです。









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3月24日(日)のつぶやき

2019年03月25日 | 日記
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桜季語

2019年03月24日 | 日記


春分を過ぎ、いよいよ春たけなわになってきました。多くの花が咲き、植物が芽生える本格的な春がやってきますが、本格的な春の訪れを告げる代表格が“桜”ですね。
桜の開花を毎年いまかいまかと待ちわびている方も多いと思いますが、“花の命は短くて”のフレーズがあるように、一年でたった一週間ほどの見ごろしかありません。
そこで今回は、桜にまつわる季語をご紹介。日本人にとって、限定・レア感・美しさに、いにしえから魅了されてきた理由とは? 桜を花と呼ぶのはなぜ?など桜づくしで調べてみました。




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「桜」の発祥と「花」と呼ぶ理由




古語では「桜」のことを「花」と呼んでいます。花はたくさんあるのに、なぜ?と思われることでしょう。けれども、『古今和歌集』の時代からこう呼ばれてきたのです。
この場合の桜は「山桜」を指しますが、平安時代前には、「花」は「梅」のことでした。平安時代、時の“桓武天皇”が山桜を御殿に植えられたのが始まりといわれ、その後“蘇我天皇”のころから観桜の宴が行われたといわれています。次第に「花」は「桜」という観念が定着していきました。

一般の庶民が桜を鑑賞できるようになったのは江戸時代から。17世紀前半に江戸に多くの桜が植えられたそうです。中でも、山桜系統の大島桜と彼岸桜の交配種「染井吉野」は、駒込の植木屋“駒込染井”が売りだして一大ブームとなり、明治以降全国に広がっていったそう。今でも駒込の駅前には、“染井吉野発祥の里”の記念碑が立てられています。
その後、染井吉野は欧米諸国にわたり、“ジャパニーズ・チェリー”として親しまれていますし、桜は花の鑑賞以外にも、樹皮を使った工芸品や葉の塩漬けなど、余すことなく利用されています。
また、世界的に見ても日本ほど多くの種類の桜を育てる風土はないそうですよ。ちなみに、現在の桜の種類は600種ほどあるそうです。











最初から最後まで美しい桜の季語

桜の開花は毎年違いますが、近年は全体的に早くなっているようですね。しかし、花が咲いているだけが桜ではありません。実は最初から最後まで味わい尽くせるのが桜なのです。そんな桜の季語をリレーでお送りしましょう。

冬の間眠っていた「桜の芽」も、気温の上昇とともに次第に膨らんできます。日ごと大きくなる芽は蕾(つぼみ)となり、花が咲く前から枝全体がピンク色に。

そして開花。初めて咲いた桜を「初桜」、「初花」と呼び特別な瞬間を喜びます。
桜はそれぞれのシチュエーションで楽しみます。朝に見る「朝桜」、夕方に見る「夕桜」、夜に見る「夜桜」など。

桜の種類はどうでしょうか。
お彼岸頃に咲く「彼岸桜」、姿が美しい「枝垂れ桜」、ソメイヨシノより一足遅い「八重桜」、奈良の吉野山が代表の「山桜」。時期や場所を選んで鑑賞できるのも日本ならではですね。

いよいよ七分咲きになった辺りで桜は見ごろとなり「花盛り」を迎えます。まるで周辺が明るくなったような「花明り」、空との境が見えなくなるような「花朧(おぼろ)」、花を濡らす「花の雨」。「花の雲」は、堤などに連なる桜が雲のようだという意味で、上から見たドローン映像のよう。

桜には青空が似合いますが、時に曇りばかり続くこともあります。それを「花曇(ぐもり)」、咲いてから気温が低く散るのを遅らせる「花冷え」、「養花天(ようかてん)」なども。
さて、桜の楽しみといえば「花見」ですね。
「花筵(むしろ)」を敷き、お洒落な服「花衣(ごろも)」を着て行う「花の宴(えん)」で最高潮を迎え、ついに今年の桜ともお別れです。

「散る桜」、「飛花」、「落花」、「花吹雪」。散り際、散ったあとまで美しいのが桜ですが、散った花びらを「花の屑(くず)」、水に浮かんだ花びらを「花筏(いかだ)」と呼び、最後まで愛でるのです。
青森の弘前公園の花筏は、一生に一度は見たい絶景といわれています。






花筏(はないかだ)
これで終わりでしょうか? いいえ、花びらの散ったあと散るものがあります。
「桜蘂(しべ)降る」は、桜の萼(がく)が散り地面を赤く染めること。最後まで桜をいとおしむ感性が生み出した言葉ですね。

