石屋のカミさん日記

仕事に趣味に 好奇心の赴くまま楽しいこと追求します!

父でもなく、城山三郎でもなく

2008-10-22 23:57:14 | Weblog
井上紀子著「父でもなく、城山三郎でもなく」読む。



著者の井上紀子さんは 故・城山三郎氏の娘さんである。


城山三郎の最後の作品となった「そうか、君はもういないのか」。
経済小説でもなく、反戦小説でもなく
最愛の奥様と歩んでこられた夫婦生活を描いたものだった。

大変仲のよい、ほのぼのした夫婦だったんだなあと感じ、
井上紀子さんのあとがきに心を打たれた。

城山三郎さんの文章には「老い」(幸せな老い)を感じたが
娘さんの文章には 涙が止まらなかった。
素晴らしいあとがきだった。

その紀子さんのエッセイ
学習院大学院の国文科を卒業され
日本語に関わる仕事をされていたそう。
道理で ことばを紡いで思いを伝えることに
長けていらっしゃるはず。

幼いころからのお父さんとの関係・家族の関係について
淡々と綴ってある。
昭和30年代の 楽しい家庭が浮かびあがってくる。

「父親」の位置が 今とずいぶん違うなと思う。

私達40年代生まれにしてもそうだけど
父親って あまりあれこれ言わなくても
影響力大だった。
あからさまに愛情表現がなくても
見ているだけで、その言葉を聞くだけで
人生における 学習をさせてもらったと思う。

父と母の 子供達に与える影響の強さを
この本を読んで、深~く考えた。

紀子さんは 本のなかでご両親のことを
こんな風に例えている。

大地のような母に安らぎを
風の如き父に心の自由を与えてもらった。
ゆったりと構え、さらりと生きよ。

太陽のような母と
月光の如き父。

明るく温かく包み込む日の光
暗い迷路にそっと しるべを示す月明かり

そんな二人に導かれ ここまできた・・・(抜粋)

人それぞれ、それぞれの両親に 
いろいろな人生の贈り物をいただいている。
若いころはわからなかったものが
父と母が老いてくると また、亡くなってみると
どんなに素晴らしいものをもらっていたか
わかるのではないだろうか。

私の母は 祖父(母の父)が亡くなったとき
棺おけの蓋を閉める直前、
「お父さん、ほんとうにありがとう」と優しく呟いた。

それがとても印象的で。
私の両親は まだまだ元気に頑張ってくれているけど
将来、お別れのときがきたら
今まですべてのことに感謝の気持ちで送りたいと思う。

さて、主人と私。
それぞれ子供に与えてやれるものは違う。
私は 人生ほど 楽しくて素敵なものはないよ!ということを
身をもって与えてやりたいな





コメント (2)
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