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ある日突然『あなたガンです』って言われてビックリ…。
子宮頸ガン0期で円錐切除したkaorieの経過観察中の日記です。

父は要介護1 こんなにもいろいろなことを知っているのに

2019-11-09 | 日記
こんにちは。kaorieです。


9月末に申請した介護度認定。ようやく出まして…実家の父は要介護1でした。


正直要支援以上にはならないだろうと予測していたのでちょっとショックでした。え?って感じ。
泌尿器科の病気をしているので排尿障害があるためかと思います。今はまったく介護はいらないんだけどね。

まぁ調査の時、全然質問にきちんと答えられていなかったからね~。

受け答えは一見しっかりしているんだけど、質問の意図をくんだ答えを返せない。

…にしても要介護か。サービスが受けられる範囲広がるので喜ばしいことではあるんでしょうが。


そんな要介護1の父ですが、先日かかりつけのお医者さんの診察を受けてきました。
私もパートを休んで一緒に行ってます。
父は脳とか認知症の薬は飲んでいませんが、高血圧の薬と認知症用のサプリでフェルガードというのをもらってるんです。
母によると父は日によって状態が違うらしいんだけど…この日はとても意識がクリアだなと感じました。

思い込みをしてしまったりとかものごとがすっかり抜け落ちるとか、そういうことはいっぱいあるんだけど…。
でも、もともと父は人一倍知識欲がある人で本当に物知りなんです。とても悔しい。


診察は特に何かをするわけではなく
『〇〇さん、どうですか。身体の調子はいいですか?』
『まぁ、そうですね。変わらずです。』
こんな感じで…それこそ秒で終了でした。
高血圧は良くないからもう少し薬を変えて様子を見ましょう、くらいで。
患者の家族としては思いっきり物足りないですけど、この場合変化があるということは悪化するということなので…。


あっという間に終わったのはいいけれど…送迎バスが終わってしまったのでバス停まで歩くことになりました。
ここ、駅から離れているのがちょっとね。

バス停に着いたけど、バスはまだしばらく来ない。
母は疲れたと言ってちょっと離れた場所で軽く腰かけていたので、父と二人でバス停でしばしのんびり。
けっこう大きな道なので、いろいろな車が切れることなく通り過ぎていきます。

すると父が

『あのトラックの会社知ってるか?』と突然言い出します。
『あ~よく見るけどね…。』そのトラック、ちょっと読み方に迷う会社名が書いてあったんですね。
『あれは〇〇運送っていうんだ。この辺の地元の会社でな、たくさんトラック持ってるんだよ。』
『へぇ、そうなんだ。知らなかった。』
仕事をしているころ、頼んだことがあってよく知っているそうです。

後で調べてみたら、確かに地元の会社で読み方も合っていました。
それに関連した仕事の話をよどみなく話してた。それだけを聞いていると認知症なんて思えないんだけどな…。


天気のいい日で、バス停からは丹沢の山々がよく見えました。


父はそれを見て目を細めながら
『あの山のこっちがわに公園があるんだよ。厚木の方から来る川と、東京の方から来る川と、地元の川が流れ込んで来る川のそばにあるから三川公園っていうんだ。』
『あ~そうなの?だから三川公園(さんせんこうえん)っていうのか。物知りだねぇ。』
『じゃあ、一つは相模川だね。あとの二つはなんだろうなぁ…わかんないなぁ。』
『ハハハ…そうだな~。わかんねぇなぁ。』わりとあっさりしてますね。笑

これも後から調べてみました。

父が言っていたのは海老名市にある県立相模三川公園のことです。
三川の一つは相模川。もう一つは中津川。最後の一つは小鮎川です。
東京っていうのはちょっと違うみたいだけど、三川公園の由来はその通りでした。

意外だったのは、相模川の源流が山中湖だったことです。知らなかった…。
丹沢から来ているものだとばっかり思ってた。そんな遠くから来ていたとは。
ちなみに丹沢山系を源流にしているのは中津川と小鮎川でした。


たわいもない話だけど私にとっては大事なひとときでした。
父の過ごしてきたいろいろなことを知るための断片がそこにあったから。
身近な人こそ、本当には知らないんですよね。
今までどんなふうに生きて来たか、何を考えて来たか。


そして、最寄り駅に着いてからの帰り道。
歩きながら、母と小学生だったころの同級生の消息を話していたんです。

『○○ちゃん(同級生)は埼玉から帰ってきて新幹線のガードの近くに家を建てたんだよ。』と母が言います。
『そうなんだ!今の会社の取引先がすぐ近くにあるよ。あと別の同級生も近くに実家があると思うんだけど。』
『ああ、あの道の向かいにある会社か。あの近くに同級生いたんだっけ?』
『いた。二軒並んでるうちの道路側の家で、△△さん(姓)っていうおうちだよ。』

すると父が『△△ゆり』って言うんですよ。
『え?』
『△△ゆりだよな。』

もう一度父が言うのでギョッとしました。
そうなんです。同級生の名前は△△ゆりさんなんですけどね…。
仲良しではあったけど、いつも一緒にいた人ではなくてそこまで家で話をしたわけでもない。
母は当時は名前を知っていたかもしれないけど、もうとっくに忘れてる。


でも父は覚えてた…。40年も前のことを。何度か聞いただけの娘の同級生を。


こんなにいろいろ覚えてるのに、ゴミの日は覚えられない父。
たくさんのことを知ろうとしていたのに、さっき聞いたアイロン台の場所はもうわからない。
一度減った海馬はもう戻らないんだろうか。それに代わるものはないんだろうか。


でもね、こうやって新旧取り混ぜいっぱい話をして刺激を続けるのってすごくいいと思うんです。
何度も何度も話をして、情報と記憶を繋いでいきたいと思うんです。
若くたって年取っていたって、貴重な今に変わりはない。老化したからしょうがないなんて思いたくない。


改善できるなら少しでも…あきらめずに続けたい。

ただ力は入りすぎないようにと思うんですけどね。


アルツハイマーを改善できる特効薬、早くできないかな。。。





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