今回ご紹介した季語は桜の代表的な季語に過ぎません。けれども、桜に対する日本人の美意識や、桜を「花」と呼ぶにふさわしい絶対王者の存在感が桜なのではないでしょうか。

──言葉や漢字の成り立ちを知ることは、日常生活に膨らみを持たせてくれるはず。

桜との出会いは一期一会といわれています。過去には、たった3日で散った桜や、10日以上散らない桜もありました。どんなシチュエーションで見るのか、誰と観るのか、今年の、この時の桜を、どうか堪能できますように。



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3月23日(土)のつぶやき

2019年03月24日 | 日記
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3月22日(金)のつぶやき

2019年03月23日 | 日記
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3月21日(木)のつぶやき

2019年03月22日 | 日記
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3月20日(水)のつぶやき

2019年03月21日 | 日記
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歌人

2019年03月18日 | 日記


色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける
精霊の日。西洋の妖精の雰囲気が漂いますが、「せいれい」ではなく、「しょうりょう」の日と読みます。となると、東洋的な背景を感じますね。実はこの記念日の由来は、和歌と関係があります。小野小町(おののこまち)、和泉式部(いずみしきぶ)、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)。3月18日が、この偉大なる歌人たちの命日と伝えられていることが発端で、「精霊の日」の記念日となったようです。和歌と精霊の関係を紐解いてみましょう。



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彼岸の入りと「夢の歌人」



冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
柿本人麻呂は飛鳥時代、小野小町と和泉式部は平安時代の歌人。実際には、三人の正確な忌日は未詳で、3月18日はあくまで一部の伝承です。けれども、春の彼岸の入りはちょうどこの頃。中世は盛んに和歌が詠まれ、次々に新しい仏教思想が発展した時代。死者の霊魂や祖霊、そして歌を紡ぐ言霊への畏敬は、私たちには想像もつかないほど、重いものだったことでしょう。そんな思いが受け継がれ、春の濃厚な気配が強まるこの頃に、いつしか「精霊の日」が設けられたのかもしれません。

そんな「精霊記念日」にふさわしく、小野小町はよく「夢の歌人」と言われています。花ひらく貴族文化で活躍した、六歌仙や三十六歌仙の一人でもあった才女です。意外にわかりやすい歌も多いので、黙読ではなく、ぜひ声に出してうたいあげてみてください。言霊が立ち上がることでしょう。


・花の色はうつりにけりないたづらに我身(わがみ)よにふるながめせしまに

・思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを

・夢路には足も休めず通へども現(うつつ)に一目見しごとはあらず

・色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける

・瑠璃の地と人も見つべし我が床は涙の玉と敷きに敷ければ


百人一首の中の有名な一首、夢をうたう和歌、仏教を詠んだもの。小町は華麗な技巧とともに情熱的な恋愛をうたいあげ、和歌に新しい風を起こしました。絶世の美女とされて伝説も多く、謡曲、浄瑠璃、御伽草子などで物語化されています。作品のみならず小野小町自身も、夢と現が揺らめく世界に今も生きているのですね。









恋多き和泉式部、歌聖なる柿本人麻呂



もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行方知らずも
一方、和泉式部(976~1036頃)も宮中の女房として活躍した、いわばキャリアウーマン歌人です。華やかな恋愛を繰り返し、1500余首の歌の他、『和泉式部日記』 を遺しました。大胆でストレートな表現の人ですね。


・春霞立つや遅きと山河の岩間をくぐる音聞こゆなり

・あらざらむこの世の外の思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな

・冥(くら)きより冥き道にぞ入(い)りぬべきはるかに照らせ山の端(は)の月



最後に、黒一点の柿本人麻呂です。『万葉集』の代表的歌人であり、三十六歌仙の一人で、持統・文武両天皇に仕えました。小野小町や和泉式部とは作風はガラリと変わり、重厚で雄大な世界観です。その一生には謎の部分も多いようですが、後世、歌聖とあがめられました。国家の中央集権体制が強化の中の儀礼的なシーンの歌も多く、文字通り「宮仕え」を感じさせる作品群ですね。



・東(ひむかし)の 野には炎(かげろひ)のたつ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ

・近江(あふみ)の海夕波千鳥汝(な)が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

・もののふの八十(やそ)宇治川の網代木(あじろぎ)にいさよふ波の行方知らずも



一千数百年前に詠まれた歌の数々。あえて当時の言葉遣いのまま、声に出して詠んでみてください。中世の精霊へのタイムスリップで、新たな発見を楽しめることでしょう。

















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